蓮名文庫
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PAPILIO

BL/ML/短編集




暴かれたのは




 高層ビルが建ち並ぶ窓を背に、俺は今日の仕事のノルマを達成させていた。
槻片さん、お先に失礼します」
「ああ、お疲れ様です」
 数ヵ月前に出来た同僚と挨拶を交わし、先に帰宅する背中を見送って、俺はまたパソコン画面へと視線を戻した。
 ソフトウェア開発事業部に所属する俺は、プログラマーとして勤務していた。
 同じ部署の人達とチームを組んで、期日が決められた依頼を皆で分担して取り組む。
 与えられた役割を期日までに終わらせて、納品するのがこの業界でのスタンス。
 勿論、先に終われば同僚のも手伝うが、仕事量と期日が合わない限り、早々にはない。
 俺も仕事を切り上げ、パソコン画面を消す。
 就業時間から差程経っていないこの時間、時間通りに帰る者と残業を決め込んで残る者とがはっきりと分かれた。
 常は、仕事配分もペースも全ては自分の管理。
 先に追い上げるか、後々追い上げるかは個人の自由。
 だからこそ、俺はこの仕事が性に合っているのかも知れない。
 帰り支度をしていると、席に置いていた携帯電話が振動を繰り返した。
 俺は嫌な予感が過ぎり、一気に空気が重くなるのを感じながら、携帯を掴む右手が鈍い。
「はい……」
『俺だ』
 低く通る声に、名乗られなくても誰だか解る。
 急激に暗くなる目の前に嫌気を差しながら、俺は相手に指定された場所へと向かった。
「う……あ……っ」
 指定されたホテルの浴室でシャワーの音を響かせながら、俺は後ろから男に貫かれていた。
 執拗に胸の突起を弄くられ、下腹部の膨らみも男の左手によって扱かれていた。
 ゆっくりとした挿入を繰り返しながら、確実に俺の欲を掻き立てる。
「は……ん……っ」
「もう……イキたいんだろう?」
 毒のある男の声が、俺の耳を掠める。
 頭上から降り注ぐ温かいシャワーは俺の呼吸を奪い、深くまで俺の中に押し入った男はギリギリまで引き抜くと、また深く貫いた。
 俺は異物感に脳内をかき混ぜられながら、浅い呼吸を繰り返した。
 何度となく繋げた躰に痛みはなく、俺のイイ所を知っている男は、その場所を執拗に擦り上げた。
 俺はせり上がる感覚に耐え切れず、上体を折り曲げて目の前の壁に手を着くと、男は俺の腰を鷲掴んで構わずスピードを速める。
「はっあ…アアッ…ンっ」
 絶え間なく漏れる吐息は、俺の欲の浅ましさを物語っていた。
 俺の弱みを握った男は、快楽だけを求める様に俺を抱く。
 冷めた心で何度も抱かれ、情など一つも湧く筈がない。
 利得など俺にはなかった。
 無理矢理躰を拓かされて、強制的に躰を火照らされる。
 全ては、男を受け入れる事に慣れたこの躰が原因だった。
 男の名は大郷芳樹
 前に勤めていた会社の上司で、その頃の俺はこの人に懐いていた。
 豹変したのは、退職届が受理されて最後の挨拶をする時だった。
 別室に呼ばれた俺は、大郷に告げられた言葉に動揺した。
 その内容は、ほんの少し前に俺が同僚としていた情事。
 呼ばれた会議室で、当時付き合っていた男性社員と淫行に及んでいた事だった。
 言われた瞬間、血の気が引いて青ざめて行くのを感じた。
 だが、逃げた所でどうにもならない事を頭の隅で理解していたのか、俺の体は動かなかった。
 言い訳の仕様がない俺に、大郷は言った。
『何処にも、バレたくないだろう?』
 幾ら愛し合っていても、不道徳なこと。
 今の会社にヘッドハンティングをされて、これから新居地を築き上げようとしていた矢先に、そんな噂を流されては堪らなかった。
 事実であっても、支障を来す噂は免れたかった。
 それから、この男との新たな関係が始まった。
 同じ業界である故、勤務時間は差程変わりなく、男の気分で好きな時に呼ばれる。
 今日だってそうだ。
 仕事が終わって帰路に着こうとした矢先に、振動した携帯が大郷からの着信を知らせた。
 本当は出たくもない。
 関わりたくもない。
 しかし性欲処理としての俺を、手放す筈もなかった。
「槻片、代金だ」
 そう言って、男は俺に金を浴びせる。
 しかしそれも気紛れで、毎回ある訳でもなかった。
 別に金が欲しい訳ではない。
 自己を守る術が偶々これだっただけで、約束さえ守って貰えればそれで良かった。
 だけど男は、態と俺を惨めにさせてプライドを傷付ける。
 俺を愚弄する事で、悦に浸りたいのか……。
 答えは解らないが、そんなのはどうでも良い。
 俺は早く、この関係を断ちたかった。
 大郷に解放されて、俺は漸く帰路に着いた。
愁威?」
 街中の雑踏が耳に付く中、突然聞き慣れた声に俺の思考は奪われた。
 確認する様な問いに、無視すれば良かったものを、俺は反射的に振り向いていた。
 何故こうも、嫌な奴とばかり顔を合わせなければならないのか……。
「愁威、久し振りだな」
 微笑みながら俺の前に現れたのは、大郷の部下の敷居裕弥……いや、それよりも元恋人と言った方が早い。
「時間ある?」
「悪いが……」
「日本酒が旨い店を見付けたんだ。少し付き合えよ」
 訊いといて、全くこっちの話を聞かない。
 相変わらず……だ。
 嫌な顔を見せても、俺相手では気にされる事もない。
 無理強いをされて連れて来られた居酒屋は、繁華街から少し外れた所にあり、極力まで落とされた照明が店の静けさを強調していた。
 店はそれ程大きくはなく、店内には取り扱っている種類の豊富さを誇示する様に、一升瓶が所狭しと並んでいた。
「旨いだろ?」
 勧められた日本酒を一口飲み、頷いてやると、裕弥は満足気に俺を見た。
 出会った時から変わらない。
 自分が良いと思ったものは、相手の状況も考えずに勧めてくる。
 ニーズが合わなければ只の有り難迷惑だが、裕弥が見付けて来るものは大概が俺の好みと一致していた。
 自分で何かを見付けようとしない俺からしたら、俺の視野を広げてくれる裕弥は貴重だった。
 勿論、それが原因で何度か喧嘩をした事はある。
 だが、言いたい事を言うだけ言うとすっきりするのか、大概は裕弥が折れた。
 それでもあっけらかんと言ってくるのは、長所と言うべきか短所と言うべきか……。
「悪かったな」
「は?」
「会社」
「ああ……」
 突然謝罪をされて何かと思えば、俺が会社を辞めた理由にだった。
 転職をしたのは、何もヘッドハンティングされたからではない。
「上手くいっているのか?」
「別れた」
「は?!」
 裕弥とは入社二年目から付き合い始めて、三年間付き合った。
 別れた原因は、裕弥が今年の新入社員と浮気をしたからだ。
 今だから解るが、マンネリから来る倦怠期でお互いに少し気持ちが離れていた。
 だからそっちと付き合いたいと言われても、差程気にしなかった。
 だが、こう言うのは別れてから気付くもので……俺は同じ部署の二人を何食わぬ顔で見続ける事が出来なかった。
「まだ、三ヵ月しか経っていない」
「相性が合わなかったんだ」
「合わなかったって……」
 大学時代の友人からの誘いに乗って、会社を辞職したと言うのに、この男は大した事がない様に言ってくる。
 そもそも、裕弥が無理矢理会議室でやろうとしなければ……浮気をしなければ、大郷とこんな事にはならなかった。
 なのに、その原因であるその相手と別れただと?
 しかも……
「やっぱり俺、愁威が良いんだ」
などと抜かして来る。
 裕弥の事がなければ……辞表を出した後に別の部署への異動を言い渡されたのを、甘んじて受け入れたのに。
 本来なら、ヘッドハンティングをされて辞める事が決まっている中で、異動の話をされるのは余りない事だが、何故だか少し不思議だった。
「愁威、異動の話も断ったんだってな」
「ああ……」
 俺が辞めた後に噂が広まったのだろう。
 祐弥に相談なんかする筈もなかった。
「噂じゃ、大郷部長が他の部署に頼み込んだって話だ」
「は?」
『是非君にと、異動の話が来ている』
「会社からしたら、優秀な人材だもんな。だから引き抜かれたんだろうし」
 裕弥は羨ましそうに俺を見て来るけど、俺に取ったら寝耳に水だ。
 そんな話は知らない。
「愁威、俺と戻らないか?」
「は?」
 また何を……
「今までは距離が近過ぎたんだ。だけど、今は違う……俺の部屋に来ないか?」
 別れて三ヵ月。
 一ヵ月間は同じ会社で胸を痛めたが、転職してからは大郷の問題でそれどころではなく、いつの間にか傷は塞ぎ掛けていた。
 それはつまり、裕弥への気持ちが過去のものへと変わった事を指し示す。
 だが、裕弥をどう思っているのか、今ははっきりとは解らない。
「好きじゃなくても良い。また好きになれば良いんだ」
 余程自信があるのか、裕弥は簡単にそう言った。
 だが実際はそんな簡単じゃない。
 何より大郷との関係を続けたまま、裕弥と寄りを戻す事など有り得なかった。
「裕弥……済まないが……」
「愁威、愛してる。」
 恥じらいもなくそう告げる裕弥に、俺の心は揺らいだ。
 俺より二つ下の裕弥。
 強引でマイペースで自信家で、だけどそれを生かすだけの力を持っている。
 入社して日も経たない内に好きだと言われ、俺の生活に割り込んで来た。
 与えられるのはとても刺激的で、心地良いものばかり。
 初めはそんな気もなかった俺も、徐々に裕弥を好きになっていった。
 ずっと一緒にいたいと、そう思う程に。
 昔の事がフラッシュバックの様に思い出され、嫌な気などしない。
「裕弥、考えさせてくれ」
「愁威……」
 それでも、俺には片付けなければならない問題があった。
 丁度一週間後、俺はまた金曜日の夜に大郷に呼び出されていた。
「大郷さん……」
「ん? 何だ?」
 ベッドに横になった俺に、覆い被さる様にして大郷はたぎったものを後ろから押し入っていた。
 視線を少し後ろに下げれば、すぐに男の顔がある。
 大郷は俺を見下ろしながら、言葉の先を尋ねた。
「いつまで……こんな事を続けるんですか?」
 脅されて躰を差し出して、恋人同士の不安定さはなくても、いつまでも続けられる関係でもない。
 愛情がない分、いつだって切れる。
 その証拠に、大郷は俺を後方からでしか犯さない。
「飽きるまでだ」
 平然と大郷は言うが、俺の恐怖心を煽ったのは最初の内だけで、後はただ躰を繋げて俺に嫌悪感を植え付けるだけだった。
 俺と大郷の間には、性欲と征服欲を満たす以外、何もない。
 ストレス発散だと言われればそれまでだが、俺はこの関係性に常々疑問があった。
「目的は何ですか?」
 脅された身としての恐怖心は未だ拭い切れず、温厚を装ったこの状態の逆麟に触れないか、心なしか怯えた。
「珍しい……な」
 言葉を区切ると、男は俺を見据えた。
「何かあったか?」
 媚びる理由もなければこの空間を楽しむ気もない俺は、早く飽きれば良いと、抵抗も疑問もぶつけずに極力会話を控えて只耐えていた。
 そんな俺が、突然話し出したのが不思議だったのだろう。
 大郷は俺を眺めながら、ある事を思い出した。
「敷居か?」
 俺との関係を知っていれば、きっと二人が別れた事も知っている。
 だがそれは、只のきっかけに過ぎない。
 終わらせたければ、自分でどうにかしなければならない。
 そう思わされただけだ。
「敷居に、会ったのか?」
 心なしか、声が震えている様に感じた。
「会いはしましたが……」
「寄りを戻すのか?!」
「いっ!」
 大郷は浅く挿入していた楔を乱暴に動かすと、内壁を無理矢理に突き、粘膜を強く擦り上げた。
「い、あ……大さ……とさっ」
 苦痛に耐えながらシーツをきつく握る俺に、大郷は容赦しない。
「駄目だ! 戻るなど、許さないっ!」
 怒気を含ませながら俺を俯せにさせると、大郷は俺の頭を押さえ付けて腰を揺らした。
 卑猥な音を立てて、大郷は俺の中を支配する。
 快楽など一切無視して、力任せに体内をかき混ぜ続けた。
 大郷は一頻り俺を犯すと、ベッドに隣接するソファに腰掛けて煙草に火を付けた。
 備え付けの灰皿に灰を落とすと、口を開く。
「戻るのか?」
 今度は冷静に。
 いや、そう装いながら俺に問い掛けた。
「いけませんか?」
 躰を起こすのもままならず、俺は俯せになった姿で、顔だけを大郷に向けた。
 大郷は目を見開いて眉根に皺を寄せると、明らかに嫌な顔を見せる。
「バラしますか?」
 大郷がどう思うかよりも、俺はそっちが気になっていた。
「いや、君が戻りたいなら……終わりにしよう」
 思い掛けない言葉だった。
「だが、その前に」
 大郷は吸い掛けの煙草を揉み消すと、俺の近くに来てベッドの端に腰掛けた。
「もう一度……」
 そう言いながら、大郷は俯く。
 鈍痛を感じる下腹部で、大郷をこれ以上受け入れる気は俺にはなかった。
 だが……何故そんなにも悲しい表情なのか。
 暗く瞳を落とす男に、俺は手を伸ばして頬を撫でた。
 すると大郷は驚いた様に顔を上げて、悲しみを孕んだ瞳で口角を上げる。
 俺は自ら大郷を引き寄せて、自分を差し出していた。
 最後だからと、少しばかりの情が沸いたのかは解らないが、己の行動が理解出来ない。
「ふ……んっ」
 仰向けになった俺の胸元に顔を埋めて、舌先で小さな突起を転がしながら、大郷は俺の快感を煽る。
 丁寧に何度も舐められ、敏感に立ち上がったそれを吸い上げては舌で押し潰し、何度も舐め上げる。
「ん……んっ」
 弱い部分を執拗に攻められて、気が付けば躰の中心は熱を持ち始めていた。
 大郷はそれに手を掛けると、やんわりと扱いた。
 弱々しいその動きに、俺はもどかしさを感じて、無意識に腰をくねらせる。
 それと同時に痛みを伴っていた筈の場所から甘い痺れが産まれて、俺の躰を疼かせた。
「は……ぁ……」
 耐える様に息を吐いた俺に、大郷は潤滑剤を自分の指に垂らすと、それをそのまま俺の孔に塗り付けた。
 先程の行為で裂けた部分を労る様に、大郷はゆっくりと俺の中に指を潜らせる。
「あ……」
 小さく鳴く俺に、大郷は気遣った。
「辛いか?」
 俺は口許を掌で隠しながら、首を振った。
 今は痛みよりも、疼いた躰がもどかしくて辛い。
 無理をすればすぐに痛みを伴う事は解っていたが、いつもと違う愛撫に、俺の躰は翻弄されていた。
「もう……」
 耐え切れずにそれだけ言うと、大郷は深く指を進めていつもの場所を刺激する。
 動きが激しい訳ではないが、大郷は確実に俺の欲を掻き立てた。
 快楽に酔いしれながら全てを大郷に委ねていると、大郷は指を引き抜いてまた潤滑剤を付け足した。
 入り口を二本の指で抜き差ししながら、潤滑剤を馴染ませる。
 その行為にさえ、俺は動きに合わせて声を漏らした。
「んっん……っ」
 滑りを良くすると、大郷は俺の顔を心配そうに覗き込みながら、猛った己をゆっくりと挿入してくる。
 俺の両足を折り曲げて俺の中心にいる大郷に、俺は羞恥心を覚えた。
 何度となく躰を重ねていても、正面から抱き合う事はなかった。
 情などないと、いらないと思ってなのか、大郷は俺を抱き締めた事がない。
 だからこそ、恋人だと錯覚する事はなかった。
「う……あっ」
 目の前に相手がいると思うと恥ずかしくて、瞳を開けられずに瞼をきつく閉ざした。
 だけど深くなる結合部から、その距離が縮むのが見えていなくても解る。
 終いには、吐息が頬を掠めた。
 恥じらいを感じる様な年ではないが、大郷との距離感に俺の心臓は速度を速めた。
「は……あ……んんっ」
 攻め方が違えば感じ方も違うのか、いつもよりも大郷の質量が内壁を押し広げている。
 瞳を閉じている間も視線を感じて、全身が高揚している様な錯覚を覚えた。
「槻片……」
 ただ名前を耳許で呼ばれただけで、嫌気所か俺の感度を研ぎ澄まさせた。
 深くまで俺の中に収めると、安堵する様な息遣いが聞こえた。
 いつもなら聴く筈のないそれに、俺の心拍数は上昇した。
 ゆっくりと浅く動きながら、快楽を得ると言うよりは、馴染ませる様に気遣われた。
 微かな刺激にさえ俺の中では甘い疼きが広がり、その間も大郷の視線を感じて俺は羞恥心でいっぱいだった。
 大郷は徐々に入口まで引き抜き出して、次第に快楽を得る様に、敏感な部分を攻め出す。
 激しくなっていく中で、大郷は俺に覆い被さる様に距離を縮め、肌と肌が触れた。
 耳許で聞こえる息遣い、肌から伝わる心音。
 きっと何かを錯覚したのだろう。
 俺は思わず、大郷の背中に手を回した。
「槻片……」
 抱き締めると熱っぽい声が聞こえ、喘ぐ俺の唇を塞いだ。
 舌と舌を絡めて深くお互いを求め、エクスタシーに浸る。
 いつもの強いられている様な義務感はなく、与えられる快感に安堵さえ感じていた。
 これが最後だと──安心から来るものだと思っていた。
 大郷との関係が切れてから、二週間が過ぎた。
 解放された筈の俺は、未だ捕らわれたまま……。
 最後の情事が、頭から離れない。
 与えられた仕事をこなしながら、俺にはある考えが渦巻いていた。
 だが、それを実行するか悩まれた。
 何故、そう考えるのか……そうしたいのか、自分が理解出来ないからだ。
 仕事を終えた俺は、会社のエレベーターへと乗り込んだ。
 丁度降りる時に、携帯電話が振動した。
 俺は慌てて携帯を取り出し、着信の相手を確認せずに通話ボタンを押した。
「はいっ」
 心なしか緊張して、声を震わせながら出ると、携帯からは聞き慣れた声が聞こえた。
『愁威、俺だけど』
「裕弥……」
 裕弥の声を聴いて、落胆した自分に驚いた。
 この間の事が脳裏を過ぎり、複雑に心が揺れる。
 きっとそれが原因だろう……。
 俺は呼ばれた居酒屋へと足を運んだ。
 中に入ると一つ一つが個室になっていて、裕弥が待つ部屋へと通された。
 部屋の中は差程広くもなく、四人用の掘り炬燵があった。
「ビールで良いか?」
「あぁ」
 電子メニュー表で注文をすると、程なくしてお通しと頼んだメニューがテーブルの上に並べられた。
「この間、営業部の藤北がな……」
 前の会社の人達の話を聞きながら、俺は何処か上の空だった。
「愁威、それでな」
「ああ……」
 時折呼ばれる名前に、辛うじて返事をしながら、俺はこの場をやり過ごしていた。
「そしたら、大郷部長が……」
「えっ?!」
 突然出て来た名前に、俺は声を上げて動揺した。
「どうした?」
 過剰反応を示した俺に、裕弥は唖然とした表情で、俺に眼を合わせて来た。
 俺は何故か後ろめたい気持ちになって、咄嗟に眼を逸らす。
「愁威、具合悪いのか?」
 心配そうに覗き込む裕弥に、俺は居たたまれなさを感じた。
「大丈夫……」
 巧い言い訳は思い浮かばず、俺は只それしか言えなかった。
 程なくして、俺と裕弥は店を出た。
 連れられて気が付けばホテルの中で、俺は流されていた。
 背広を脱がされて、裕弥の手がネクタイに掛けられ外される。
 微動だにしない俺を、裕弥は抱き締めた。
 懐かしい匂いに包まれ、昔の事が思い出される。
 初めて会った時の印象。
 強引な後輩から、頼もしい恋人に替わり。
 幼さの残る顔付きから、男らしくなって行く姿。
 だけど全ては、過去のもの。
 嫌いになったとは少し違うが、今の俺が求める人ではない。
 それだけは解った。
「裕弥……」
 やんわりと躰を押し退ける俺を、裕弥は右手を掴んで腰に手を回して引き寄せた。
 上を向けば唇を塞がれ、熱い舌が口内に入ってくる。
 既に知っている躰。
 お互いに相手は居らず、何の問題もない。
 交わるだけなら、今までだって散々して来た。
 その相手が只、裕弥に代わるだけ。
 だが一つ違うのは、
「愛してる」
 耳許で囁かれる声には、応えられない。
 口腔を弄られながら、俺の後ろにあるベッドへと押し倒された。
 器用に釦を外され、掌が胸元を滑る。
 微かに触れた突起を指で摘み、円を描く様に動かされる。
 快感は得られるが、やはり頭の隅で“違う”と警報が鳴る。
「裕弥……悪い」
 先程よりも強く引き剥がし、絡んだ舌をも離させた。
 ベッドの上に両膝を付いて、俺を跨ぐ裕弥を俺は見上げた。
「愁威?」
 熱を持った眼差しが、俺に問い掛けている。
「悪い、裕弥とは出来ない」
「何を、今更」
 呆れた様に、裕弥は嘆息した。
「そう、今更だ。俺を棄てたのに、自分勝手に俺を求めるな」
 蔑む様に裕弥を見上げ、俺は上体を起こしながら裕弥を退かした。
 ベッドから立ち上がる俺を、裕弥は背後から左腕を掴んだ。
「愁威っ!」
 縋るような眼を向けられるが、もう答えは変えられない。
「やっぱ、許せないのか?」
「違う、そうじゃない」
 浮気が許せないんじゃない。
 ただ……気付いてしまったんだ……。
「好きな奴が出来た、それに気付いただけだ……」
『愁威、ごめんな。俺、好きな奴が出来た』
 皮肉にも、咄嗟に出た台詞は三ヵ月前に俺が言われた言葉だった。
「そっか……」
 それに気付いてか、裕弥は力無く滑り落ちる様に左腕を離した。
 裕弥は何かを考える様に、ベッドの端に腰掛けて俯いた。
 その間に俺は衣服を整え、帰り支度を済ませる。
 終わると丁度に、裕弥は呟いた。
「悪かった」
 何に対してなのかははっきりと解らなかったが、多分、別れる時に辛い思いをさせた事。
 今の俺が、そうだから……。
 足早にホテルを出ると、俺は街頭が照らす道をただひたすら歩いた。
 耳に押し充てた携帯電話からは規則的なコール音が響き、相手が出るのを待ち侘びては空を仰いだ。
 街頭の灯りで星は上手く見えないが、青白く光る月だけは良く見える。
 少し欠けた月に心奪われた時、待ち佇びた相手がやっと出た。
『はい』
「大郷さん」
『槻片か?』
 名前を呼ぶと、大郷は確認する様に俺を呼んだ。
 俺から大郷に電話をするのは今回が初めてで、大郷が戸惑っているのが受話器越しでも解った。
 本当は、大郷が俺にする様にホテルに呼び出すつもりだった。
 だけどそれを大郷に言うと、返ってきたのは意外な言葉だった。
『嫌でなければ……俺の家に来い』
 俺は渦巻く考えを実行しようとしていた。
 巧く行くかは解らない……。
 だが、それを理解出来ただけでも大きな進歩だ。
 俺はずっと鞄に忍ばせていたある物を握り締め、大郷に二つ返事をして携帯を閉じた。
 言われた住所をタクシーに告げると、住宅地の一軒家の前で下ろされた。
 表札には“大郷”の文字。
 呼び鈴を押して出た相手に、俺は緊張を走らせた。
「槻片……どうした?」
 本当に俺が来ると思っていなかったのか、大郷は動揺が隠せないと言う様に瞳が大きく揺らいでいる。
「お伺いしたい事が、あるんです」
 さも大義名分がある様に、俺はそこで言葉を区切った。
 家の中へ通され、広いリビングのソファへと促される。
 だが俺は座らずに、真向かいにいる大郷の前へと向かった。
 俺の奇行に、座ったままの大郷は不思議そうに顔を上げた。
「槻片?」
俺は徐に、ビジネスバッグからそれを取り出した。
「コレ、何だか解りますか?」
「槻……か、た?」
 動揺を露わにする大郷を見下ろしながら、俺は答えを教える。
「テープレコーダーです。この中に、大郷さんが俺を脅していた物的証拠があります」
 大きく見開かれた瞳、震える唇。
 それが形勢逆転を示し、計画が一つ成功した事を表す。
「恐喝罪と人権損害で、貴方を訴えられる」
「そんな事をすれば……っ!」
「バレても構いません。何より、俺は名前を伏せて貰える……立場的に不利なのは、そちらですよ」
 苦虫を噛んだ表情に、俺は大郷が座るソファの背も垂れに左手を置くと、大郷との距離を一気に縮めた。
「起訴されたくないですか?」
 眉根に皺を寄せてきつく閉ざされた瞼に、俺は頬を緩めた。
「取り下げて挙げても良いですよ」
再び開かれた瞳に、俺は告げる。
「ですが、一つ条件が有ります」
「金か?」
 己を脅かす俺を、大郷は凝視した。
「違います」
 それを見詰め返しながら、更に続ける。
「貴方の気持ちを教えて欲しい」
 その言葉に、大郷は困惑を隠せないでいた。
「何だ、それは……」
 “たかだか、そんなもの”とでも言いたげな雰囲気だが、俺には重要だった。
「何故、俺を抱いたんですか?」
 今まではずっと性欲処理だと、ストレスの捌け口だと思っていた。
 だけど、あんな抱かれ方をされて……。
 俺は、どうしても忘れられなくなった。
 最後だからと言って、今までと違う抱き方なのがどうしても腑に落ちない。
「難しい要求ではないと思いますが?」
 中々口を割らない大郷に、俺は煽る。
「起訴されたいんですか?」
「本当に、それが目的か?」
 小さ過ぎる要求に、大郷は疑念を抱いた様だ。
 俺はわざとらしく口角を上げて、大郷との距離を更に縮めた。
「俺を抱いて下さい」
 唇が触れそうな距離感。
 要求を呑んだ大郷の右手が俺の頭を押さえ付け、口腔を弄る。
 感じる熱から伝わるもの。

 暴かれたのは……。

2


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