久多良木文庫
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Bedlam

BL/ML/ダークシリアス短編集




醜悪の果てにて君を思ふ




「何十年、何千年後の未来も、お前の隣に居られたらいいって思うよ」
 俺の好きな笑顔でそう謂うから、嬉しかったけど恥ずかしかった。
 好きだと四六時中思っても口にはできず、それでも傍にいられたら、きっとずっと幸せだった。
「なあ、真人は?」
 その答えを俺はいまだ、胸にしまったままでいる。

 消毒液のにおいが鼻を付く。真っ白な部屋、白いベッドに横たわるお前を見るたび悲しくて、うんざりだった。
「寒いか? 窓、閉めるな」
 秋風がカーテンを揺らしていた。涼しいと思うより寒くなってきたと感じるまでになって、お前との日々がいつだったか、薄れていきそうで怖くなる。
 二年前と同じ季節、アーケード街にある喫茶店で待ち合わせをしていたあの日。惠智が来たらすぐ解るようにと俺は、外を望める窓際のテーブル席に座って、二杯目のコーヒーを飲み干さないまま何度も腕時計を見ていた。
 高校で知り合って、同じ大学に行って、社会人になってからはお互い仕事が忙しくてなかなか会えずにいた。
 同僚との付き合いはあっても俺にはやっぱり惠智だけで、友達と呼べる存在がいっぱいいたって、惠智の代わりは誰もなれないしいらなかった。笑い合う仲間内で明朗に振舞いながらも俺は、どこか上の空だった。
 だからあの日は、取り留めの無いメールを遣り取りしていた中でやっと会えるって、お前の顔が見られると思うと嬉しくて待ち切れなかった。
 けたたましく喚き散らすサイレンが耳に届かなければ。
 ふと見た腕時計の長針が待ち合わせの時を知らせなければ。
 道行く人々の向かう先に惹かれ、過ぎった不安に店を出なければ。
「惠智──!!」
 頭から流れる血に塗れて横たえた姿は、駆け寄る俺を容赦なく絶望のどん底へと突き落とした。
 眠る惠智の白肌の頬をなぞれば、指先から伝わる温もりが安堵させてくれる。それでも目覚めない事実は突きつけられて、俺は見下ろす惠智の前髪をそっと撫でた。
 何度も、毎日話し掛けた。いつか目を覚ましてくれると──また俺の名を呼んで、微笑み掛けてくれると信じた。眠っていても聴こえる、神経に響いている。俺の声が届いて、答えてくれると願った。謂えなかった言葉は胸に秘めたまま、その瞳にもう一度俺を映してくれたなら、今度こそ伝えると決めていた。
 だけどお前が目覚めてくれることを切に願うほど、縋るほど許せなくなるんだ。
「必ず、俺が──」
 轢き逃げ犯はいまだ捕まらない。無能な警察にもうんざりだった。
 惠智の母親は医者から受けた息子への宣告に耐え切れず、首を吊って自殺。残された父親は悲しみに暮れても犯人探しに日々を費やし、しかし心労が祟って先日亡くなったばかりだった。通夜の席に集まった親戚連中はそんな惠智の家庭と現状を哀れみながら、厄介者扱いで傍観者を気取り、血の繋がりなど形だけだと俺は見限っていた。
 俺は病院長である親父に頼んで個室を分けて貰い、仕事の合間を縫って惠智の面倒を見続けていた。だが営業の仕事は残業も多く、看病と両立する俺の身体は悲鳴を上げ始めた。
 惠智を優先する俺にとって既に仕事になんて未練はなく、だが無職というわけにはいかない。親父は慈善として費用はいらないと謂ってくれたのだが、親子とは謂え、俺もいい大人だ。看病の両立と膨大な費用のために会社を退職して、融通が利く、自宅で出来る仕事に切り替えた。
 でも、仕事を辞めた理由はそれだけじゃなかった。
 俺は探していた、醜悪な人間を……。惠智を無残な姿にして、その家族まで死に追いやった悪魔を探し続けた。
「俺が必ず……裁いてやるから」
 復讐を糧にした俺の執念は報われた。
 見つけたんだよ、やっと。
「覚えてるか? 四年前、お前が轢き逃げした被害者だよ」
 八畳一間の一室。薄汚れた荒れ放題の部屋で追い詰めた蛆虫は、眼前に突きつけられた一枚の写真に、これまできっと忘れていた記憶を掘り起こしただろう。
「お前のせいで、惠智は二度と目覚めない。喋らない、笑わない、俺を見ない。分かるか!? 生きていても意味がないんだよ!!」
 男は腰を抜かしたのか、座ったままの状態で後退る。
 俺を見上げる目が怯えてた。怯えて、震えて、恐れて、助けてくれって俺に縋った。
 哀れだ。こんな臆病者に家族も人生も奪われてしまった惠智が惨めに思えて、無様な男の姿に俺の怒りはますます込み上げる。
「俺はお前を許さない。どうせ法で裁けない命なら、俺がこの手で裁いてやる。貴様の醜悪さを思い知れ──彼奴を殺した罪の重さを、腐り切ったその命で償え!!」
 憎悪に滾り振り下ろした包丁は、奴の目を貫いた。
 悪魔を殺した日、通報を受けてやってきた警官らに取り押さえられるまで俺は、奴の体に包丁を刺し続けた。
 一回刺したところで終わらない。
 二回刺したところで死ぬとは思えない。
 三回で終わる?
 四回、五回──。
 男に跨り、噴き出すどす黒い血を浴びながら俺は嗤っていた。復讐を成し遂げたことに、悪魔を葬ったことに──自分が正義であることを知らしめたんだ。
 始めは誰の目にも留まらなかった、些細な出来事だったに違いない。それが徐々に、警察の捜査と裁判を通して全容が明らかになったことで世間の注目を集め、マスコミが大々的に取り上げるまでになった。
 法で裁かれなかった男と、法によって裁かれる俺の現実。理不尽だとする世間の同情は殺人の加害者である俺と、男が起こした轢き逃げ事件の被害者である惠智とその家族へ向けられていた。
 一年と半年後、傍聴席に溢れる同情と好奇の目に晒される中で、判決は下った。
「漸く、君と話しができて嬉しいよ」
 俺は精神鑑定により責任能力はなかったとされ、無罪放免となった今は精神病院に入院している。
 罪に問われなかった代償は大きく、世間から隔離された何も無い狭い密室の中で一人、俺はひたすら惠智を思っていた。思い出だけが二人を──俺と惠智の繋がりを保っていた。
「何故、彼を悪魔だと思ったのだい?」
「あれが人間に見えるってのか? あんたには」
「それは彼が起こした所業に対しての事かな?」
「俺は正義だ。人の命をなんとも思わない、あの薄汚い悪魔に鉄槌を下してやっただけだ。惠智をあんな姿にして、その家族まで死に追いやっておいて、のうのうと生き続けてた悪魔を裁いただけだ」
 やっぱりくだらない。
 病院へ来てから初めてまともに話した。これまで何も喋る必要なんてないって口を閉ざし続けてきた俺は──気紛れだろうか──担当の槇原医師と向かい合っていた。
 ロマンス・グレーといった風貌で微笑を湛える男が、特に警戒心もない俺には滑稽に見える。仕事のうちだから仕方ないんだろうけど、当事者の俺にはどうでもいい事でしかない。
 槇原は時々手元の資料を捲りつつ、俺の言葉を逐一書き込んでいるようだった。
「君にとって清里君は、とても大切な人なのだね」
「違うよ」
 俺の答えが意外だったのか、槇原は小首を傾げた。
「俺という存在を形成してるのは惠智なんだ。惠智がいなかったら、俺なんて何の意味もないんだよ」
「そうか」と、小さく呟いて槇原は、手元のファイルを閉じた。
 俺を見据える槇原の顔に湛えられる微笑が少し、悲哀に見えるのは気のせいだろうか。
「今は、どんな気分だい?」
「最高の気分だよ……」
 今度は気のせいじゃなく、槇原の目は確かに俺を哀れんでいた。
 まだ俺は檻の中にいる。少しの自由は安らげても、惠智に会えない事だけ辛い。
 でももう少し、あと少し経ったら、お前の好きな花を持って会いに行くから。だからまだ、眠ったままでいて……。

───…

〈今朝方、久礼野総合病院で入院していた患者が、病院屋上から飛び降りて亡くなりました。
死亡したのは清里惠智さん、二七歳。現場や病室に遺書などはありませんでしたが、屋上には病院で使用されているスリッパが残されていた事から、警察では自殺と見て捜査を進めています。病院側の話では、清里さんは五年間植物状態で──〉

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