PAPILIO
BL/ML/短編集
欲情と略奪に嫉妬の華
芸能事務所があるビルのエレベーター内で、僕はある男に脅されていた。
「お前、次の撮影でヘマしたらクビにするからな」
彼の名前は磐代弘樹、二十三歳。
僕は黒崎侑斗、二十歳。
彼は同じ事務所の先輩俳優で、今の事務所が大きくなったのは彼が爆発的に売れたからで、そのせいで彼はとても偉そうだった。
「すみませんでした、以後気を付けます」
何度目かの同じ科白。
余程気に食わないのか、先程から僕は何度も謝らされていた。
「お前、女の扱い方知らねぇのか?」
僕は表情が強ばるのを自分でも嫌になるくらい、はっきりと解った。
それは磐代さんも同じ様で、深い嘆息を吐かれる。
「図星かよ」
嫌味を含んだ声が左側から伝わる空気さえも変えて、僕の胸を苦しめた。
「すみませ……」
「謝る事じゃねぇけど、役者だったら役に必要な動きくらい出来る様にしとけ」
そう言い捨てて、磐代さんは開いたエレベーターから出て行った。
僕が出演するドラマは、傾き掛けた居酒屋を経営していた両親が亡くなり、その店の息子が店を畳もうとした所に、親に勘当されて出て行った筈の兄が戻って来る所から始まる。
兄弟で店を再生させる事になるのだが、兄のせいで余計に店が滅茶苦茶にされたり、救われたり、窮地に追い込まれたり。
そんな中で弟が長年付き合っていた彼女を兄と奪い合うと言う、なんとも忙しないドラマだ。
それでも最終話まで彼女がどちらを選ぶかは内緒にされていて、僕が演じる弟と磐代さんが演じる兄によって、話を差し替えると監督は言っていた。
だからそれぞれの彼女との絡みも大事で、毎回の進展具合も重要視される。
それに僕は長年付き合って来た彼氏役。
彼女との触れ合いがぎこちないのは、話にならない。
下手したら、降板されてもおかしくない。
僕は脅迫観念に駆られながら、磐代さんの後を着いて行った。
「あら、二人とも早かったのね」
事務所の受付を通って広い部屋に入ると、事務所の社長が驚いた顔で僕達を迎えた。
「菫さん、こいつ全然駄目。話になんねぇ」
「ん? 何事?」
磐代さんはこれ見よがしに社長の菫(すみれ)さんの所に行って、僕の不手際を遠慮なく話し始めた。
「黒崎くんは演技を習い始めたばかりで、このドラマが初出演よ? 失敗しても仕方がないわ」
「だけど、こいつのせいで今日の撮影打ち止めになったんだぜ? 降ろした方が早いって」
磐代さんは、態と僕に聞こえる様に大声を出した。
「確かに降ろした方が早いけど、出来ない子を成長させるのもプロの演技者として大事な事よ。貴方だってそうだったでしょう?」
「忘れちゃいねぇけど……」
菫さんの一声で磐代さんは閥が悪いとばかりに顔を歪め、僕は少しだけ胸の奥がスッキリとした。
「そしたら貴方が黒崎くんの演技指導をしてあげて。養成所に通っている時間もないし、共演者なら空きも一緒でしょう。何より貴方の為にもなるのだから、一石二鳥よ」
だけど、何だか話の方向性が……。
「そうと決まれば、早速二人でして来なさい。今は二人共ドラマ一本なのだから、どうせ暇でしょう? 黒崎くん家なら、丁度良いわ」
社長にそう言われれば、しがない俳優二人、従うしかない。
磐代さんも事務所で威張っているとは言え、社長には昔お世話になったらしく、強くは言えない。
案の定、磐代さんは僕の部屋へと着いて来た。
とは言っても僕が住んでいるマンションは事務所が用意したもので、菫さんの旦那さんが経営している。
入居者は事務所関係者限定で、まだ名の売れていないタレントや俳優の卵などが暮らしていた。
「思ったより広ぇな」
部屋は2LDKで、十畳のリビングと八畳の洋室が二つ。
一部屋五万円で、誰かとシェアすれば部屋代は半額。
部屋の造りと立地条件を考えれば、こんな良い部屋はない。
「……磐代さん、本当にやるんですか?」
「仕様がねぇだろ。社長の命令なんだから」
「それはそうですが……」
とは言え、磐代さんが彼女の代役をするのはかなり無理がある。
それに、僕が躓いているシーンは……
「彼女の部屋で、無理矢理キスしてベッドに押し倒すシーンだっけ?」
そう、彼女を部屋まで送った弟が、兄に揺れている彼女に業を煮やして押し倒すシーンだ。
「んなもん、恥ずかしがってねぇでサッサとやれ」
経験豊富な磐代さんからしたら、その一言で終わる様な出来事なんだろうけど、そんな経験もない僕がどう動いて良いか解る訳がない。
「申し訳ありませんが、磐代さん相手でそのシーンは無理があると思います」
「確かにな。だけどお前の場合、要は羞恥心を無くせば良いんだろう?」
ベッドがある僕の部屋へと移動した磐代さんは、意味あり気に笑った。
「別に一連の動作をしなくても、その羞恥さえ拭えば出来んだろう」
人が散々リテイクを出した問題を、磐代さんはあっさりと言ってくる。
「それはそうかも知れませんが、どう考えても無理が……」
「つべこべ言わずにやる! 明日には出来る様にしとかなきゃなんねぇんだから、時間の無駄!」
捲くし立てる様に言いくるめられて、敢えなく磐代さんの演技指導が始まった。
「黒崎、違ぇよ。そうじゃない」
何度目か解らない、リテイク。
「お前はまず、至近距離に慣れろ」
そう言われても、この体勢は耐え難い……。
「すぐ眼ぇ逸らすから、駄目なんだよ」
「こ、この状態で十秒キープは無理ですっ」
たまらず逃げようとする僕に、磐代さんは容赦なく頬を鷲掴んで“定位置”に引き戻した。
「此処から逃げんな。この距離感に慣れれば、フェイクのキスも出来るだろう」
磐代さんに指定された定位置はベッドの足元に腰を下ろした磐代さんの膝の上で、向かい合わせの体勢で鼻先が触れそうな程の距離を保ちながら、十秒間見詰め合うと言うもの。
だけど僕は先程からそれが出来なくて、ずっと怒られている。
「俺相手に出来れば、眼を瞑ってるか伏せてるかの女にも出来るだろう」
確かに同性と至近距離で見詰め合うよりも、視線が合わない異性との方がこの距離は保ち易い。
だけど、本当にこれで克服出来るかは疑問だ。
磐代さんにじっと見られながら、僕も磐代さんを見なければならない。
磐代さんは人気俳優なだけ在って、整った男性的な顔立ちに筋肉質で引き締まった体躯。
焼けた肌が一層凛々しさを増している。
余りにも自分との違いに僕は距離感だけではなく、コンプレックスから来る羞恥心に囚われて、思わず眼を逸らしてしまった。
「お前、そんなんじゃ彼女を易々と兄貴に盗られるぜ? それとも、降板させられるか……」
元々僕は雑誌モデルで、俳優に転向する為に先月から養成所に習い始めたばかり。
大学と掛け持ちをしながら養成所に通っていた中で、良い経験になるからと、このドラマのオーディションを事務所から勧められた。
──そう、落ちるの覚悟で受けた筈だった。
それが運良く選ばれてしまったけど、今は剥奪されたくはない。
まして、兄に彼女を盗られるのも御免だ。
磐代さんの言葉が、僕の激昂に触れる。
「そんなの嫌だ!」
気が付けば、僕は勢い良く彼を押し倒していた。
「やれば出来んじゃねぇか」
不意を付かれた磐代さんはベッドに横になったまま、はにかんで笑った。
それが余りにも見た事がない表情で、僕は暫く見惚れてしまっていた。
「まぁ、色気は足んねぇけどな」
「色気……ですか?」
磐代さんは、また難題をふっかけて来る。
「こればっかりは、経験のねぇお前には無理だろうな」
「悪かったですね!」
「だから、教えついでに引き出してやるよ」
磐代さんはそう言うと、膝から僕を退けて立ち上がった。
「見本見せてやっから、お前彼女役な。立ち位置は……此処だな」
僕をベッドから少し離れた場所に立たせると、磐代さんも僕から少し離れて位置を確認する。
「細かいのはすっ飛ばして、弟の台詞から入るからな」
「あっ、はい」
つまりは部屋に辿り着いた彼女が弟に背を向けたまま、他愛ない会話をして上着を脱ぐシーンだ。
来月から始まるドラマだから撮影中は秋物を着用しているが、今は着ていないから僕は磐代さんに背中だけ向けた。
『なぁ……兄貴のこと好きなのか?』
気持ちが揺れ動いている自分を見透かされて、動揺した彼女が振り返るのが合図。
振り向いた僕に、磐代さんは一気に近付いて唇を奪った。
「ちょっ! いわ……っ」
撮影現場ではカメラワークが切り替わるから本当にする必要はないし、今だってされるとは思っていなかった。
「んんっ」
逃げない様に下顎を掴まれて、腰を引き寄せられて……力強く抱き締められる。
舌を絡め取られては舌根を強く吸われて、僕の思考さえも奪おうとしている。
顎を掴んでいた左手は後頭部へと移動し、更に深くへと僕を誘導した。
僕は今までにした事のない濃厚なキスに、息苦しさで視界が潤んだ。
もう抗う気力もなくなった頃、僕は後ろのベッドへと押し倒された。
荒くなった息遣いと、濡れた瞳。
痺れた様な感覚が、僕を捉えている。
「ほらな、出てきた」
僕を組み敷きながら、磐代さんは真上から見下ろした。
「立場は逆だが、その“感じ”を忘れんなよ」
「あっ、はい。 ありがとうございます」
キスされたのもその為だったのだと理解し、僕は不本意ながらも笑顔を向けた。
すると磐代さんは僕を覆う様に上体を曲げて、頬に触れる黒髪がくすぐったい。
「やっぱ俺、奪われたくねぇわ……」
確かに、敵役の僕の演技指導をすると言う事は敵に塩を贈る行為で、自分を追い込んでいる様なものだ。
監督の求めるものが“本気の奪い合い”だから、絶対にラストは語られない。
磐代さんと真っ向勝負だ。
「撮影だとしても、お前を奪われたくない」
「へ?」
何を言い出すのかと視線を向けると、磐代さんも僕を見ていた。
鼻先を合わせるよりは離れていても、練習で見詰め合うのとは訳が違う。
今まで味わった事のない緊張感が走る。
「お前を女に盗られたくない」
そう言って磐代さんは一気に距離を詰めて、また僕の唇を塞いだ。
そのキスの意味を知ってしまった瞬間、先程よりも熱がある気がして、神経が研ぎ澄まされた様に磐代さんを強く感じた。
いつも人を馬鹿にした粗野な態度と言葉遣い。
だけど仕事だけは真面目で、時折優しくて……掴めない。
「お前と女取り合うんじゃなくて、お前が欲しいんだけど」
ストレートな物言いに、僕は赤面してしまった。
「いっそ、辞めちまえ」
「やっ辞めません!」
「俺が頼んでもか?」
凄む様にして、磐代さんは有無を言わせない雰囲気を醸し出すが、僕だって引きたくない理由がある。
「磐代さんと正面から演技がしたいんです」
普段はとても尊敬出来る様な人じゃないけど、僕はこの人の演技が好きだ。
そして時折、不意打ちに優しく笑うこの人の笑顔が好きだ……。
「じゃあ、プライベートで俺のものになれな」
だけど、にやりと笑う悪どい顔は嫌い。
「ちょっ! いわ……っ」
言い切れなかった言葉は磐代さんの唇に呑まれ、僕は為す術もなく彼のものになるしかなかった……。
(は?! いや、ちょっと待っ…………!)
ありがとうございます!