僕を照らす星
ML/近親相姦/サークル企画
恋愛(?)指南
冬季の冷えた空気を諸ともせずに相変わらず、首周りの開いた薄手の黒い長袖のシャツとジーンズ姿で庭掃除をしていたカッツェが軍手を外しながらリビングへ戻ると、遅い昼食を摂りに一時帰宅していた月が背広を脱いだ白いシャツと黒のスラックス姿でキッチンに入っていた。
「月兄さん。帰っていらっしゃったんですね、おかえりなさい」
「ああ、ただいま。かっつんは庭掃除か?」
「はい。週末に専属の庭師の方がいらっしゃるそうですが、ある程度は綺麗にしておいた方がいいだろうと」
「まあ、庭師は庭の手入れが仕事やけど、少しはやっとった方が手間も減るわな」
「はい」
池仲家の庭は兄弟全員が揃ってバーベキューができるほど広く、とてもじゃないが自分らだけで世話ができる規模ではない。そのため定期的に専属の庭師を呼んで手入れをしてもらっているのだがそれでも、雑草などの草むしり程度は普段から行っていた。
月は汚れを落とした食器を洗浄機へ収めると食後のコーヒーをカッツェにもどうかと訊ねつつ、サーバーにある分を二つのマグカップに分ける。あおいと椎奈が月の食事とコーヒーをセットし、早めの買い物と合わせてリィとぱとの迎えに出たのだ。
「そういえば、ずっとかっつんに言おう思うてたんやけど——」
「はい」
「その敬語やめいや」
「はい?」
「かっつんはこの家に来たばっかりで慣れてへんのはわかるけど、俺らは他人ちゃう。兄弟、家族やねん。いらん気は遣わんでええ。せやから敬語もいらん」
「いらん、ですか?」
「そうや。家族に敬語やなんて他人行儀やろ」
「タニンギョウギ?」
「家族やったり友達やったり親しい仲やのに、他人に接するみたいな態度のこと」
「よそよそしい、という意味ですか?」
「そっちは知っとんのかい」
月の突っ込みにカッツェはにこりと微笑む。
「内と外で使い分けるんも大事やで」
「使い分ける、ですか」
顔色は変わらなくとも困惑しているのが月にはわかった。海外育ちのカッツェにとってはまだ難しいだろうが、これもまた学びの一つなのだ。
「そ。俺の言うてることは正しい、ええな?」
砂糖とミルクたっぷりのコーヒーを差し出す月は有無を言わさず。それでも教えてもいない好みを把握している手元は優しくて、普段はあおいか椎奈が淹れてくれる甘いコーヒーをおずおずと受け取るカッツェはこくりと頷いた。
冬の空気は冷えていても空は青く澄み渡り、僅かな暖かさを誇る陽射しがティータイムを過ごすカッツェと月のいるリビングへと差し込む。
「なあ、かっつん。かっつんの面倒をみとる景重さんって人のことやけど」
「はい」
テーブルを挟んで月の真向かいに座るカッツェは両手で包むようにしてカップを抱え、甘い香りのコーヒーに一口付けると月の問い掛けに顔を上げる。
「その人の苗字って、なんて言うん?」
「嵯峨です。嵯峨景重さん」
コーヒーに一口付けた月はカッツェから発せられた名前を聞くなりぐっと息を詰まらせる。
(嵯峨……嵯峨景重の名前で大きな会社いうたら——)
月の顔を冷や汗が垂れる。
「もしかしてその大きな会社って、嵯峨グループって言わん?」
「はい。そうですよ」
にっこり笑顔で当然の如く答えるカッツェに月は、敬語で話されていることも素っ飛んで「げっ」と小さく声を漏らした。
(嵯峨グループいうたら世界最高の大企業やんか……)
片手で頭を抱える月は素知らぬ顔でコーヒーを嗜むカッツェを見遣る。
(まあ、でも。それだけの大物やからこそ、あれだけの大金をポンッと出せるんやろなあ)
実のところ、カッツェの養育費と称した通帳と印鑑が月へ手渡された書類に同封されていたのだ。その金額はカッツェの言う飼い主が赤の他人のために出せる程度ではなく、手紙にもカッツェが就労を始めた時に渡すことと、それまでは弁護士である月が管理することと書かれていた。この事実を知っているのはカッツェと月そして、池仲の主夫である椎奈とあおいだけである。
世間知らずではあるものの、カッツェは自分の立場をよくよく理解していた。日本へ来るまで嵯峨景重のもとで様々な事柄を学び、これからどうすべきか、現在(いま)のカッツェの立場はどういうものか教えられていた。毎日の勉学や読書なども景重から言われていることで、それが徐々に身に付いてきて今や当然の行いとなっているだけなのだ。そうしてカッツェの他人行儀で隙のない敬語もまた、同じく染み付いたものであり指摘されてもなかなか崩しようがない。
カッツェは必要だと言われれば何でもする。どんなことでも「やれ」と言われれば答える、そう育てられたからだった。カッツェ自身の主張や関心事などは性欲にしか働かないために景重は、こうすべきだとカッツェを教育していた。
(しかし、嵯峨グループの総帥にそんな趣味があったなんて驚きやなあ。まあ、こんだけ綺麗な顔しとったら分からんでもないか、フェロモン垂れ流しって感じやし。それでもそこまで執着するんは一種の病気か、何か企んどるんか……)
関わりはなくとも月は弁護士という仕事柄、企業や政財界の黒い噂というものを耳にすることもよくあった。無論、嵯峨グループも例外ではない。しかし結局は噂止まりで事実であろうと証拠がなければ警察は動けない。何より大物であればあるほどコネもあり警察が手を出せない理由もあるのだ。いや、嵯峨グループの場合は何をしようと黙認されていると言った方が正しいだろう。天下りを盾にされて手を出せば将来はない。汚いと言えば汚いが珍しい話ではなかった。世界の表も裏も牛耳る嵯峨グループとその総帥である嵯峨景重の得体は知れず、信用に値するかどうかもわからない。不安は拭えないが目の前にいる弟が世話になっていることは確かで、せめて悪いことにだけ関わらなければいいかと月は一息吐く。
得体が知れないと言えば目の前の弟——カッツェも例外ではない。
素直と言えばそれまでだが、生まれながらのペット気質はえらく従順で聞き分けがいい。学ぶことには貪欲で、わからない事柄は何でも聞きにくる。ただし性に関しては知識が豊富で性欲が絡むと人格が豹変する二面性を持つ。
月は向かい合う弟に秘められたその真意を測り兼ねていた。だからといって土足で踏み込んで侵害する気など毛頭ないが。
そういえば、と、静か過ぎる家内にふと月はあたりを見回す。
「それはそうと、留守番はかっつんだけか? 鷹兄は?」
「いいえ。朝食の時に一度お見掛けしただけで、僕はわかりません。それに、鷹見兄さんと顔を合わせるのはいつも、お食事の時くらいですから」
カッツェが兄の一人である鷹見とまともに話したのは池仲家にやって来たその当日だけで以降は、たまに見掛ける程度であった。ルポライターとホストを兼業する鷹見は仕事があるからと自室に篭っていたり夜はホスト業に専念していたりと、カッツェは食事時にしかその姿を見られなかった。
「あの、お訊きしていいですか?」
「なんや?」
「鷹見兄さんのことですが……」
「鷹兄がどないしてん?」
ヒトに対して関心などないと思っていたカッツェの問い掛けに珍しいと思いながらも、月はその先を促す。
「僕は、鷹見兄さんに嫌われているのでしょうか?」
「なんでや? 何かしたんか?」
「いいえ、何も。でも、なんだか避けられている気がして……」
カッツェは両手で包むようにしてカップを抱え、甘い香りとは裏腹に眉尻を下げた。
(そらまあ、親父似の麿兄が早々襲われてもうたんやから、次は自分や思うて逃げるやろなあ)
月は盗撮マニアのあおいが収めた麿の悲劇を思い出し、僅かに顔を背けて苦笑した。
麿は池仲家の長男であり、鷹見の双子の実兄でもある。
真性裸族の麿は冬だろうと常に全裸で過ごしている。見ている方がどうでもよくなるほど堂々としていて服を着ては麿ではないと、誰もが断言できるくらいに定着していた。しかし勝負下着として紫の褌は所持している。
カッツェが池仲家に来てすぐ、ハーフというよりは欧米人のペニスのほどに興味津々な兄弟らによって仕組まれた奇襲作戦に於いて、言葉巧みに嗾けられた麿はカッツェと長く熱く激しい一夜を過ごした。無論それは池仲家のコレクションの一つとなったのだが実は、受け専門のカッツェがまさかサディストであったという衝撃の記録は、あおいの編集によって年齢制限をかけられ二分されたのであった。
カッツェがゲイであり尚且つ父親とのセックス目的半分に池仲家にやって来たこと。父親と瓜二つである麿が襲われたことを知った鷹見は池仲家唯一のノンケである。
池仲家は傍から見れば仲の良い兄弟で認識されているものの実情は、兄弟間での性対象としての愛もあった。異常であろうと外界と何ら変わりない恋心や激情が池仲家という世界で繰り広げられる中、鷹見は中てられることなくノンケを貫き兄弟思いの正常マトモな良き兄として存在しているのだ。
ゲイであるカッツェが池仲家の事情に気付かないわけはなかったが鷹見がノンケである事実はいまだ知らないまま。嫌われていると勘違いしても仕方がない。
「僕が気のついていないだけで、何か怒らせるようなことをしたのかも……」
マグカップの中のコーヒーを見据えて悄然とするカッツェの様子は珍しく、月は首を傾げた。
(こんなん初めてや。そういう感覚は疎い思うてたけど、意外に気にするタイプなんか?)
感情表現の乏しいカッツェは常日頃から表情の変化もほとんどない。ましてカッツェが池仲家に来てから見せるのは笑顔ばかりで、それは非常に喜ばしいことなのだ。
明らかにしょげ込んでいるカッツェを目の当たりにして月は、まさか鷹見が男に対して性や恋愛云々の興味がないという事実をゲイの人間には語れず、それどころか教えたことで「避けられているかも」という曖昧な考えを明確にしてしまうわけで……予測した結果に溜息がついてくる。
「元気出しい。嫌われてんとちゃうから」
「そうでしょうか?」
よくある慰めの言葉でも気休めにはならず、カッツェの気分は晴れないまま俯くばかりだ。
月は一先ずこの場を収めようと当たり障りのない言葉を選ぶ。
「鷹兄は、その……恥ずかしがり屋なだけや」
咄嗟に口を吐いた苦しい言い訳に我ながらアホやと思う月は、あのまともな鷹見が男相手に恥ずかしいなどと思うだろうか、と、有り得ないことに頬を引き攣らせる。露知らずカッツェはパチクリと瞬きを数回繰り返し、頭上にでかいクエスチョンマークを浮かせているようであった。
「恥ずかしい?」
「かっつんが慣れてへんのとおんなし。どう話しかけたらええんかとか、話しかけられたらどう答えたらええんかって、そういうこと考え過ぎとるだけや」
本人居らずとも月は鷹見の人格を尊重しようと思い、下手な言い訳をなんとかフォローする。
「そういう、もの?」
「そういうもん。せやから気にせんと待っとけ」
最終的には押し切ってしまった。
「はい」
月兄さんが言うなら間違いない——と、カッツェは納得して微笑む。
(このままにしておけんよな……どないしよ)
なんとかフォローしたとはいえ鷹見(えもの)がカッツェ(ハンター)から逃げ回っていることは明らかであり、ほおっておいても良い方向へ進むとは思えない。
悩める弟のため月は、あることを目論むのであった。
月も仕事へ戻り買い物が長引いているのか、あおいと椎奈の帰宅もまだの池仲家のリビングでは、連日の晴天にはしゃぐ鳥の声が響く。平穏なひと時の中、庭の手入れを済ませたカッツェは電子辞書を傍らにソファで読書を嗜む。電子辞書は日本に来る以前、嵯峨景重から贈られたもので、勉強や読書は子守や家事手伝いの合間の日課となっていた。
熱心に本を読み耽るカッツェの後姿を、リビングの端の壁越しから窺うのは鷹見である。
——兄貴やったらもっと巧くかわしてくれ。
自室で仕事に励んでいた鷹見は突如、襲撃してきた月に部屋から引き摺り出されるようにして強制連行され、あれよあれよと危険領域の前に抛り出されたのだ。
(月も無茶言いやがって。麿の二の舞になったらえらい目に合わせてやっからな!)
逃げ回るのは男として情けなかろうがノンケの鷹見にとってゲイのカッツェの存在は彗星のごとく。ノストラダムスの大予言が今更になって実現したどころかピンポイントで、自分にいらんプレゼントを寄越したのだと鷹見は嘆いた。しかし月から聞かされた話を無視するわけにはいかず、兄弟円満、池仲家平和第一主義が弟を泣かせたまま——月曰く「鷹見兄さんに嫌われてるーって、泣いてたでー」——放置などという外道な真似ができるはずもない。
鷹見は追い詰められて悩む赤茶色の頭を片手でぐしゃぐしゃに掻き乱し、深呼吸を数回繰り返すと意を決して何故か足音を立てないよう、しかし足早にカッツェの元へと向かった。
「あ」
突然軋んだソファの感触にカッツェが顔を上げると白いTシャツにジーンズ姿で素知らぬふりをする鷹見が、もう一方の端へと腰を下ろしていた。
声をかけようとしたカッツェは躊躇い、「待っとけ」という月の言葉に従い本へと視線を落とした。
カチカチと時を刻む秒針が沈黙を際立たせる。
本に視線を置いたままのカッツェは一頁も進まず、片膝に頬杖を突く鷹見はひたすらタイミングを計り続け、ソファにぽっかりとある空間と同じく二人の距離は不自然に保たれたまま、思惑だけが交錯していた。
横目でカッツェを窺っていた鷹見はそろそろ耐え兼ねて息を吐き、ようやっと口を開く。
「誤解させたみたいで、悪かった。でも、お前のこと嫌ってるってのはねえから、さ……」
顔を上げたカッツェは鷹見を見据えて、視線に気付いて鷹見もまた僅かに顔を向けた。
「本当ですか?」
冷たく、射貫くようなカッツェの双眸に空気は一変して鷹見は瞠目する。避けていたのだから当然まともに顔を合わせたことはないが、いつも薄く笑みを湛えている姿しか知らない鷹見にとって、まるで敵意を向けているような、警戒するようなカッツェの様子は意外であった。
「あ、ああ」
それでもなんとか絞り出した鷹見の答えに、暫しの沈黙のあと、見る見るうち笑顔になるカッツェが身を乗り出した。
「鷹見兄さん」
「——って、ちょっと待て! 何考えてやがる!?」
カッツェのフェロモン全開な視線に殺気を感じ取った鷹見は瞬時に後退る。
「誘ったのは鷹見兄さんですよ」
「馬鹿! 誘ってねえし、そういう意味じゃねえ!」
興奮しじりじりと迫りくる脅威に墓穴を掘った鷹見は逃げ場を失い、後ろ手で縋るソファの肘掛からずり落ちそうになる。
「愉しませて差し上げますよ」
「ストップ!!」
鷹見の掌が行く手を阻んでカッツェは動きを止めた。
「嫌いじゃねえけど、そういうのは待て!」
まるで御主人様が犬に対して命令するように鷹見はカッツェを制す。
「そういうの?」
「お前は俺に興味があるのか? それとも、俺の身体に興味があるのか?」
上体を起こしつつ冷静さを取り戻した鷹見は疑問を投げかける──が、言葉の意味を理解できないカッツェは寧ろ、疑問を投げ返すようにして小首を傾げる。
謝って済むはずが説教に繋がり、どう分からせようかと鷹見は眉間に皺を寄せた。
「だから……お前は親父に興味があって、親父そっくりな麿としたわけだろう?」
「はい」
(即答かよ!)
満面の微笑に鷹見の頬が引き攣る。
「それで、麿と双子である俺ともしたいわけだ?」
「はい」
「断る」
「え?」
「当たり前だろ。なんで俺が親父の代わりにお前とやらなきゃなんねえんだ。お前は興味本位だろうけど、俺は遊びでセックスなんて御免だ。ましてや身代わりなんてナンセンスだっての!」
もっともな言い分を一気に捲し立てて鷹見は、髪を掻き上げてそっぽを向く。鷹見にしてはいつになく感情的だが、ある意味、貞操の危機に追い込まれているのだから必至なのも当然だろう。
意気消沈するカッツェの表情は無に等しかった。それは怒られたことにショックを受けたからでも落ち込んでいるからでもない。
「みがわり……」
急激に冷えたカッツェの双眸の奥では古い映画の如くブツブツとノイズ雑じりに、こびり付いている過去の映像がカラカラと音を立てていた。
大人しいカッツェの様子に少し強く言い過ぎたかと思いつつ、しかしここで甘やかすのも危険だろうと鷹見はフォローを考える。
「俺と——誰かとどうこうなりたいって思うんだったら、そいつを意識してから言え」
「意識……?」
「身代わりだとか身体目的とかじゃねえ、本気になってみろってことだ」
「本気に……」
鸚鵡返しに呟くカッツェを視界から流し立ち上がる鷹見は、見上げてくるその姿を正面に捉えた。
「分からねえなら考えろ。お前なりに」
告げる鷹見の声は冷静で低く、ひどく真剣で、眼孔はカッツェを真っ直ぐ見据えていた。
鷹見はあえて自分の身を危険に晒した——餌にしたと言っても過言ではない。だが同時にそれは鉄壁の防衛にもなったのだ。人間早々本気になれるものではない。それは一夜の色恋を求めてホストクラブにやってくる気紛れな女ばかりを見てきた、作り笑顔と甘い言葉を吐くプレイヤーとしての鷹見の見解であった。
(本気……本気になるって、どういうこと? 僕の気持ちは、それとは違うの?)
リビングに一人残されたカッツェは戸惑っていた。そんなことを言われたのは初めてで考えたこともなかったのだ。好きという気持ちはあっても、それだけでは許されない領域がある。「本気になってみろ」と言った鷹見の言葉はカッツェにはとても重く、その意味が全く分からない。
本気とはなんなのか、身体を重ねるだけなのに果たしてそれが重要なのか。ただただ考えるばかりのカッツェの前には無限に、複雑に入り組んだ迷路が広がっていた。