Order Made
ML/リクエスト企画/短編集
躊躇う君に艶かしき接吻を 不条理な微笑
渦を巻いて排水溝に流れて行く湯を眺めながら、シャワーを止めた。
蛇口に右手を乗せたまま、俺は動かなかった。
“今”と言う安息の地を少しでも感じてたくて、外で待つ“凶悪者”から逃れた。
しかし何時迄もこうしている訳にはいかず、俺は瞼を閉じて息を呑むと、踵を返した。
洗い立てのバスタオルで躰を拭う手が重い……。
必ずしも此処が安全ではない事を知りながら、壁で隔たれた空間に俺は居心地を感じてしまう。
母を亡くしてから二年。
俺は大学一年生となったが、未だこの家を出られない。
俺は、二十六も離れた母の再婚相手に、脅威を抱いていた。
俺は洗面所を出ると、リビングへと続く扉を開けてゆっくりと歩みを進めた。
「相変わらず、長いな」
革製のダーク・ブラウンのソファに座りながら、男は俺を見据えて毒のある笑みをわざと見せ付けた。
徐に立ち上がり、眼を合わせたまま近付いて来る。
「さて、私も入るとしよう」
正面を捕らえたまま微動だにしない俺の首に、触れない程度の距離まで唇を近付け、そっと囁く。
「お前の馨りを堪能しながら、躯の芯まで浸かろう。それまで、ここから動いてはいけないよ。動いたら……解っているね──駿人」
笑みを含ませ、男は俺が先程までいたバスルームへと向かった。
俺は後ろで扉が閉まる音を感じると、漸く深い息を吐いた。
柊流──俺の母、皇若菜と五年前に再婚するが、三年と言う短い月日で母は他界した。
流が営むピアノ教室からの帰り道、操作を誤ったトラックにガードレールごと潰されてしまった──。
それから優しかった筈の流は、人が変わってしまった。
口調が変わり、態度が変わり……そして今は──。
始まりは二ヵ月前。
いつもと変わらない夕食後。
食器を片付ける俺の背後に、奴は近付いて来た。
「流さん?」
雰囲気の違う流に、俺は声を掛けた。
その瞬間、流は俺の右肩を掴み、自分の方に無理矢理向かせた。
その反動で俺の手から持っていた皿が零れ、無残な音を立てる。
状況を把握出来ない俺だったが、奴の顔を見るなり、事の真相が解った。
座った目に高揚した顔……欲望を滾らせた男のそれだった。
「流さん、何を……」
恐怖から声が震えた。
男の眼はそのままに、口角だけが引き上がる。
それが更に恐怖心を煽り、背筋に冷たいものが走った。
後ろにあるリビングテーブルと流に挟まれた俺は、足元に散らばる無数の破片に構うこと無く、その場から逃れる為に僅かな隙間に身を捩った。
しかし流に右手を捕まれ、それは叶わない。
流は勢い良く俺の躰をテーブル上に押し倒しすと、両脇に手を付いて動きを封じる。
「なが……」
名を呼ぼうとしたが、奴の低い声が制止する。
「駿人……私は三年と言う短い年月で妻を亡くした。残されたのは、私と君だけ。同じ男なら解る筈だ。残された男の気持ちを──行き場の無い欲望を」
切羽詰まった面持ちから凶悪な笑みへと変わり、奴の両手が俺の首元へと伸びた。
濃淡の濃い青色のタンクトップの上に薄地の白いシャツを着ていた俺は、ウエストの所で二つだけ釦を留めていたが、流はシャツの襟元を掴むと、それを一気に腕の関節まで下ろした。
「流さんっ!!」
これから起こる事は明確で、俺はなけなしの奴の理性に呼び掛ける様に叫んだ。
しかし、効果は得られない……。
奴は俺の着ているタンクトップを鷲掴みにし一気に捲し上げ、俺の胸板に顔を寄せると中央部の胸骨に舌を這わせた。
俺は余りの気持ち悪さに眩暈を覚えたが、何よりも逃げ出したかった。
腕はシャツで拘束されていたが、俺は覆い被さる男を退かそうと、上体を起こして奴の両肩に手を掛けた。
その衝撃に釦は千切れ、テーブルから床へと散らばる音が鼓膜を震わす。
しかし俺の抵抗も虚しく、流は簡単に俺の両手首を掴むと、再び押し倒して頭上で両手を押さえ付ける。
「逆らってはいけないよ。痛め付けたい訳ではないのだから──」
いつもと変わらない優しい声。
だが、明らかに隠し切れない狂気の色が見える。
忠告……と言う依りは脅迫めいた科白。
俺は眼を見開いたまま、流から視線を外せなかった。
奴の動向を探り隙を見出だそうとするが、狂気を滲ませる男に隙はなく、恐怖心だけが俺を支配する。
抗う術はない──事実を知りながら、俺は両腕の力を弛める事が出来ない。
流は俺の両足の間に立ち、左手一つで俺を拘束する。
ガラ空きの腹部に、俺は左脇を強く蹴り上げた。
流の体がグラ付いた隙に俺はすかさず上体を起こして男から離れ様としたが、男はすぐに体勢を整え、俺を突き飛ばす。
「悪い子だね」
俯せに為った俺を流は真上から見下ろし、薄く笑う。
「容赦は無しだ──」
顔付きを全て変え、冷酷な眼差しで俺の躰から白いシャツを剥ぎ取ると、そのまま両腕をきつく縛った。
流は皿の破片を拾い、俯せに為っている俺の右横にそれを突き立てる。
「逆らってはいけない」
と、俺に叩き込む様に……。
血の気が引く音を聴きながら横目で後ろを見遣ると、流は俺の後ろで刺した破片で傷付けた掌を舐め上げていた。
「さぁ、歓楽させてくれ」
喜々としたドス黒い声が、俺の脳髄に刷り込まれる。
「駿人……私の憎い子」
笑みを貼り付け、俺の両肩に触れるとゆっくりと項に顔を埋める。
首の付け根を執拗に舐められ、恐怖と怒りと消失感と言う、決して混ざり合う事の無い情緒に俺は苛まれた。
耐え難い現実に、俺は瞼と唇をきつく閉ざす。
「駿人……何故産まれて来たのか」
紡ぎ出される言葉は残酷で、今まで伏せられていた流の真実──。
流は俺を仰向けにすると、肌を露にして覆い被さって来た。
弄る手と這わせられる舌は快楽を煽る為のものだったが、虚無にある俺の躰が悦ぶ筈はなかった。
「止めろ……」
聞き入れられないと知りながら、俺は何度も呟く。
流は気に止める事なく、胸の小さな突起に舌を這わせては掬い上げ、左手でもう一方を強く摘む。
「もう……嫌だ」
「そう言う声も良いが、少しは甘い声を出したらどうだ。お前の中に眠る、甘美な声を私に聴かせてごらん」
俺の躰に触れたまま、流は囁く。
そして──
「歪んでイク顔で私を煽れ」
毒を吐く。
胴体を執拗に舐め尽くすと、奴は俺のジーンズのベルトに手を掛けた。
「何で…俺に……」
その先は言えなかった。
悍ましくて、口にもしたくない。
流は顔を上げて、深く優しい声を出す。
「私が愛した女の子。そして、知らない男の忘れ形見──」
言いながら、流はそっと両手を俺の首に当てる。
「愛してるよ、駿人──私を憎め」
首を絞めたまま、流は俺に深い唇付けを施した。
差し込まれた舌は口腔を弄り、口蓋から歯裏をなぞって舌を何度も吸っては俺の神経を刺激する。
「駿人……私だけを」
その先は言われないまま、男はジーンズを床に落とす。
短時間で起きた出来事と流の科白に、俺の頭は混乱していた。
整理し切れないまま流の意図を考えるが、辿り着ける筈もない。
矛盾する言葉が二つ並び、今し方発せられた言葉はどちらに結び付くのか。
思考の渦に囚われた俺の躰を、流は構わず凌辱していく。
太股を掌で撫で、それを追うように奴の唇が追い掛けてくる。
そうしながら下着の上から俺自身に触れると、流は小さく笑う。
渦中にいる俺の耳に、嫌な声が届く。
「やはり、人間と言うのは不思議なものだな」
俺はハッとして、視界を下腹部に移す。
「お前は、心底嫌がっているのにな」
笑みを浮かべたまま左手でそっと反応し始めた俺のソレに触れ、下着から取り出すと亀頭を咥えた。
生暖かい口内と濡れた舌が、脳を刺激する。
流は更に咥え込み、裏筋を舌でなぞる様にしながら上下に動かした。
口全体で己を扱かれ、情欲を無理矢理抉じ開けては追い詰めてくる。
「止めっ…」
制する声は甘味を帯び、俺は口を閉じた。
押し寄せる快楽に理性で立ちはだかり、決して奴を悦ばす様な真似はしたくない。
息を詰める俺に、流は更に追い込もうと手を使い出し、口で吸いながらそれを追って扱く。
俺は突き上げてくる快感に、全てを奪われそうだった。
「我慢には限りが存在するのだよ、駿人」
諭す流に、反抗心から俺は理性を取り戻す。
だが、それを嘲笑う様に流は速度を上げる。
詰められた吐息は行き場を失い、唇から漏れてしまった。
「それで良い。もっと聴かせなさい、駿人」
歓喜を含んだ声が、耳につく。
既に意識は危うく、理性は遠ざかり始めている。
「駿人、もう我慢は無しだ」
一度零れた吐息は止金を外し、堪えていた分絶え間なく口を吐く。
頂へと昇り詰める色情に、俺は瞼を閉じて深く息を吐いた。
果てた俺を流は覆い被さりながら、顔を覗き込んでくる。
「快楽に浸る君を観ていると、私は陶酔してしまいそうだ」
瞳を閉じたまま呼吸を整える俺を見詰めながら、流は零す。
「憎悪を抱くお前を凌辱する事で──愛しい君を甘美にする事が出来る。私に取っては、至極快心な情事だ」
歓びを露にする流に、俺は一睨みする。
「善い表情だ。君の一つ一つが、私を悦楽に誘ってくれるよ」
凶悪な笑みが、また顔を覗かす。
「お前の思惑とは裏腹にな」
下顎を掴まれ、最初よりも激しい噛み付く様なキス。
男は下着を剥ぎ取ると、性器よりも奥に秘められた小さな窪みに触れた。
「んっ……!」
俺は眼を見開き、舌を噛み切られる様なキスの合間でさえも声を漏らした。
羞恥心よりも恐怖心が勝り、次に何が来るのか解らない俺は、縛られている両腕に力が入る。
「あ……っ」
容赦なく秘部に指を入れられ、機能とは反する行為に俺の躰は戦慄(わなな)いた。
「いっあ……」
痛みを我慢する俺に、男は微笑む。
「出来るだけ、優しくはしてあげよう──お前次第だがな」
憎しみが滲む目付きで流は俺の足を押し拡げると、指の代わりに舌を差し入れてきた。
嫌悪感が更に膨らみ、俺は抵抗する。
「止めろ……!」
だが、奴の舌は構わず奥へと進む。
痛みとは相反する感触に、俺の躰に何とも言えない感覚が押し寄せる。
「やっ……はぁっ」
零れる吐息は熱を帯び、感情とは別の反応が現れる。
無理矢理、全てを虐げられて行く……。
「止めてくれ! 流さんっ!」
震える息と共に、俺は叫んだ。
しかし、それはただ空気を震わせただけ。
「逆効果だ」
感情の昂振りを示す声色に、俺は瞳を強く瞑った。
男は思う存分に舐め尽くし、ゆっくりと舌を抜く。
安堵は束の間で、濡れた窪みに再び指で抉じ開けられる。
先程とは違い、痛みは軽減されて強い刺激が躰を駆け巡った。
顔を顰める俺に、男は微笑を携える。
「躯に従って、私に身を委ねなさい──君の為だ」
優しく諭すその声に、目論みを感じる。
「早く……終わらせろ……」
長く感じるこの刻(トキ)が早く過ぎ去る事を、俺は願う。
「仕方のない。どうなろうと、君が望んだ事だよ」
望んでなどいない。
理不尽な責任に、俺は辟易した。
流は意味有り気に微笑むと、自分の穿いていたズボンのファスナーを開け、己を引き摺り出す。
「私を快楽に導きなさい」
視なくて良い現実。
今までの安らぎの日々さえ或れば良い──。
男は力無く垂れる俺の右脚を膝の裏から持ち上げ、もう一方は太股から押し拡げた。
充分に濡らした俺の秘部に、昂振った己を押し当てる。
「強がりは、もう止めだ」
そう言うと、男はゆっくりと俺の中に侵入して来た。
「嫌だっ! 流さん!!」
意味が無いと知りながら、心が悲鳴を上げる。
躰を駆け巡る激痛に耐え兼ねて、悲痛な声が漏れた。
「君の声は快音だ。私をもっと魅了して、欲情させなさい。卑猥な声を聴かせておくれ……」
全てを俺に飲み込ませ、耳元で囁く。
だけど苦痛に苛む俺は、言葉の意味を巧く飲み込めない。
意識を繋ぎ止めるだけで精一杯だった。
躰が異物に慣れる前に、奴は動き出した。
最初はゆっくりと。
しかしそれは次第に速度を上げる。
容赦無く繰り広げられる行為に、俺は息が出来なくなって行った。
苦痛に歪む俺に、男は北叟笑む。
「その顔が見たかったのだよ。私の欲情を掻き立てる──君は素晴らしい子だよ、駿人」
嬉々として、男は俺を見下ろした。
掴んでた両足を高く持ち上げ、俺の方に寄せながら更に深くへと結合し、少し腰を引いては大きくくねらせた。
内壁を外側に押され、俺は一層声を上げる。
理性とか道徳とか、既に何も考えられない。
「悦楽に溺れなさい」
恍惚な顔をして、男は欲望を追い掛ける。
俺はそれが嫌で、過去に縋った。
「父さん──」
母さんがいた頃、この男を呼んでいた名称。
だけど男はそれを打ち砕く様に、俺の中に“柊流”を注ぎ込んだ。
苦境は過ぎ去り、後ろで縛られていたシャツから解放されたが、俺は未だテーブルの上から動けないでいた。
「君との姦淫はとても官能的だった。次は、求められてみたいものだ」
力無くテーブルに横たわる俺に、男は重ねるだけのキスをする。
「もう夜も遅い。君も早く寝なさい。おやすみ、駿人」
微笑を携えて、男は自分の部屋へと向かう。
この日俺は自我を全て壊され、失意に堕とされた。
唯一残されたのは……“柊流”に強いられたのは、ただ一人の肉親を恨む事……それしか赦されない──。