蓮名文庫
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Order Made

ML/リクエスト企画/短編集




春に恋した人。 夜風




「終わんねえ……」
「根詰め過ぎ。別に今日中じゃないだろ」
 午前中に営業、午後から書類作成をしていた俺だが、十四時頃にパソコンがフリーズしてしまい仕事を再開するまでに一時間掛かった上に、今日入力したデータが全部飛んだせいで十五時頃から一からやり直していた。
「なんだけど……」
 机上に突っ伏しながら遣り切れなさが込み上げて来る。倉橋の言う通り、確かに今日中じゃなくても良いんだけど、それでも本来なら十七時頃には終わって定時刻の十八時までのんびり出来る段取りだったのに……再開した時間が時間なだけに後一時間足りない。
「仕方がないな」
 言いながら倉橋は俺の頭を右手でぐしゃぐしゃにすると隣の席を立って廊下へと出て行ってしまった。
 何だ?
 倉橋の行動が解らず、俺は小首を傾げながらパソコンに向かっていた。
 程無くして俺の机の上にいつも俺が買っている珈琲が入った紙コップが置かれた。
「営業は得意分野、書類は折半。だけど今回だけ特別。終わってないの半分寄越しな」
「良いの?」
「但し、後で命令1な」
「は?」
(“貸し”じゃなくて?)
 いつもの様にふてぶてしい表情で俺の隣で仕事を始める倉橋。でも何でかいつもと違う言い回しをされてちょっと気になったけど、手伝ってくれるなら文句は言えない。
「ありがとうな」
「今日はこの後飲み会だからな、仕方がないだろ」
 桜が見頃なこの時期、近衛部長の趣向で毎年金曜日の夜に花見をする事になっている。
 他の部署は土日を利用するらしいけど、休みの日まで上司の顔を見たくないとか潰されたくないとかで断る人が多く、それを考慮してか、ウチの部署は金曜日の夜に強制的に近衛部長に連れて行かれる。
 近衛部長曰く、『夜桜のが醍醐味があって良いだろう』との事。
 そのお陰か、この日だけは残業不可になっている。
 今は十七時、倉橋に手伝って貰って間に合うかどうかの瀬戸際だ。
「終わったあ!」
 十八時二分前……凄いギリギリ。
「お疲れ」
 タイピングが速いからか要領が良いからか、俺よりも一足先に仕事を終わらせた倉橋は上半身を俺の方に向けて背凭れの上に右肘を乗せながら優雅に珈琲を飲みつつ、労いの言葉をくれる。
(ふてぶてしいなあ)
とは思うものの、可愛気が無くても助けられたのは事実。
「わりい、助かった」
 倉橋に貸しばかり作ってるから必然的に礼を言う事が多くなったが、やはり何度言っても慣れる訳がなく、自然と半笑いしてしまう。照れ臭いんだよ。
「後でちゃんと命令聞けな」
「お、おう」
 だから、それ何?
 “貸し”と言われるよりも“命令”と言われると身構えてしまって、肝心な内容を聞けないまま部長の声に遮られた。
「工藤、倉橋。仕事終わったか?」
「部長」
 いつの間にか俺と倉橋の後ろにいた近衛部長はにんまりと笑いながら俺達の様子を確認すると、俺と倉橋を含めた部下を引き連れて花見会場となる公園へと向かった。
 会社から十五分程歩いた先に市の中央公園が在り、此処ら辺では名の知れた桜の名所で花見の時期には屋台が連なっていた。
「工藤、酒」
「はいっ」
 枝垂桜の真下に敷かれたブルーシートに今年の新人が買って来たつまみを囲って座っていると、部長は俺の目の前にある日本酒を飲んでいたらしく、少し離れて座っていた俺にお酌を促した。
 酒好きな部長らしく、乾杯から今まで日本酒を飲んでいた様だ。
 俺は席を立ち、部長の元へ一升瓶を届けに行く。
「工藤、酒は?」
 酒を注いだ後、部長は俺にも日本酒を注ごうとしたが生憎と俺はグラスを持って来ていなかった。
 それに……
「俺、今日は飲めないんです」
「何でだ?」
いぶかしんだ表情で問われ、理由を言おうとした矢先に倉橋が現れた。
「部長、濁り酒お持ちしましたよ」
 いつもなら嬉々として今ある酒を飲み干して別の酒を注がせる部長なのだが、話が中途半端なのが嫌なのか、更に眉を顰めた。
「ふ〜ん」
「どうしました?」
「別に。倉橋、お前付き合え」
「解りました」
 目の前で繰り広げられる珍しい光景を俺は凝視した。
北叟笑む倉橋と膨れっ面の部長……何だかいつもと真逆で自然と笑みが零れそうになったが、此処で笑ってしまったら俺まで部長に捕まってしまう。
 役目を終えた俺は頬が崩れるのを堪えながら、二人の遣り取りを耳にそっとその場を離れて元居た場所へと戻った。
 さっき部長に言いそびれた、今日俺が酒を飲めない理由——それは先程倉橋に言われた命令一で『花見後、俺を送れ』と言うものだった。とは言え、俺は電車通いをしていて車がないから、運転するのは倉橋の車。普段は営業中に倉橋と交互に運転していて、自分の車は土日の出掛ける時しか運転しない。
 だけど目の前で酒を飲まれると言うのは、結構堪えるかも。
 別に酒が強い訳でも好きな訳でもなかったが、それ相応に飲める方で皆が楽しく飲んでる中で禁酒するのは思った以上に辛く、ある意味手伝って貰った罰みたいだった。
 透明のプラスチック製のグラスに烏龍茶を入れて、周りの同僚と談話をしながらつまみに手を伸ばすけど、やっぱり素面だと盛り上がりに一つ掛ける。
 そう言えば、去年は俺と倉橋で買い出しに行ったんだっけ。それでその後、部長から一人一人洗礼を受けて今まで以上に飲まされて……日本酒と焼酎の混合を飲まされた後の記憶がない……。
 同僚の誰かが送ってくれたらしいが、誰と一緒だったのか全く覚えていない上に玄関を開けた記憶もない。だけど朝眼を覚ました時には寝巻き姿だったから、酔っていた割にはしっかりしていたのかも。
 きっと帰り間際の俺は、誰が観ても危ない状態だったと思う。
 男性社員は殆どがそんな感じで、確か倉橋だけ巧く逃げ切って自分のペースで酒を飲んでいた。
 今年も逃げると思ってたんだけど、どう言う心境の変化だろ?
 酒が飲めない分、皆より余力が有るからか、俺は些細な事が気になって倉橋と部長の方を観るけど会話が聴こえる訳はなく、いつもの北叟笑む部長と澄ました表情の倉橋が居るだけだった。
 それはまるで狐と狸の化かし合いみたいで、またふと笑いが込み上げた。だけど何故かそう思った時に限って二人共こちらに顔を向けるもんだから、見透かされたのではないかと思うくらいタイミング良く目が合ってしまった。
 俺は何だかバツが悪くて同僚に話し掛ける事に依って、顔を反らした。

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