久多良木文庫
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Lovers Tale

BL/ML/ラブコメ短編集




恋愛小説




 あんたは俺の父親で、俺はあんたの息子。
 でも、血の繋がらない親子。
 俺はあんたにとって、息子以上にはなれないのかな。

 帰り支度を整えて吐く溜息は癖になってしまい、この日の下校時間も俺には憂鬱でしかなかった。
「おーい、灰野! お迎え来てるぞー!」
「言われなくても、わかってる……」
 既にお馴染みになってしまってる周りのひやかしに苛々しながら、俺は半ば居心地の悪い教室を後にした。
 冷やかされる度に足早になるが、いざ帰ろうと思うと途端の足取りは徐々に重く、深い溜息を吐かざるを得ない。その原因は目の前にある。
「だーかーらー……」
 下校時刻の校門前は生徒で溢れていて、嫌でも目立ちまくりの俺の目の前に居る奴は、満面の愛想を振り撒いていた。
「いちいち迎えに来なくていいって言ってるだろ。学習能力ってもの無いのかよ、あんたは」
 怒り心頭の俺は、人の気も知らないで悠長に愛車のハマーに寄り掛かる男を睨み付ける。毎度のことだが、当の本人には全く効かないのが現状だ。
「何言ってんだ、嬉しいくせに。大志は本当に素直じゃねえなあ」
「嬉しくねえっての! そうやって何でもかんでも自分の都合の良いように解釈するのやめろよな!」
「だってそうだろ」
「勝手に断言すんな!」
 何を謂っても通用しないこの滅茶苦茶な思考回路を持つ男──才賀庵。認めてもないしこれからも認めたくないが、俺の父親である。但し義理の。
「いいからほれ、乗れよ。帰りにケーキ買ってやるから」
「子供扱いすんなっての!」
 癖のように張り付いた意地悪い北叟笑みは如何にも挑発するようで、お陰で俺に張り付いたのは不快を表す眉間の皺だった。
 この変人──もとい、才賀さんと初めて会ったのは俺が十二歳の時だった。本当は物心つく前に何度か会ってて写真も残ってるけど、当然の如く俺は覚えてなくて、いきなり抱きついてきた軽妙な才賀さんに面喰らって最初は変態呼ばわりもした。実際かなり珍妙な人間なんだけど……。
 才賀さんは、俺の実の父さんと母さんの大学時代からの友人だった。見るからに雰囲気も派手で、遣る事為す事も豪快で自由気儘な人。思い立ったら考えるより先に即行動に移すタイプで、娯楽好きだった事もあって何十年も海外に居たらしい。日本に帰ってきたのは父さんが亡くなって直ぐ、母さんは病気を患っていて、会ったのはその病室でだった。何度も顔を合わせるうちに親しくなって、一方的に才賀さんに呼び出されることもしばしばだった。
 再婚の話はその最中唐突に、病床に伏せる母さんの口から告げられたんだ。
──お母さんね、再婚することにしたの。
 驚くしかなかった。別に、父さんが亡くなって間もないからってわけじゃない。だってどう見ても二人は友人、俺にはそれ以上も以下にも見えなくて、寧ろ義理に思えた。それならそれで、母さんの為には良かったんだ。どんな形でも、衰弱していく母さんの傍に誰か心許せる人が居てくれるなら俺は安心できた。
 許せないのは……許せなかったのはただ、再婚の理由が俺のためだったことと、その相手が才賀さんであることだった。
 二人が再婚して間もなく。ずっと寝たきりだった母さんは回復の兆しを見せる事無く、父さんの後を追うようにしてこの世を去った。
 母さんが息を引き取る直前、病気の影響でか細くなってしまったその手を優しく握る斎賀さんの、語りかけた最後の言葉を俺は忘れない。
 才賀さんと暮らし始めてから、俺のペースは狂わされっ放しだ。家にいるといちいち構ってきてゆっくりできないし──唯一のリラックスタイムは風呂の時間だけだ──学校では才賀さんのファンだっていう女子たちの質問攻めに遭うし。それまでの生活環境がすっかり騒がしくなってしまっていた。
 身勝手なご機嫌直しに結局、帰りがけに寄ったケーキ屋で苺のショートケーキを二人分買うと、帰宅した俺と才賀さんはダイニングテーブルを挟んでホットコーヒーと一緒にそれを嗜んでいた。
「ここ二〜三日締切に追われっぱなしだからな。たまには甘い物も悪くない」
 滅多に甘い物なんて口にしない才賀さんだったが、疲労が溜まってるのか珍しく食べ進めている。
「忙しいなら、俺なんてほっといて仕事しろよ」
「そいつは無理だ。可愛過ぎて構いたくなるんだよ、お前は」
 可愛い──驚きの余り目を見開いた俺は、思わず口に入れた一欠片のケーキを喉に詰まらせるところだった。
 才賀さんの仕事は……はっきり謂って顔にも性格にも似合わない、純文学作家である。俺は最初官能小説でも書いてるのかと思ったほどで──そっちの方がよっぽどお似合いだ──疑うならと差し出された本は、全身がむず痒くなるくらい甘い恋愛小説だった。
 仕事宛ら殆ど引き籠り状態なものだから、毎日愛車での送迎は当たり前。遅くても早くても、それはもうこの人の強制的な日課で、俺がいくら嫌がって断っても全然聴きやしない。それどころか俺が天の邪鬼なだけで素直じゃないって、手前勝手な思考回路で解釈してる。
 でも、違うんだ……嫌なのはそんな事じゃない。問題なのは、才賀さんが俺の父親だって、自分の口から周囲に公言する事だった。
 時が経てば経つほど膨らむばかりの想い。素直になれないんじゃない。素直になってしまえば止まらず、全部ぶちまけてしまいそうで怖いからだ。一言でも口をついたら最後、今の関係は壊れてしまう──そんな怯えが、俺の口を噤ませていた。
「だって俺は……俺は、あの人が──」
 物思いに耽り過ぎた長風呂から上がった俺は、書斎で仕事をしてるだろう才賀さんの様子を覗いた。ドアの隙間から覗く部屋は薄暗く、机上の電気スタンドの灯りだけが手元を照らしてる状態だった。
「んー?」
 射し込むリビングの光と俺の視線に気付いたのか、才賀さんは背凭れに腕を乗せて椅子ごと体を捻った。
「上がったのか? 随分ゆっくりだったな」
「え、あ、うん。才賀さんは?」
「後でいい。やっと気分が乗ってきたところなんだ」
 心臓が強く跳ね上がった。捉えた才賀さんの表情はいつものそれとは違い、無邪気な子供の笑顔そのものだった。
 そういえば一緒に暮らし始めて随分経つけど、才賀さんが仕事をしてる姿なんて余り見た事がない。いつもは俺が寝てる時、夜中にしてるみたいなんだが、今回は締切に追われていて余裕がないらしい。
「どうした?」
「え!?」
 すっかり見蕩れてしまっていた俺は不意に、眼前に立つ才賀さんの至近距離に迫った顔に驚かされた。
「顔、赤いぞ。大丈夫か?」
 才賀さんは俺の顔を覗き込んで、額に手を伸ばしてくる。前髪を避けながら宛がわれる大きな手は骨張っていて男らしく、冷やかな感触を得た。
「熱は無いみたいだが──」
「何でもない! 大丈夫だって!」
 俺は咄嗟に額に宛てられた才賀さんの腕を取ると、強張る体を少し退いた。
「あ、とっ俺、コーヒー入れてくるよ!」
 上気していくばかりの顔を才賀さんから隠すよう逸らして、慌てて俺は逃げるようにしてキッチンへと走った。
 心臓が酷く五月蝿い。さっきまで逆上せるくらい才賀さんの事を考えてたせいで、過剰に緊張してしまう。そうでなくても、自分でも呆れるほど何度も、あの人に対する気持ちの再確認を強いられてるんだ。その上、あんな笑顔を見せられたら……。
 サーバーに落ちるコーヒーの滴を見据えながら、俺の気持ちは昂っていた。
 密かに育った想いを自覚したのは中学一年生の時、母さんから才賀さんと再婚すると告げられて間もなくだった。それまでずっと胸の辺りがもやもやしていたけど、自分でもその理由がわからず困惑していた。だけど、それが何なのか知ってからは、無性に苛々して仕方なかった。
 謂いたくても言えない、謂ってはいけない。義理でも才賀さんは父親で、俺は義理でも息子でしかない。所詮、才賀さんにとって俺は子供で……ただの、子供で……。
──庵……大志のこと、お願いね……。
──安心しろって。何があっても、俺が大志を守っていくから。真行由依子の分まで、ずっと傍で、一緒に生きていくから。
「大志?」
 その時の俺は才賀さんの事で頭の中も心もいっぱいで……それ以上に辛かった。
 だから、今までずっと必死に抑えてきた気持ちが──我慢の限界だったのかもしれない──無意識に口を吐いてしまった。
「大志? どうし──」
「なんで……」
「え?」
「どうして才賀さんは、俺の父親なの?」
 振り向くと其処には、才賀さんが立っていた。
 見上げた俺を見下ろす双眸は僅かに見開かれて、当惑してるようだ。
「どうして、俺があんたの子供なんだよ!」
「大志」
「どうして!? なんで俺が──っ!!」
 一度口を吐いてしまえば止まらなかった。才賀さんに対する想いが溢れては次から次へと言葉に変換され、我を忘れた俺はみっともなく喚いていた。
「あんたと俺は似てないし、血も繋がってない……それなのにどうして親子になるんだ! 俺は認めてないのに……っ! 認めたくなんてないのにっ!!」
 視界が滲む。言葉と同じ、止め処なく溢れてくるものが、俯く足元にぱたぱたと落ちる。
 八つ当たりだった。俺の気持ちに少しも気付いてくれないで、いつでも変わらず飄々としてる才賀さんが許せなかった。それが筋違いだと解ってても、ここまで謂ってしまったらもう、今更後に引ける筈もない。
「おれっ……俺は……!」
 俺は拳を強く握り締め、唇を噛み締めた。
「俺はっ才賀さんのこと──」
 再び顔を上げた瞬間、唐突に伸びてきた手に掴まれた腕ごと身体を引かれた。
 何事かと混乱するまま後ろ頭を抱えられ、いとも容易く俺の体は其処に納められてしまっていた。
「才賀、さん……?」
 喫驚に涙も止まった俺は、才賀さんの力強い腕の中でただ茫然とするだけだった。
「俺は、お前が家族で良かった」
「え……」
「お前がどんなに拒絶しようと否定しようと、居場所は此処しかない。俺と居るしかないんだ」
 背中と腰に回された才賀さんの両腕に力が籠められる。未だパニック状態の俺の体は引き寄せられるまま踵が浮いて、自分の力で立つというより才賀さんによって抱えられていた。
「でもお前が──大志が他人で良かった」
「才賀さ──っ」
 俺を締め付ける才賀さんの腕が一瞬緩んで、再び捕えられた後ろ頭は固定されて真上を向かされた。
 隙を縫い発した言葉は忽ち視界と共に塞がれて、唇には感じた事のない熱が触れていた。
「んっ……!」
「大志、口開けて」
 才賀さんは触れたままの口から懇願すると、舌で俺の口唇をなぞり濡らす。追われて込み上げる快感に息が詰まりそうで、僅かに口を開いた俺は途端に侵入してきた熱く滾るものに目を見開いた。
「ふ、んぅ」
 優しくも執拗なそれに未熟な俺の舌は絡め取られて、口の端から吐息混じりに声が洩れた。それは酷く艶やかで甘く、朦朧とする意識でも自分のものだなんて信じられなかった。
「大志……」
 角度を変えて繰り返される口付けの合間に、掠れた低い声で切なく名前を呼ばれる。その度に震える心を揺さぶられて沸騰しそうで、切羽詰まった俺は辛うじて才賀さんの服の腕を掴んだ。
 ゆっくりと離れていく温もりが名残惜しくも、解放された事で俺は才賀さんに体を預けて、乱れた呼吸を整えた。
「悪い、いきなり……」
 顔を寄せられた耳元で小さく囁かれたが、掛かる吐息に一度熱を帯びてしまった心と体の疼きが刺激される。少しでも油断したら溢れてしまいそうなほど俺の箍は外れていて、思わず固く口を閉ざした。
「大志──このままずっと俺の傍に、この腕の中にいろ。たとえ嫌がっても俺は一生お前を放さないし、何があってもお前は俺だけのものだ」
(う、あ……っ)
 それはまるで、才賀さんの書く恋愛小説に出てくる科白みたいだった。すごく気障だけど、酷く恥ずかしくて、でもやっぱり嬉しかった。才賀さんが同じ気持ちだった事も、俺の事をそんな風に、ずっと思ってくれてた事も。
 輪郭をなぞる才賀さんの指は俺の顎を持ち上げて、親指の腹で下唇をなぞった。煽られた僅かな口の隙間から息を吐き、俺は羞恥心に駆られてきつく閉じていた瞼を開けた。
「余り誘惑するな。流石に我慢にも限界がある」
 そう言って才賀さんは苦笑う。勿論、俺は誘惑してるつもりはないのだけれど、初めて沸き起こる欲望の疼きは治まりそうになかった。
「そんなの、いい……だって、俺は才賀さんが好きだから。好きな人に──才賀さんになら何をされても構わないし……嬉しいんだ」
 自分で謂っておきながら俺は、途端に更なる羞恥に駆られてしまい、一気に顔まで火照るのがわかって咄嗟に俯いた。
(何言ってるんだろう俺──これじゃあ本当に誘惑してるみたいじゃないか!?)
「大志」
 頭上から降る才賀さんの声は密やかに誘うようで、切迫する俺は身体が強張り心臓ははち切れんばかりに激しい音を立て始めた。余りにも五月蝿過ぎて才賀さんに聞こえてしまうんじゃないかと、ますます恥ずかしくなって俺は首を横に振る。
「大志」
 才賀さんはもう一度名前を呼ぶと、促すように俺の頭を撫でた。
 髪を梳くようにして緩やかに頭を撫でていく才賀さんの手の暖かさに心地好さを覚えつつ、俺は囚われる羞恥を抱えたまま恐る恐る顔を上げた。其処には柔和な面持ちの才賀さんが北叟笑んでいた。
「茹で蛸」
「ふぐっ!?」
 揶揄うように口角を上げた才賀さんは喉の奥で笑いつつ、頭上に湯気を立ち上らせんばかりの俺の鼻を摘んだ。
「そんな熱烈な告白が聴けるなんてな、俺は幸せ者だ」
「ぶはっ! いきなり何すんだ!」
 満面に喜悦を浮かべる才賀さんの手を、摘まれた自身の鼻から引き剥がして怒鳴る。それでも片手だけで抱き込まれた身体はしっかりと固定されたままで、まともに身動き一つ取らせてもらえない。
「もうっ放せよ!」
「嫌だ」
「子供かよっあんたは!」
「実感してるんだろう、お前は俺のものだって」
「なっ〜〜〜〜!」
 再び両腕で押さえ込まれる。何とか逃げようと身体を捩ってもびくともせず、溜息を吐いて俺はとりあえず、才賀さんの気が済むまで大人しく収まっている事にした。
 才賀さんの胸元に密着する耳奥に、規則的な鼓動が聴こえてくる。その音がまたとても心地よく感じられて、まだ強張っていた身体の力が安堵共に自然と抜けていった。
 もしかしたら、俺の心臓の音も才賀さんに伝わっていて、同じように感じてくれてるのかなって思ったら、その広い背中に腕を回していた。
「愛してるよ、大志」
「俺も……好きだよ」

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