久多良木文庫
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Bedlam

BL/ML/ダークシリアス短編集




それは君への愛の証




 愛おしくて堪らない。
 この気持ちを何度口にしても足りなくて、羞恥に赤らむ君が呆れても伝え切れない。
 まだ知らない僕がいる。
 まだ知らない君がいる。
 もっと深く、静かな水底より深く交わして、一秒の間もなく愛を語ろう。

「今日は珍しいワインが手に入ったんだよ」
 そう語り掛けて僕は、テーブルに並べた二つのグラスに赤ワインを注ぐ。白いテーブルクロスに敷き詰められたディナーは今宵、君の為に僕が用意した贈り物だ。
「まだ、拗ねてるのかい?」
 他愛もない喧嘩をした後なのだから、まだ君が不機嫌なのは仕方ない。
「僕が悪かった。だから、仲直りをしよう」
 君の怒った顔も嫌いじゃない。あどけなさの残る表情は寧ろ可愛いとさえ思い、不謹慎にも僕の頬は緩む。それでもやはり笑顔が似合う君だから、僕はどうしても甘やかしてしまうんだ。
「ありがとう。僕も愛しているよ」
 普段は素直じゃない君だけど、淡く染まった頬は正直にその心を露にしてくれる。
 今日は僕たちの大切な記念日。君と結ばれてからちょうど一五年目の、僕たちだけの特別な日だ。今日をもって僕たちは新たな人生を歩み、始まりのための晩餐は祝福を装う。
 テーブルを挟んで向かい合わせに座る君と僕。照れるばかりの君は紅潮する顔を隠そうと俯き加減でも、剥き出しの耳が努力を無にしていた。触れようと手を伸ばせば微かに震え、一瞥する悩ましげな眸が君の心裏腹に僕を誘っている。
「まだだよ。今日これまでの時を噛み締め、これからの僕たちを願うまでは」
 耳朶に触れていた手を離して僕は、赤ワインの入ったグラスを緩やかに傾ける。
「うん? ああ、そうだね。折角だから、君との出逢いを語ろうか」
 あの日はそう──雨だったね。
 ちょうど今日のように土砂降りで、時折刹那の稲光を放ちながら雷が唸っていた。天気予報は晴れ間が広がるなんて嘯いたものだから、愚かにも信じた僕の全身はすっかり濡れてしまっていた。
「まいったな……」
 卸したてのスーツは見事にびしょ濡れ。帰宅途中だった僕は既にシャッターの下りた古本屋の屋根を雨宿りにした。
 見上げる空には分厚い灰褐色の雲が覆って、鋭い雨がまるで鉄格子のような幻覚を見ていた。
 突然の夕立ならばすぐに止むだろうと甘くみていた。家までもう距離はないというのに──会社帰りのコンビニエンスストアで傘を買っておくべきだったと後悔しても、今更どうにもならない。
 深い嘆息を吐いて僕は、きつく締められたネクタイの結び目を緩めた。
 雨が僕を支配して、雨音が僕を侵していた。灰色の空が世界をモノクロに映して宛ら、僕は映画の冒頭部分を演じるちっぽけなエキストラであった。科白もなくクレジットもなく、主役を際立たせるだけの引き立て役だ。
 物語の始まりを彷彿とさせる一幕は、たった数カットで終わる筈だった。
 君は僕がきた方角とは反対の道から走ってきた。見知った制服姿の君は僕と同じく全身ずぶ濡れで、恐らく指定だろう鞄を頭上に翳していたが矢張り無意味だった。
 僕の方を一瞥して君は、迷わず隣へと宿りをとった。掻き上げる脱色した髪が雨粒で光を放ち、僕にはまるで天使に見えたんだ。
 君は一目惚れは信じないと謂ったね。でも僕はその時初めて、運命と謂える恋を知ったんだよ。
 それまで僕は何気ない生活を送ってきて、特別誰かを愛した記憶さえなくて、只管に明日を迎える事しかしていなかった。
 なんてつまらない、退屈な毎日だろう。平凡を覆したい、その願望がきっとあったに違いない。
 だから君に出逢って僕は、その瞬間に恋に落ちた。
 まだ若い君との日々は、僕にとってとても新鮮だった。よく笑って、怒って、泣いて、感情豊かな君は表情も豊かで、可愛いと思う僕は微笑ましかった。子供扱いされるのが嫌だと君は謂ったけど、そうじゃなくて僕は──惚れた弱味というやつだ。
 君との日々はとても有意義なものだった。君もそうであってほしいと、僕は願い思っていた。
 ただ少しずつ、君が大人になるにつれ僕達はすれ違っていった。君自身の時間が増えていく度に二人の時間は犠牲になり、会えない悲痛に嘆いた。
 僕は君を愛し続け、愛するあまり耐えられなくなっていった。これから大人になっていく君を上辺で喜びながらも僕は、心の奥底では成長という儀式を嫌悪していた。
 視野が広がるごとに君は遠ざかる、自分だけの世界を開拓していく。理解しても僕は認められない、認めたくなかった。
 独りは嫌だった。もしこのまま君がいなくなってしまったら──そう考えるだけで恐ろしくなるんだ。
 心が冷える。君との世界に亀裂が生じて、僕は壊れていく。
 愛すれば愛するほど許せなかった。愛すれば愛するほど、求めれば求めるほどに、君を許せなくなっていった。
 たくさん考えたよ。どうすればあの日を取り戻せるのか、君がまた僕を求めてくれるのか。世界がいっそ僕たちのものであったなら……。
 僕だけの君でいてほしかったんだ。片時も離れず一緒にいられるなら、僕は何でもすると悪魔にさえ願った。
 そうして僕は、ずっと、ずーっと君といられる方法を考えたんだよ。
「君の優しさに甘えていたんだ、僕は。だからこそ今こうして一緒にいられる」
 僕は手にしていたグラスを口へと傾けると、流れ込む赤ワインを一口含んだ。こくりと喉奥に下すと味わい深い香りが鼻腔を抜け、吐息にさえ酔い痴れる。
「僕の思った通りだ。このワインは今日こそ相応しい」
 それはとても赤く、白いキャンバスを塗り潰す如く絵の具のように鮮やかで、錆ついた香りも僕にとっては麗しい花の蜜だ。
「そう、気に入ってくれてよかった。今日の君の為に作った料理だからね、そう謂ってもらえると、僕も嬉しいよ」
 赤らむ君をもう少しだけ困らせてみたくて、意地悪な僕は頬を撫でてその額に口付けた。
「料理が冷めてしまうね。君との思い出の続きは後にして、食事にしようか」
 頷いた君の首は薔薇の花冠に埋もれた皿の上。
 囲う彩り豊かな品々は君への愛情。
 ナイフで切り落としたローストは鮮やかな桜色を放ち、それは君の肌と同じ。
「ずっと一緒だよ。これからもずっと、僕たちは“いっしょ”だ」

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