蓮名文庫
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ML/リクエスト企画/短編集




春に恋した人。 夜桜




 四月半ばの気温は心地好く、夜でも冷えることはなかった。
「お前、解り易いな」
 会社の花見の席で酒豪な上司である近衛若冢と酒を酌み交わしていると、
唐突に言われた。
「何がですか?」
「まあ、俺はお前と飲めて万々歳なんだが……腑に落ちないな」
「何がです?」
 部長が何を言いたいのか……本当は解っていたが、それをわざわざ開示する義理はないと俺は口を閉じた。何より俺を逆撫でするのはこの人だ。
 近衛は右膝を立てて座り、その上に肘を乗せて酒を煽りながら俺に視線を向けた。しかしその視線は俺の後ろにある枝垂桜へと矛先を変えていった。
「山桜のあの鮮やかな色も好きだが、枝垂桜の何とも儚く懸命に自分を魅せる美しさも好きだな。お前はどうだ?」
「俺ですか? 俺は染井吉野が嫌いです。だけど連なっているとやはり圧巻してしまいます」
「俺もそうだな。同じものに興味はないが、束になった時の凄さは計り知れない」
 時期だからなのか偶々目の前にあるからなのか、何故こんな下らない話をこの人としなければならないのかと思ったが、これと言って他に話す事もなく、俺はそのままこの下らない話を広げた。
「山桜は綺麗だと思いますが、俺はどうもあの色が苦手です。枝垂桜は幻想的で好きですね」
「ふ〜ん。じゃあ、アレは?」
 公園内には染井吉野と枝垂桜の他に三種類の山桜が植えられていた。濃淡の違う桜が観れるのもこの公園の魅力の一つだろう。
 しかし近衛が“アレ”と示したのは桜ではなく、俺の仕事のパートナーである工藤雅巳だった。
 示された先に目線を送ると同時に近衛も工藤へと視線を向けた。
 工藤は此方の様子を伺っていたらしく、遠目に視線が絡んだが、それはすぐに隣の同僚へと向けられた。
「工藤が何か?」
「お前にはどう映っているのかと思って」
 陳腐な台詞を言いながら近衛はプラスチック製のコップの中身を飲み干し、俺の方にコップを傾けると酒を催促した。俺は同じものを近衛に注ぎながら適当に答える。
「仰っている意味が解りません」
「またさっきみたいに誤魔化すのか」
 “さっき”それはきっと工藤の答えを遮った事を言っているのだろう。近衛の眼にはいつもの笑みは無く、俺の動向を全て見透かそうとしている。その中でこの人を欺く事は難しく、やはり関わりは極力避けたいと改めて思う。
「人間性として本能に真っ直ぐだと思います。故に直情型で後先を考えない所もあります。だけど人情深く、何にでも一生懸命。だが要領が悪く、仕事に対しては信頼に欠けると思われます」
「ふ〜ん、お前とは正反対だな」
「そうですか?」
 近衛は俺に視線を向けたまま酒を一口飲むと俺を煽ろうとする。
「真面目を装って本心を隠す、直球な工藤はそんな事しないだろう?」
「酷い言われ様ですね……」
「俺にはそう観えるんでね」
 口の端を上げて、近衛は嫌な笑みをわざと見せ付けた。
「部長の問いに答えただけです。それに俺がもし本心を隠しているとしても、まずは部長が見せてくれなければ話になりませんよ」
「俺か? ありのままだぞ」
 近衛は瞳を見開いておどけた表情を観せたが、俺はプラスチック製のコップを持ったまま相手を見据えた。
「だけど俺は部長のプライベートを知りません」
「知りたいか?」
「いえ、特に知りたくもありませんし、知る必要がないです」
 即答する俺に近衛は笑みを溢す。
「だから詮索はするな、と?」
「一方だけが知っているのは狡いでしょう?」
「だけど知りたくないから知られたくないと? はっ! そんな道理で納得する訳ないだろ」
 近衛は左手を太股に置いて豪快に笑うが、俺は冷めた声でそれを制した。
「痛くもない腹を探られた所で何かが出て来る事はありませんし、無駄な揚力を使うのは止めましょうと言っているだけです」
「ふ〜ん」
「まだ何か?」
 近衛は口許を弛ませたまま鋭い眼をこちらに向け、一気に酒を飲み干した。
「濁り酒は旨いが、やはり甘いな。辛口の酒はないか?」
「確か、鬼ごろしが在った筈ですよ」
 辺りを見渡し、焼酎の一升瓶を手にすると近衛のコップへと一杯に注ぐ。その手から一升瓶を奪われ、近衛は瓶を傾ける事で俺を急かした。上司と飲んでいる以上安易に断れる訳がなく、八割は入っているプラスチックの中のビールを一気に流し込んだ。そしてそのまま焼酎を注がれる。
 丁度その時、近衛の所に女性社員が酌をしに訪れた。それは俺が解放される事を物語って居り、近衛もそれを理解して俺の方に少し躰を傾けると幾分か抑えた声で耳打ちをして来た。
「今度ゆっくり飲みたいもんだ」
「それはどうも」
 人をからかうのが好きな近衛は俺が嫌がっているのを承知の上でわざと言って来る。しかし実際、意地の悪い事を言っても近衛には敵意はない。だから無理矢理最後の確信まで問い詰められる事はなかった。それどころか、近衛はかわされる事を楽しんでいる。
 俺は別の話題をしている近衛部長と女性社員を尻目に席を立ち、プラスチック製のコップを手に自社の宴席から離れ、宴会が許可されている場所とは別の公園の奥へと足を進めた。
 駄々広い公園内にはシートを引いて宴会が出来る箇所と、場所柄シートが引けず宴会が出来ない場所が存在していた。
 そこは小さな池を囲うように歩道と染井吉野が植えられていた。ライトアップされて淡く浮かび上がる染井吉野に俺は不覚にも圧巻させられていた。何より、池に映る桜がまた人の心を惹き付けるのだろう。公園内を行き交う人に紛れるように俺はその情景を眺めた。
 俺は歩道よりも少し前に出て池の近くに立つと上着の内ポケットから煙草を一本引き抜き、口に銜えて火を付けた。煙草の先端から紫煙が立ち上るのを眺め、肺に入れた煙が躰に染み込むのが解った。解放された安堵と共に煙を吐き出した時、聞き慣れた声が俺を呼ぶ。
「倉橋!」
「工藤」
 反射的に振り返り、言い慣れた名を呼んだ。
「何だ、煙草か……」
「何だ?」
 俺の側まで辿り着いた工藤は両手を肩幅に開いた各々の膝に乗せ、腰を曲げて頭を垂れる。
「具合悪くなって席を外したんだと思った」
「倒れるって?」
「そうそう。家まで送るのに酔い潰られたら困るからな」
 姿勢を戻し、両腕を頭の後ろで組んで冗談混じりに工藤は笑った。
「ああ、貸しを返して貰うのに介抱して貰うってのもあるな」
「潰れる倉橋、貴重だな」
 親父が酒豪の家系だからか、成人した途端に毎週金曜日から三日連続で夜の晩酌に付き合わされていた。
 親父と比べれば、近衛の勧め方など非ではない。しかしそのせいもあり、自分のペースで飲めない酒は嫌いだった。
「それ何?」
「焼酎」
「ロック?」
「ああ」
 左手に持つコップに工藤は人差し指を向けて問い掛けて来た。俺からすれば工藤は酒に弱く、アルコール度数の高い酒は飲み慣れていない様に感じた。それを肯定するかの様に工藤は眉根を寄せる。
「俺、去年ので焼酎と日本酒苦手かも」
 去年の宴会は酷かった。濃度の高い酒を好む近衛の勧めで滅多に飲まない日本酒を飲んでいた工藤のグラスに、酔って悪ノリした先輩数名が焼酎を継ぎ足し、酔い始めていた工藤に無理矢理飲ませていた。酒が入っている席で収集が付く訳もなく、工藤は酔い潰れた。
「家まで送って貰ったの、誰だか解らないんだよなあ」
 申し訳なさそうに工藤は落胆の表情を観せ、礼が言えなかった事を悔やんだ。
「俺だ」
「へ?」
 当時、俺と工藤は同期だったがこの時の宴会で一緒に買い出しへ行くまで全く話をした事がなく、一切接点が無かった。しかし男性社員が全滅し、男性社員の三分の一しかいない女性社員は近衛の相手と酔い潰れた先輩方の面倒で手一杯だった。
「お前なの?!」
「ああ。他に適任がいなかったからな」
 状況を修正するのに忙しく、誰が何をしたかなど誰も覚えていない。その為、工藤は自分を送った相手が今まで解らずにいた。
「言えよ……」
「ただタクシーに乗せただけだ、言う程の事でもないだろ」
「礼が言えないじゃん」
「今言えば良いだろ」
「そう言う問題? 俺が言いたい時に言えないじゃん」
 工藤は頬を膨らませながら瞼を閉じると、深く息を吸い込んで呼吸を整える。
「一年経ったけど、ありがとうな」
 屈託なく笑う工藤。俺の気持ちなど全く知らない、真っ白なまま。
「俺、どんなんだった? 全然解んないんだけどっ」
 記憶を失ったのは初めてだったらしく、長い間気になっていたらしい。
「別に。寝たかと思ったら呂律の回らない口で話し出して、笑ってまた寝てを繰り返してただけで害はなかった」
 工藤は羞恥心から右手で顔を覆って俯くが、俺からすれば絡み酒でなかったのが救いだった。
「それ、どんなんだよ……」
「面白かったぞ」
「そうじゃなくて」
「退屈しなかった」
「楽しんで頂けた様で……」
 気持ちの全てを表現する様に言葉を交わすと工藤は小さくなっていった。それはきっと年齢など関係なく、俺には無い真っ直ぐな素直さ。とっくの昔に置き去りにした感情。だからこそ惹かれるのかもしれない。
「そろそろ戻んない?」
「ああ、そうだな」
 煙草の火を携帯用の灰皿に揉み消した俺を観て工藤は俺に笑い掛けた。

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