Bedlam
偏執的情慾症候群
BL/ML/ダークシリアス短編集
愛に献上
─利害運命─
俺にとって、齊宮恭二との出逢いは運命だった。入学式当日に見たその姿に目を奪われ、刹那に交わした視線に心をも奪われた。
そしてあの人も同じ気持ちを抱いてると気付いたのは、陸上部に入った俺への、部活の度に感じる熱い眼差しからだった。
齊宮恭二は今時珍しく、所謂完璧な教師だった。生徒との接し方、与える言葉と温和な表情、洗練された立ち振る舞い。深くまで相手の懐に入る事無く、しかし抛るような無神経な真似は一切しない。どんなに忙しくても、傍から観れば煩わしい女生徒らのまるで黒板を爪で引っ掻いた様な超音波さえ、魅惑の微笑を湛えながら応対する。それらが偽善だと思えばそう、誰だってその他大勢には愛想も笑顔も同じで、教師なんてそんなものだって思う。齊宮恭二は特に、誰彼分け隔てなく接していた。
俺はいつも齊宮先生を見ていた。何処に居ても、誰と居ても、照準を合わせなくても意識だけでその姿を捉える事も容易だった。ただ齊宮先生が四六時中俺を見てるのは知ってたから、飽く迄も目を合わせないようにタイミングをずらしてた。
齊宮先生への恋心を自覚してから俺は、急速に膨張していくそれが異常な思いである事に気付いた。恋からの執着、行き過ぎた愛、平凡な言葉では例えようのない、束縛と過剰な独占慾だった。
初めてだった。自分がこんなにも他人に興味を持ち、恋焦がれ、欲しいと願ったのは。やはり当たり障り無く人と付き合ってきた俺の人生の中で、齊宮恭二の存在は衝撃だった。
俺は悟られないようにしてた。決して貪欲な自分を恥じたわけじゃない。ただ齊宮先生にはずっと、只管に俺を思い続けて焦がれて欲しかった。他の事なんてどうでもよくなるくらい、一番にじゃなく俺だけを追い求めて欲しかった。心は疾うに交わってるんだから応えるのは簡単、でもそれだけじゃ足りない。齊宮先生が永遠に俺のものだっていう証が欲しかったんだ。
「西条、君に話があるんだ」
夏から秋への変わり目、空気が少し涼しくなってきた頃。卒業間近の俺はその日初めて先生の声を直接聴き、屋上に呼び出された。記念になるだろうこの日の空は雲一つなく、俺と齊宮先生の門出を祝う如く真っ青だった。
「何の話ですか? こんなところで……」
解ってるくせに俺は白々しい科白を吐いて、敢えて距離を取る齊宮先生の、それでも初めて真正面に見据える姿にぞくぞくと五感から身体中、心まで総毛立った。
「僕の事は知ってる?」
「齊宮先生ですよね、英語の。俺は一度も教えて貰った事ないですけど」
知ってるどころか貴方の事しか頭にないよ──思わず口を吐きそうになるほど、齊宮先生の声は悩ましく俺の欲望を煽った。
齊宮先生は英語教諭で主に一年生に教えていた。臨時で二年生のクラスも回ってたが、不思議な事に俺のいたクラスは三年間一度も担当してない。俺と齊宮先生の接触を許さない何らかの力が働いてるのかと邪推するほど、巧みに避けられていた。
俺には好都合だった。距離があればあるほど齊宮先生の俺への思いは強く、激しく、益々求めて欲しがるだろうって思った。その内に抑え切れず沸騰して、形振り構わないくらい狂うだろうと。
「──思わぬ収穫だ」
「え?」
「いや、なんでもない」
思わぬ収穫──嬉しそうに微笑む齊宮先生から聞き取った言葉は、飽く迄も平静を装う俺を興奮させる。欲情に今直ぐにでも抱きしめたい衝動に駆られた。
「君が好きなんだ、西条」
予想してた事とはいえ、どくりと穿たれた心臓に呼応して目を見開いた。
「僕は君が好きなんだよ、西条。初めて見た時からずっと、今までずっと君だけを見てきた。君に気付かれないよう、でも気付いて貰えるようにして、僕は君の姿を、西条雄志を見てきたんだ。今日はそれを伝える為に此処に連れてきたんだよ」
喜びが込み上げる。名前を呼ばれるだけでも身体は熱く、それまで陳腐に思っていた好きという言葉も、齊宮先生が口にするだけで大層な意味を持った。
俺は何も言わなかった。言えなかったんじゃなく、敢えて言わないでいた。少しでも口を開けば齊宮先生の気持ちに答えてしまいそうで、それは避けなきゃならなかった。
「僕は君に知って欲しかったんだ。僕の事を、僕の思いを全て、君に解って欲しかった。最初は見てるだけで充分だった。君が僕を知らなくても、僕だけが君を知っていればそれで満足だった。でもその内に、だんだんと許せなくなった。僕がこんなにも君を思ってるのに、君は何も知らずに何事もなく過ごしている。その事がとても理不尽に思えてきて我慢ならなかった。僕が君を見ていても、君は僕に気付かないし一目と見てくれない。それがどうにも許せなくて、憎らしくなってね」
身勝手な主張は、齊宮先生の俺に対する執着心を露にする。自分がどれほど思ってても、相手が知らなければ何も起こらない。受け入れられる事も拒絶される事も無く、その他大勢の内の一人として記憶から薄れていく。そんな結果を行動を起こさない自分のせいじゃなく気付かない相手のせいして、憎しみや恨みを愛の代わりにぶつけてしまう。歪んでしまったら最後、履き違えた感情は自分を追い詰めるだけなのに。
俺への愛憎を紡ぐ度に一歩ずつ更に距離を開ける齊宮先生の足は、無意味な高さの屋上の縁に落ち着いた。
俺は止める振りをした。平静を焦りに変え、伸ばす腕を半端なまま躊躇させる。これから起こる事へ期待に胸を膨らませた。
「だからこれは君への罰でもあるんだ。そして君への愛の証なんだよ、西条。君は僕を知ってたけど所詮は顔と名前程度、高だか学校の教師でしかない僕を、いつかは綺麗さっぱり忘れるだろう。でもそんな事はさせないし許さない。僕はいつまでも君に知っていて欲しい、覚えてて欲しいんだ。僕がずっと君を思ってたように、一生死ぬまで、死んでからもずっと、齊宮恭二という存在を心に縫い付けてて欲しいんだ」
人の心に生涯その存在を刻み付ける為の最良の方法は──相手のせいにして自分を殺す事だ。
「だからこれは終わりじゃない──始まりなんだ」
視界から齊宮先生が消えて直ぐ、生徒や教師らの飛び交う悲鳴で階下は一気に騒がしくなった。
煩わしさを感じた俺は見下ろそうともせず、踵を返して屋上を後にした。
騒然とする校舎内は野次馬気取りの生徒らが犇いて、青褪め冷や汗を掻く教師らの制止も無視して各々の教室の窓から中庭を覗いていた。死体に集る蝿か、湧く蛆虫か、俺にはどうでもよかった。
この様子じゃあ午後の授業は自習になるだろうと、唯一の過程を知る俺は難なく校舎の外へと出た。覘いた中庭も教師と生徒で溢れ返っていて、横たえてるだろう齊宮先生の姿は残念ながら捉えられなかった。
俺は齊宮恭二に恋をした。それは生半可な気持ちじゃなく、どんな事をしてでも手に入れたいと願う貪欲なものだった。そして願いは叶った。
俺は齊宮先生に死んで欲しかった。先生を見るもの、先生が見るもの触れるもの、全てが許せなくて無くしたかった。でも人間なんて星の数ほど溢れてて、俺一人の力でどうにかできるものじゃない。だから齊宮先生自身に消えてもらった──いや、そう仕向けたんだ。
俺のせいで死んだ齊宮先生は、そうする事で俺に自分と言う一生の傷を作った。そして俺は、自分のせいで死んでくれた齊宮恭二の存在を独占できた。利害は一致してたから、この結果もまた、運命なんだ。
「俺はね、先生。誰のものでもない貴方が欲しかったんだ」
歓喜の俺はそれまで抑制してた感情を露に、自然と口角は上がった。
「これで貴方はもう、俺だけのものだ──齊宮先生」
ありがとうございます!