Bedlam
偏執的情慾症候群
BL/ML/ダークシリアス短編集
君が彼女を殺した理由
私はこれまでずっと、君の何を見てきたのだろう。
長い間、一緒に過ごした僅かな時間の中で私は、君を知ったつもりでいた。でも、それは錯覚だったと思い知らされた。
どうして──。
君に対する思いさえ私は、偽りだったのではないかと疑ってしまうんだ。
──俺が、麻美を殺したんです。
彼の言葉は一縷の希望さえ握り潰して、容赦なく私を絶望の淵へと突き落とした。
瀬能吉哉──彼は私の娘、麻美の恋人だった。だから私はどうしてもその事実を受け止め切れず、嘘であってほしいと、吉哉君の口から否定してほしかった。だが吉哉君が否定したのは、私の求めていた答えそのものだった。
信じたくなかった、信じられなかった。私の目に映る二人の仲はとても良好で、小さな喧嘩一つなどであんな──あんな惨状になってしまうなんて……。
吉哉君は己の罪を自らの口で明らかにし、抵抗も弁解の一つもすることなく刑に服した。
瀬能吉哉が服役して僅かばかり。麻美の葬儀を終えてからというもの、何度も私は吉哉君に面会を求めていた。
しかし吉哉君は誰であろうと接触を避けていて、それでも私が諦めずにいたのはどうしてもその口から答えを──直接問い質さなければならないと思っていたからだった。
「やっぱり、貴方でしたか」
ガラス越し、久し振りに見る吉哉君の姿。懐かしむというより私はどこか安堵した。苦笑を浮かべるその姿は少し痩せたようで頬もこけ、温厚さを強調していた雰囲気もお陰で失われてしまっている。だが疲労というより、何故だろう、安息に浸っているようにも感じる。
「わかっていたのかい? 私だと」
「貴方しかいないと思ってましたから……納得できませんでしたか?」
「あれが君の本心だとは思えない」
「嘘──だと?」
抑揚のない声。それは以前まで感じられていた吉哉君の、私の主観でしかないが優しさも失せてしまった証拠だった。
内臓が圧迫される。凍てついた吉哉君の双眸は闇深く、その思考を読み取らせない。
私は息が詰まりそうだった。室内の空気が硬直し、私は金縛りにでも掛かったのか瞬き一つ許されなかった。無論、逸らす事も……。
そしてゆっくりと、嘲笑するように吉哉君の口角が上がった。
「俺は貴方の娘を殺した、殺したかったからそうした。それが事実です」
「私は真実が知りたいんだ」
吉哉君は嘲るように鼻で笑った。
「理由ですか?」
麻美を殺され、一時期は我を忘れた。仕事は手につかず、家にいればわけも解らず苛々して物に当り散らしたりもした。情けない話だ。誰もが私に、実の娘を亡くしたのだからと同情を寄せ、当然の如く加害者である吉哉君を非難した。その度に嫌気も差した。
私は瀬能吉哉を憎んでいるのだと思う。憎んでいるからこそ吉哉君の事が知りたくて、麻美が死んだと認めたくなくて、いつまでもしがみついていた。そして自分に対しても、娘を守れなかった事を悔やんでいた。
本当は何かあったんじゃないのか。一つ一つの言葉を思い出しながら、何度も何度も同じ場面を繰り返して頭を抱え、認めざるを得ない理由を私は必死で探していた。終わらせれば楽になる筈なのに、それでもまだ、何かを繋げ止めようとする私は余りに惨めだろう。
吉哉君はまるで哀れむような眼差しを私に向けながら、大きな溜息を吐いた。
「邪魔だったんです」
冷たく言い放たれた言葉に私は驚愕し、吉哉君を見据える目を見開いた。
「邪魔だから殺した、邪魔だから消えて欲しかった。麻美の存在が俺の邪魔をして自由を無くした。たったそれだけの、立派な理由のちっぽけな殺意ですよ」
整然と告げる吉哉君の言葉が木霊する。鼓膜を震わせる冷酷な声は静かに、激しく、容赦なく私を打ち砕く。
これは誰だ──これが本当の君なのか? 今までずっと都合のいい存在を演じて、私達を欺いてきたのか?
心の奥底に押し殺してきた意思が君を、こんな風にしてしまったのか。
ただただ言葉を失う私は、陶器人形のように硬質な目をした吉哉君を見ているしかなかった。
「だから謂ったでしょう、殺したかったから殺したと。それ以上に何が必要ですか? 何を求めるんですか?」
無常──。
「貴方は俺の、一体何が知りたいんですか?」
高層から突き落とされた気分を味わう。ぎりぎりで立ち往生していた安全位置は、容易い力が加えられた一瞬にして私をどん底に──這い上がれもしない。
何が謂えるというんだ。この瞬間に一縷の希望も零してしまって、今更私に何が謂える? 意味のない事をずるずる引き摺って、私は自分を貶めて何がしたい?
自己満足かもしれないんだ。謝罪を求めているわけじゃない、駄々をこねているだけなんだ。吉哉君の口から私は自分が望む言葉を求めているに過ぎず、それは吉哉君の知るところじゃない。自分勝手に私が縋って、振り回しているだけなんだ。
「憎んで下さい」
居た堪れず、辛うじて顔を伏せる私は吉哉君を見た。
「俺を、関わり共有してしまった時間の全てを呪って下さい」
見開いた私の目に映るのは、無感情を装う彼の──瀬能吉哉の真実だった。
「吉哉君……!」
私は透かさず立ち上がり、向けられる背中を引き止める。
只管に隠し続ける真意は解らない。殺意を抱いた理由も、本当のところは吉哉君にしか分からない。だが少なくとも、麻美に対して微塵の憎しみも抱いていなかった事だけは解ったのだ。
真っ黒な吉哉君の眸が、その一瞬だけ私を映した。
「あ……」
引き止めたのは咄嗟だった。頭の中ではぐちゃぐちゃな文字の羅列があるだけで、声に出せるほどまともではない。同時に椅子から立ち上がった私は焦燥に、ガラスに着いた手に拳を作るしかなかった。
この時、吉哉君が何を考えていたのか知る由もない。ただ私の言葉を待っていたのか、それとも、真実を語ろうとしながら迷っていたのか。知る術はもう、絶たれてしまっている。
「もし──」
沈黙の中、口火を切ったのは吉哉君の方だった。
「もし貴方が俺を憎んで、憎み過ぎて、果たして苦しみに変わってしまうなら……忘れて下さい」
冷ややかな吉哉君の背中が物悲しい。敢えて私を突き放そうとしているようで、吐き捨てられる言葉が寧ろ、泣いているように聴こえた。
「瀬能吉哉という人間がいた事、貴方の中から一欠片も残さず、その存在を消して──」
「吉哉、く──」
「終わりにしましょう」
──さようなら。
私は、吉哉君の何を見てきたのだろう。
閉じられた扉の向こう、君は何を思うのだろう。欺いてきたんじゃない。君は今を偽っているのか。
終わりを告げた吉哉君の横顔はとても穏やかで、辛苦に歪んでいた。
数日後──瀬能吉哉は獄中で病死した。司法解剖の結果、吉哉君の身体は病魔に侵されていて、手の施しようもないほど進行していたのだという。吉哉君は誰に告げる事無く、たった一人、静かな死を迎えた。
私は今でも吉哉君を忘れてはいない。それは憎しみと、迷いと、悲しみに満ちていても、苦痛に喘いでも忘れないだろう。それが私にできる一生の償いだと思うのだ。何の為か孤独に偽るしかなかった彼の為に、天国への対価として。
きっと忘れる事が吉哉君の為になるのかもしれない。だが最後に見た吉哉君の表情が私に、忘れないでと今も呟く。
──一欠片も残さず、その存在を消して……。
ほんの一欠片でも自分の存在を、私のこの胸に残しておいてほしいと……。
ありがとうございます!