Bedlam
偏執的情慾症候群
BL/ML/ダークシリアス短編集
俺が彼女を殺した理由
俺が愛したのは後にも先にも貴方だけ。貴方と居るだけで狂ってしまう自分がいる。
いかれそうなくらい愛してるんだ。
誰にも知られてはいけない真実。
貴方との日常を守る為なら俺は何でもするし、何にだってなるよ。
「人を殺しました」
白いシャツとスラックスは土砂降りの雨に打たれたかのように血塗れで、真っ赤な手に握る電話の子機は思わず滑り落ちそうだった。
足元には血塗れの女。左胸に突き刺さる包丁は鈍く光を放ち、俺はそれを淡々と見下ろしていた。
──私、知ってるんだから。
至極、些細な事だった。
だが今は薄汚れたマネキンでしかないこの女──麻美が発した一言は、俺の根底に沈むある衝動を突き動かすに充分な引き金だった。
当たり障りない関係を築いていた、それまで。好きも嫌いも特別無く、不必要に、不条理に干渉し合わない関係が当たり前だった。互いに気遣う必要もないお気楽な恋人ごっこを巧く演じてきた筈が、お陰で壊れるのも簡単だった。
気付いたら麻美は血塗れで、馬乗りになってた俺は事切れた女の心臓に殺意を持って包丁を突き立てた。
「君が殺したのか?」
「通報したでしょう、その通りですよ」
部屋の中を知らない人間らが埋め尽くしている。刑事ドラマでよく見る光景だが、思わず鼻で嗤ったのは慎重に歩き回る姿が目敏く滑稽だったからだ。
わざわざ自己申告してやったんだ、それ以上に何が必要なんだか。
そうそう警戒していた警官らは、まるで客人を出迎える如く自然に振舞う俺に拍子抜けしたらしかった。
俺は血塗れだった身体はシャワーで洗い流しておいて、証拠物件になるだろう汚れた服は予めスーパーの袋に詰めておいた。唖然とする私服警官の一人にそれを渡して俺が、お茶はどうかと訊ねたのは数分前の話だ。
二人の刑事を前にしながら椅子に足を組む俺は、入れたてのブラックコーヒーを啜りつつ下らない質問に単調な答えを発していた。
両手に抱えるマグカップを傾けるたび、掛けられた手錠の鎖が鈍い音を奏でる。実際に掛けてみると意外にも重たく、ただこれが犯した罪の重さだとしたら、寧ろ軽過ぎるだろうと考える。
果たしてそれを錯覚だろうと感じるか、それともまた一つ罪を重ねるアクセルとなるのか。
どちらでもない俺には無意味な考えでしかないか……。
「名前は?」
「瀬能吉哉」
「彼女は?」
「外塚麻美、生きてる時は恋人だった」
先頭切ってくだらない質問を投げかけてくる男は目線を合わせるためか椅子に腰掛け、慣れているのか食ったような俺の科白回しにも冷静に対処していた。持て成しに差し出したコーヒーも人良く受け取ったくらいだ、やり手だろう。
もう一人はどうやら部下らしい。一歩後ろに下がってメモを取るその表情は過剰な正義感を露にして、悠長な俺の態度に苛々を募らせているようだった。
わざと視線を交わせば眉間に深い皺を作った。
「生きてる時?」
「死んだら関係なんて破綻するでしょう、意味がない」
自分でも酷い言い種だと思う。仮にも恋人だった女を死んだら所詮物扱いで、今じゃあ目障りで邪魔でしかないなんて。
事実、もういらないけど。
「どうでもいいんで……とりあえず、それ、片付けてくれませんか?」
俺が指し示した方向には無様に転がった麻美の遺体。自分でどうにかするには手間が掛かるため、手っ取り早く片付けてもらおうと通報したにも関わらず未だ此処にある。
当たり前のように口にした俺の言葉は予想通り、新米刑事の神経をとうとう逆撫でしたようだった。
憤怒するそいつの行動をもう一人のベテランだろう刑事が制する。
まさにベタな刑事ドラマが展開されていた。熱血新米刑事は下手な正義感を振り翳して面倒ばかりを起こし、保護者でしかないベテラン刑事はその尻拭いに奮闘し上司から睨まれる。失笑を買うくらいならコントにした方がよっぽどマシなお話だ。
いい加減くだらない質問にも目の前に転がる目障りな女にもうんざりした俺は、それを表面化して大きな溜息を吐いた。
「あんたらさあ──俺の何が知りたいわけ?」
「ああ!?」
「人となり? 動機? 計画性? 衝動? 肉を貫いた昂揚感?」
「お前……っ!」
「よせ」
俺と刑事が展開するそんな茶番を止めたのは、後方から不意に主張された覚えのある気配だった。
「あ、さ、み」
旋律のような澄んだ声が震えている。
目の当たりにしている現状を認識し切れず立ち尽くすだけ、それは見なくても酷く解った。
「失礼ですが、貴方は?」
「あ、私は……」
唐突な問い掛けにも戸惑っている。混乱のあまり思考が追いつかないのだろう、無理もない。
傍らに感じるか細い気配に、沈着していた脈が息をし始める。意識だけでも捉えてしまうその存在は日々俺の中で膨張し、どうしようもない欲望を肥大させるだけ空しさを覚えさせていた。
俺は気付かれない程度に息を吐き、痞えていた喉元を抉じ開ける。
「親族ですよ。彼女の父親です」
「父親?」
「外塚、永人です……」
「“ながと”?」
「永遠の人──で、永人です」
一字一句発せられる声が俺の三半規管に浸る。体内を廻る血液が生きる栄養分として取り込むたびに神経が疼いて、真っ当な正気を失いそうになる。
今思えば麻美の存在が俺を抑制していたのだろう。だが麻美は俺の秘密を暴き、そして俺は彼女という留金をこの手で弾いてしまった。そうしなければ守れなかった。他人を犠牲にしても、それが自分でも何より守りたかった。
この現実は果たして、俺達の関係そのものが招いた結果なんだろうか。
ビニール製の灰色の袋に詰められてとうとう、彼女だったものが目の前を運び出されていく。俺は釣られて見送ると、縋るようにして腕を伸ばす父親の姿を捉えた。
躊躇された手は永人さんの顔を覆い隠すが、困惑と悲嘆が入り雑じるその表情を俺は見逃しはしなかった。
「外塚さん。お辛いでしょうが貴方にもお話を御伺いしたいので、署までご同行願えますか?」
「はい……」
本当に聞こえているのかいないのか、答える声は酷く消え入りそうだった。
「君も、詳しい事情は署で聴かせてもらおう」
やっとか──俺は謂われるがまま椅子から腰を上げる。が、反動で擦れた手錠の鈍い音が透かさず永人さんを呼び寄せ、矢庭に掴まれた手に思わず俺は目を見開いた。
「これは──どういう事ですか! 何故彼に手錠なんか……!?」
「そいつは被疑者です」
二人の刑事に問い質す永人さんの双眸はますます混濁の色を深くしていく。
「彼は自ら貴方の娘さんを──外塚麻美さんを殺害したと自首を申し出たんです」
「そんな……っ」
再び俺に向けられた永人さんの瞳が何を示し訴え掛けるのか。
その時既に俺の意識は閉塞していて、切に思い続ける彼の姿さえ映さなかった。
「嘘だろう!? 吉哉君! まさかそんな、君が──麻美を殺しただなんて……!」
俺の腕を掴む永人さんの手は震えながらも力が篭る。
告げられた事実を俺の口から否定してほしいとまるで、事実など関係なくその言葉自体を懇願しているようだった。
「もういいでしょう、刑事さん」
でも俺は貴方が望む事よりもそれ以上に、守らなければならない真実を抱えていたんだ。
「もう、終わらせましょう」
あの一瞬を忘れない。
非情な俺を見上げる永人さんの表情は、希望という最後の砦を失ってしまった絶望感に包まれていた。言葉一つでさえ否定してあげる事ができず、守りたいものの為に不本意にも苦しめてしまう。
俺にとって貴方は何より大切なのに、原因も結果の全てがこの気持ちにあるんだ。
貴方と出逢った事だけは間違いだと思いたくない。この気持ちまで悲劇にはしたくない。俺にとっては貴方が、永人さんへの気持ちが今は全てなんだ。だから守らなければならない。この気持ちだけは口に出来ない。
永人──貴方を守る為なら俺は何でもするし、何者にでもなるよ。