僕を照らす星
ML/近親相姦/サークル企画
彼の生活習慣
どれほどの月日が経っても、夜空を見上げると思い出す。
たった独りきりでどうすればいいのか、何処へ行けばいいのかわからず途方に暮れていたあの夜。初めて見上げた空には、小さな光がいっぱいに輝いていた。
その光が何なのか、その時の僕は知らなかった。
何も知らなかったけれど初めて出た外の世界に、初めて見る空に輝く光の粒はとても綺麗で、たった独りきり寒さに震えていることさえ忘れて僕は、いつまでも見蕩れていた。
晴天の陽射しに冬の寒気も霞む午後。際立つ白髪に覆われた白肌に彫の深い日本人離れの顔をした青年──カッツェは、ボートネックの長袖の黒いシャツにジーンズ姿でリビングのソファに腰を沈めてのんびりと読書を嗜んでいた。
遠路遥々ドイツから池仲家へとやってきたカッツェはドイツ人の母親と日本人である池仲の父との間に生まれ、女手一つで育てられたハーフである。初めて日本へやってきたとは思えないほどの流暢な日本語に柔らかい物腰も相俟って、カッツェは同居して数日しか経っていないにもかかわらず池仲家に溶け込んでいた。しかし流暢とは言ってもいまだ把握し切れていない言葉は山ほどあり、今も電子辞書を片手に日本の小説──シリーズものの推理小説で難しい単語や専門用語などが多く含まれているものの、好んでカッツェは勉強の一環としてもそればかり読んでいる──を地道に読み進めている。
池仲家は愛求めるあまりに世界中を飛び回る父親の愛の結晶である──しかし大半は母親違いの息子らが集まり、現在では二〇人以上の大所帯となって日々を賑やかに暮らしている。池仲家の主が当時、何を思ってのことか業者でも入れないと掃除し切れないだろう大袈裟な家を建て、その管理を息子らに任せて愛の旅に出たのは間もなくであった。しかしその甲斐はあって兄弟が増え続けている池仲家は今のところ辛うじて改築する必要がなく、それはまるで父の思惑ともとれた。
池仲家の一員となったカッツェだが、生粋の日本人ではないカッツェの外国人登録や日本在留の手続きは非常に手間と時間を要するため、持っていた必要書類等は全て弁護士である兄の月が保管し処理していた。無論、カッツェ以外の兄弟全てのことも同様である。
活字慣れないカッツェがハードカバーの分厚い本を長身でしっかりした体躯を正してまじまじ見ていると、その様子を視界に入れていたらしい、アイボリーの薄手のプルオーバーにチノパンツというラフな服装で掃除に励むあおいが、何かに気付いたようで掃除の手を止めてカッツェの背後へと歩み寄った。
「カッツェ君」
「はい」
唐突な呼び掛けに驚きもしないカッツェが顔を上げると兄の一人である、あおいが既にその横に立っていた。
「髪の毛、邪魔そうだね? さっきから首周りを気にしているし」
「はい。ちくちくします」
あおいの問い掛けに本を膝に置くカッツェは白髪の襟首を片手で擦りながら主張する。
眼鏡の奥にあるあおいの観察眼は時に鋭く、さり気無くも万遍な気配りは兄弟中随一であった。兄弟が増えるたびに池仲家に打ち解けるよう裏で工作することもしばしば。眼鏡越しの爽やかな笑顔の奥は家中に盗聴器と盗撮カメラを仕込むような変態そのものだが、普段は無害な良き池仲家の主夫なのだ。
「じゃあ、僕が切ってあげるよ。それくらいなら出来るしね」
黒髪を揺らせて腰を屈めるあおいが微笑を乗せて申し出ると思わず、カッツェは長く白い睫毛に縁取られたグレーに染まる目を丸くする。
「よいのでしょうか?」
「うん。今日は天気もいいし、暖かいから庭でやろう」
「ありがとうございます」とカッツェは顔を綻ばせて、満足気なあおいもまた笑みを深めた。
冬季とはいえ晴天のこの日は大所帯の池仲家にとっては、大量の洗濯物も干せるため有難い陽気であった。池仲家の洗濯物量は一般家庭の度を超しているために業務用洗濯機と並んで業務用乾燥機も勿論あるのだがやはり、陽の光を浴びるのとでは違いがあるし主夫の拘りもある。池仲家の庭は兄弟全員が揃っても有り余るほど広く、夏場には特注の特大ビニールプールを設置し冬場には命がけの雪合戦をするなど、遊び場としても非常に重宝し活用されていた。
あおいが一先ずの掃除を終えたところで末の兄弟である、リィとぱとを連れて池仲家のもう一人の主夫である椎奈も帰宅し、ついでだからと広い庭に出て五人で美容室ごっこなるものを始めた。
ひらひらと、はためく洗濯物を眺めるようにして縁側に準備された子供用の椅子と大きな椅子にそれぞれ、リィとカッツェがカットクロスに覆われて腰掛けている。
「ほーら。じっとしていないと危ないよ」
「はーい!」
「いい子にして、終わったらおやつの時間だからね」
「チョコもー?」
「チョコも。でも、食べ過ぎたら駄目だよ」
「はーい!」
幼稚園に通うリィと小学生のぱとはすっかり「ごっこ遊び」気分で、タートルネックカットソーの袖を捲り上げつつセニングシザーを扱い、自身と似た色素の薄いリィの髪を実際にカットしている椎奈は梃子摺りながらも、はしゃぐ二人をなんとか宥めていた。
園の制服からハイウエストチュニックにフレンチローズのカットソーパンツに着替えた末弟のリィは幼年さながら大人しくしているという概念がなく、アクアブルーのプルオーバーにカーゴパンツ姿ではしゃぐ癖のある黒髪のぱとは、寝る子は育つと言わんばかりにどこであろうとよく寝る。二人はその純真さ故、埃一つないはずの家の中に時々現れる大人の玩具を見つけては食べ物だと勘違いして取り敢えず口に入れてみたり、どうすれば食べられるのか兄達に訊ねて冷や汗を掻かせてもいた。
元気あり余るちびっこ二人に齷齪する椎奈は、あおいと同じく池仲家のなくてはならない主夫であり、その器用さでもって家事全般を完璧にこなすが極々たまに珍料理を披露してくれるなど、本気なのか笑わせてくれるのか測れない一面も見せていた。
平日の池仲家は社会人や学生らが出払っているため、小さな鳥の囀りが聞こえるくらい静穏である。カッツェは就労が認められておらず、あおいと椎奈に教わりながら家事手伝いや子守をする毎日の中、日本語の勉強や文化を学んでいた。何もかもが珍しく吸収能力も長けているカッツェにとって退屈だろう平穏な日々は常に新鮮であった。
「なんや? 今日は美容室営業か」
背後の掃き出し窓が開く音と同時に声を掛けられ、カッツェとあおいは振り向く。
「月兄、ちょうど良かった。椎奈君を手伝って」
リィとぱとのちびっ子二人に悪戦苦闘する椎奈を気にしながらも、あおいはカッツェから手を離せずにいた。
帰宅早々、救援を求められた月は黒い背広の袖から覗かせた腕時計を見遣って小さく唸る。
「ああ。ええよ」
顔を上げると同時に月は、揺れる黒く長めの前髪を後方へ流し固めた髪に撫でつけるようにしながら背広を室内に置いて、眼鏡の位置を直しつつ庭へ出るとリィと椎奈の周りをちょろちょろしている、ぱとを難なく捕獲し縁側に腰を下ろして自身の膝の間に落ち着かせた。
弁護士事務所を自宅近所に構えている月は昼食や時間に余裕がある際には一時帰宅する。事務所にいては常に気の張りっぱなしで一服程度の休憩であろうと、寛ぐどころかちょっとの気も抜けないのだ。この日は仕事の都合で正午に帰って来られず今時分、午後の予定に備えて休息を取りに来たのであった。
暖かな陽射しと月の体温が心地いいのか遊び疲れたのだろう、ぱとは転寝し、リィは幼稚園で習った歌を椎奈と二人で口ずさむ。リィのたどたどしい歌声に鳥の囀りも合わさって、可愛らしい合唱隊に兄達は柔らかな笑みを浮かべていた。
あおいはカットシザーを用いてカッツェの髪の毛先を整えていたがふと、その頭を撫でて先程からある違和感を口にする。
「カッツェ君は、あまりセットとかしないの?」
染髪で痛んでいるのかとも思ったが、手に伝わる感触があおいには不思議でならない。すっかり干上がったような、からからの硬い質感はテグスに近い。
「そうですね。寝癖もつかないですし、気にしたことはないですね」
「そっか」
池仲家の兄弟は父親があれなだけにそれぞれ生い立ちにも事情がある。そのため深くは聞かないのが、特に兄たちの間において暗黙の了解でもあった。
「ああ、でも。ここへ来る前までは、スタイリストさんが整えてくれていました」
「スタイリスト?」
「はい。ここへ来る前まで一緒にいた方は──大きな会社の社長さんなのですが、僕のお世話をする方々を付けてくれていたんです」
「それって、かっつんの書類用意した人か?」
「はい。日本へ来る時も自家用機に乗せてくれて、空港からここまでは車で送ってくださいました」
笑顔で答えるカッツェにあおいと月は「次元が違う」と苦笑う。
月がカッツェより受け取った大判の封筒には書類と共に手紙が入っていた。そこに記されていたのはカッツェが日本に住み続けるための最善策と、書類等の不備や不明な点があれば連絡をくれと、覚えのある弁護士の名前と携帯番号があった。誰が呼び始めたのか、法曹界で知らぬものはないだろう「天帝」の異名を持つ男の名前に月は度肝を抜かれたのだ。
(相当な大物やと思うてたけど……なるほど)
奇妙な因果に月はまた苦笑した。
「その人は、恋人だったの?」
不意に椎奈に問い掛けられて頭を動かせないカッツェは向ける横目を細める。
「いいえ。飼い主ですよ」
ゲイであるカッツェは日本に来るまで多くの男の股を渡り歩いてきた。様々な変質的嗜好や技を仕込まれて身体には、それらの痕がまざまざと残っている。しかしカッツェはそれらの男たちを一人も恋人とは言わず、あくまでも飼い主と自分はペットだと主張し続けていた。
「それだけ面倒見て飼い主て……やることは──その、やってたんやろ?」
リィとぱとがいることを考慮し言葉を濁して訊ねる月にカッツェはきっぱりと言い放つ。
「ないですよ」
「え?」
思わぬカッツェの返答にあおいと椎奈と月の声が見事に揃った。
「ないて、何もせんかったんか?」
「はい。その方とは」
なぬ?!──と、三人の頭の上にでかい文字が浮かぶ。
「皆さんプロの方だそうで、すごく優しかったですし、上手だったんですよ」
皆さんってどういうこと!?──と、困惑しながらも、嬉々とするカッツェに対してこのまま話をさせるのはまずいと察したあおいは止めに入る。
「か、カッツェ君……その話はまた今度ゆっくり……」
「そうですか?」
椎奈と月は大きく首を縦に振る。なにせここにはリィと、寝てはいるもののぱとがいるのだ。純粋無垢な小さき弟たちにはとてもじゃないが聞かせられるものではないと、先日の長兄の惨状を目の当たりにした兄弟らは思い知っていた。しかしカッツェにはまだこうした配慮が欠けているため、周囲がブレーキをかけてやるしかないのだ。
こうして、すったもんだの池仲美容室は閉店したのだった。