久多良木文庫
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Lovers Tale

BL/ML/ラブコメ短編集




DICE


 喉奥で嗤う男の足許に跪いて、謂われるがまま口を開いて奉仕する。
 何度目かなんてわからない。屈辱でもなきゃ、義務だと理解して忠実になるしか生かされない。
「ん……っ」
「飲むんだ、全部」
 飲み下した先で苦味が広がる。最後の一滴まで綺麗に舐め取って、残さずまた飲み下す。
 何度目かなんてわからない。屈辱でもなきゃ、義務だと理解して忠実になるしか生かされない。
「無感情を装っても、その瞳は私を憎しみに捉えている」
 下顎に添えられた指が首へと滑る。視界に据える冷ややかな男は一層口角を上げて、掴んだネクタイの結び目から俺の身体を力任せに釣り上げた。
「正直な男だ、貴様は。そして従順だ、恐ろしいほど……」
「仕事のお時間です、社長」
 怯むことない俺の態度に男は短く笑う。
 解放された俺は当然のように、掛ける黒革の椅子に凭れる男の乱れたスラックスを整えると、自身の歪んだネクタイを直しながら立ち上がった。

 何度目かなんて、もうわからない。この男に仕えて何年経つか、それすら数える機会を失っている。
 だが必要ない。気付いた時には跪き、言われるがまま快楽を施し、されるがまま身体を捧げた。
 これは仕事。
 これは義務。
 そう刻まれた俺の運命は全て、この男に委ねられているのだから。

 不破コーポレーション──先代社長が一代で築き上げた不落の城。
 俺の爺様はその先代に仕え、親父は前社長を跨いだ。心酔した爺様の遺言通りの学歴を持って俺はこの会社に勤め、引退した親父の後を引き継いで秘書室長になった。挙句の果て、現社長と一つ屋根の下で暮らせなんていうお達しまで出たのだ。要は身世話をしろということなんだが、なんだって妻子持ちがわざわざ家庭を離れて赤の他人と暮らすのか。それもこれも、代々俺の家系が何の因果か不破家に仕えていた、その名残だ。
 不破家と実政家。明治時代から続く間柄だと、爺様から聞いた記憶がある。それ以外、特別な繋がりなんてものはない。あるのは主人と隷属の主従関係だけだ。
「室長。千堂商事の物部様が、社長にお会いしたいと受付にいらしているそうです」
「またか……」
 利益が出ないなら必要ない。求める結果がないなら切り捨てるのは当然の摂理だ。それをいつまでもぐだぐだと──。
「社長の手を煩わせるまでもない、私が出る」
 煩わしい溜息を一つ零す。社長にお伺いを立てたところで何も変わらない。あの男のことだ、一蹴して終わりだろう。
 何年も傍にいると嫌でもわかってしまう。非人道的で容赦なく、冷徹で独裁的。使える駒は利用し、駄目だと知れば一秒と経たず首を切る。弱肉強食の世界ならでは、君臨する男は現代のヒトラーのようだ。その素性すら知るのは数少なく、俺くらいだ。
 不破卿吏──不破コーポレーションの現社長。爺様の遺言でもなければ関わりたくない人間だ。だからと言って仕方なし従者を演じてるわけではない。その程度ならあんな売女紛いの真似なんて出来やしない。無論、恋でもなきゃ愛でもない。お世辞にも尊敬できる男ではなかった。
 正直、何故ああなったのかわからない。骨の髄まで染み付いた血の遺伝か……跪けと言われて大人しく従った自分の思考回路が、今でも理解に苦しむ。

「はい?」
 一日のスケジュールを伝えていたその時、重ねて唐突に掛けられた言葉は不覚にも聞き取れず、俺は反射的に訊き返した。
──跪け。
 そう言った。低く掠れた声と凍りつく眼差しで威圧を掛けてくるのは不機嫌な証拠だ。
 初めてではなかった。それまでも理不尽な命令はいくらでも利かされていたからだ。たとえば仕事に関係のないことも……ただ少しだけ、いつもと違う男の様子を感じ取っていた。長年傍に居たから気付く、微々たる違和感だった。
 しかし疑念まで抱くこともなく俺は、指し示された椅子に座る男の足許に両膝を着いた。
「つまらんな」
 遥か頭上で飽きたと言わんばかりの息を吐かれて直ぐ、ネクタイの結ぶ目に伸ばされた手は容赦なく俺を釣り上げた。
「従順結構。だが、退屈を持て余す」
「社長? 何を──」
 眼鏡を奪われた上、焦燥に開いた口は途端に塞がれた。
「う、んっ……」
 奥から上顎を滑り、歯裏をなぞる熱情の侵入者は余りに狡猾だった。何事かと俺は不意を突かれて、抵抗するどころか引き起こされた異常事態に困惑するしかなかった。
 それは執拗に俺の舌を求めて泳ぎ、重なる口付けは一層貪欲に銜え込む。その度に気色が悪く、ぞくりと背筋を追われた。
 突然のことに息吐くことすら忘れ、競り上がる苦しさに思わず男の腕を掴んだ。
 これが失敗だった。駆られたとはいえ、不覚にも縋ってしまったんだ。その気があったかなかったのかなど所詮言い訳に過ぎず、イコールにして求めたことになってしまった。
 視界を埋め尽くす眸が優越感に薄く笑った。

 嫌なことほど連続するし、無駄に思い出すものだ。今だってほら。隙間なく仕事を詰め込んで忙しなくしていても、頭の中は勝手にあの男との情事に耽っている。
 嵌ってるのか──まさか、な。
 あんなエゴイストに対して抱くのは諦めか憎しみか、はたまた自分の弱さを思い知らされるだけだろう。
 親の七光りだと思っては痛い目をみる。どんなに出来た人間だろうと、あの男を前にしてしまったら一瞬で無力なものになるのだ。自分はちっぽけなのだと自覚したら最後、自信喪失に背中を丸めた姿を晒し、跡形もなく去るしかない。いい加減、それらをフォローする身にもなってほしいのだが──如何せん、あの性格では望めない。厄介なのは、そう。見事なまでのいい人ぶりだ。
 愛想を振り撒く姿ははっきり言って似ても似つかない。完璧な社会適合者を演じ切っている腹黒さは一級品だ。その裏側を知っている俺から言わせれば余りに滑稽でしかないが。
 初対面時から露出された素性も、今となってはどうとも思わない。たとえ他の人間に対するのと同じように振る舞われていたとしても、驚きはするだろうが、こんなものかと納得していただろう。
 本当に、あの男のことばかりだな。
 会社にいれば接触は免れない。社長と秘書という関係は切っても切れないものだ。特に俺とあの人の場合はプライベートも一緒、絡んでるのは個人ではなく家という血筋で、拒んでも昔乍らの理が邪魔をする。それだけ大層な繋がりがあると、否応なくそればかりが頭の中を廻ってしまう。願ってもないのに隅から隅まで互いを知り尽くし、性感帯一つまでも把握してる現状だ。仕方ないとしても反吐が出る。
「もうこんな時間か……」
 ふと見遣った腕時計の針は二〇時を示す。殆どの社員が退社して数時間。一息を吐きながら背に凭れ、疲れ目に眼鏡を外して鼻背を押さえた。
 早朝から缶詰状態で身体が鈍りそうだ。昼食もまともに摂れず、陽の当たらない中ずっと座りっぱなしっていうのも毒過ぎる。その上こうしてパソコンと向き合ってるお陰で万年眼精疲労、脳は常にフル稼働だ。よくまあ遣っていられる、と、己に賛辞も送りたくなる。そして問題は寧ろ、この後のことなのだが……。
 ここの社長が親の七光りだけに留まらないのは勿論、相当する理由がある。
 人間、年齢を重ねれば自然と衰えてくものだが、社長はそれらを微塵にも感じさせず、それどころか社員以上に働き詰める始末だった。社員の向上心を高める方法としては手っ取り早く、何より業績も上がるのだから一石二鳥。しかし、倍に膨れ上がるストレスの発散のしようは下々と比べてそうはなく、捌け口として利用されるのは当然の如く俺というわけだ。
 奉仕する側であって時にされる側。唯一の救いは、いまだ貞操が無事であることくらいだった。
「社長……失礼します」
 何度かノックしてみたが応答がない──おかしい。外出の形跡はなく退社もしていない。それなら必ず声を掛けてくるし、送迎も俺の役割の一つだからだ。
 まさか倒れてやしないかと、念の為にもう一度声を掛けてから社長室のドアを開けた。
 室内は電気も点いておらず真っ暗だった。窓から差し込む夜のネオンだけが微かに、主のいない黒革の椅子を浮き彫りにしている。
「社長?」
 ゆっくりと室内に足を踏み入れる。
 部屋の中心には応接用のテーブルと、それを囲うようにして矢張り黒革張りの二人掛けのソファが左右に置かれている。木製のセンターテーブルの上には書類が乱雑に散らばっていて、仕事中なのは目にも明らかだった。
「ん?」
 不意に人の気配を感じ取り、視線を右側のソファへと向ける。それは至極稀に見る光景だったから、唖然としながら俺は目を瞬かせた。
 寝てる。
 一生に一度──いや、一生のうち決してお目に掛かれない無防備なその姿。女性社員なら黄色い超音波を発して遠慮なく寝首を掻くだろう。それほど世に珍しく、普段からは想像できない穏やかな表情だった。
 その時、一体俺は何を思ったのか。
 いくら暖房がついてるとはいえ、今年の秋口は妙に冷える。風邪など引かれたら俺の失態になると、部屋の隅に掛けられてる社長のロングコートを手に、起こさないようドレスシャツ一枚の身体に掛けた。テーブルの上の書類を一纏めにして俺は、そうして何故か反対側のソファに腰掛けて、暗がりの中貴重なその転寝姿を眺めていた。
 何をしているのか──変な気分だ。
 嫌悪していたはずだ。言われるがままの自分のことも、本音は嫌っていた。だったら何だ? 今更俺は何をしてほしいと、飼い犬の分際で主人相手に口答えでもしようというのか? わざわざ楯を突いて喜ばせるのか? それを望んで服従させる男に、やめてくださいなんて泣き叫ぶ無様な姿を晒すのか?

 馬鹿馬鹿しい──。

 暖かい。よくはわからないがとても心地いい。
 瞼を押し上げて寝入っていたんだと気付く。しまったと思いながらも覚醒し切れてない意識ではままならず、ただ徐々に露になる視界が横転してることに不可解を覚えた。
「起きたか?」
「え──」
 唐突に降った声に首を動かして上を見る。そこには今し方向かいのソファで眠っていたはずの男が、微笑を浮かべて俺を真上から見下ろしていた。
「なっ!?」
 驚愕と共に眠気は吹っ飛び、飛ぶようにして起き上がった俺は勢い余って後退った。
「あ、え……は?」
「起きたようだな」
 起きたなんてものじゃない、かつてない目覚ましだ。
 どういう状況だ、これは。向かいのソファで転寝していたはずの男が今、同じソファに座って目の前で寛いでいる。その男に掛けたはずのコートが今は俺の肩に掛かっていて、目覚めた真上にはその顔があった。気付けば眼鏡もテーブルの上に置かれていて……。
 総合するに、つまりは膝枕をされてた、という結論に至る。
 だからどうしてそういう状況になってんだ!?
 混乱し、困惑する俺に目の前の男は涼しい顔で、ふっと鼻で笑った。
「そういう反応もするのだな」
 咄嗟に片手で顔を覆って姿勢を正す。思わぬ失態の恥に顔を上げられず項垂れるしかない。
 しかし妙な感覚だ。いや、感覚というより雰囲気だ。自分が動揺してるせいなのか、違和感がある。それに何か……問題の当人だろう男の様子がいつもと違うのだ。
 普段はこうして同じ空間にいるだけでも圧迫感があった。鋭い眼光で威圧し、薄ら嗤いを貼り付けて毒を吐く。そういう男だった。だが今はその逆だ。威圧もなきゃ圧迫感もなく、それどころか柔和な空気が流れている。盗み見る表情も先程の寝顔と変わらず穏やかで、まるで別人だ。
 俺がどうかしているのか? 本当はまだ夢の中にいて、こうなることを俺が望んでいるというのか?
 調子が狂わされている。突発的予想外の出来事に冷静さを保てないお陰で、頭の中が巧く働いてくれない。どうしたというんだ、俺は。
「大丈夫か?」
「は──」
 返事をする間もなく、近付けられた掌は俺の額に当てられた。
「少し熱があるな」
 素知らぬ男はそう呟いた。いや、そんなことより──。
「今──」
「うん?」
「今、大丈夫かって俺に……」
 そこまで言ってからはっとする。何を俺は馬鹿正直に思ったことを口にしてしまったのだ──と。
 後悔先に立たず、後の祭りとはまさにこのことだ。かくいう間近に迫る男の表情は見る見る──のはずが、予想に反して返ってきたのは悪戯な北叟笑み。
「なるほど」
「え──!?」
 突如掴まれた腕を引かれ、油断していた俺の身体はバランスを崩してまた、社長の膝の上へと倒れ込んだ。
「軽いな」
 低く掠れた声を耳元で囁かれ、改めてコートを掛けられた。だからどうしていちいち押し倒す必要があるんだ。
 こんな状況下で落ち着けるわけがない。何せ相手は社長であってただの上司どころではないんだ。だが抵抗しようにも巧く言葉も出なきゃ、押さえつけられているわけでもないのに身動きができなかった。撫でるでもなく二の腕辺りに置かれた手が、忌まわしいくらい心地良かったせいもあるのか。
 静寂の中、自分の鼓動が高鳴ってる事実に気付いた。身体中に響き渡るそれが羞恥を煽り、この男に知られてしまうんじゃないかと恐れる。
「痩せたな。仕事に感けるのもいいが食事は摂れ、これではしたいことが存分にできない」
 腕から頬へと移された手が撫ぜる。自分が原因だと思わない辺り、この人らしいと謂うべきか。それよりも存分にしたい事ってのは何の話だ。好き放題に身勝手で振り回してきておいて、今更不満でもあるってのか。
「それと、私の前で猫を被る必要はない。貴様の話し易い言葉で構わん」
 してやった──そんな意地の悪い笑みを浮かべてるんだろう。
 言われてそういえば──と、油断していたとはいえ、義務上の言葉遣いではない素面の喋り方をしてたようだ。失態続きもいいところだ。
「それは……でき兼ねます」
 だからと言って許されるものではない。俺にとってはあくまでも義務上の関係、それ以上も以下もなかった。そうでなきゃとうに、言われるまでもなく悪態を吐き捲くっている。
 暫しの沈黙に戸惑う。頭上から息を吐くのが聞こえ、途端に下顎を掴まれて無理矢理に真上を向かされた。上半身を屈むようにしたその顔は近い。
「命令ではない。不破卿吏個人としてのお願いだ」
 ぐっ、と息が詰まる。
 そんな科白を一度でも吐いたことがあろうか、この男が。それも真顔で、常に貼り付けている薄ら笑いもなしに冗談でもなく、本気で笑い飛ばせもしない。まるで嫌がらせだ。そう思い辛うじて俺は、伏せるように視線を逸らした。
 一連の行動が答えになるかはわからない。間もなくして放れた手は定位置であるかの如く俺の腕へと下り、隙間に捉えた男の表情は案の定勝ち誇っていた。
「警備の者には言ってある。少しでも寝ておけ」
 そんな気遣いが降りてくる。いや、気が違ってるんだ。何を企んでいるのか知ったことではないが、そうでも思わなきゃこっちの頭がおかしくなりそうだった。大体、いい歳したおっさんが二人、小さなソファで膝枕をしている時点でどうかしている。せめて夢だと思いたかった。馬鹿らしくてもいい、こんな生温い空気に浸かっているよりは遥かにマシだ。こんな──。
「どうした?」
 こんな間違いだらけの空間が、心地いいと思うなんて──。
「貴方は……」
 俺はもう、おかしいんだ。
「あんたは俺に何がしたいんだ……? こんな真似をして俺に、どうしろって言うんだ」
 言葉が勝手に口を吐いた。義務じゃなくそれは、実政一生個人としての問い掛けだった。
 鼓動一つが忌々しかっただけだ。黙らせたくてただ、原因である男に腹が立ったんだ。夢であろうとなかろうと、この茶番が終わるなら何でもよかった。
「最初は──」
 口火を切ったその声は、俺の心臓を跳ね上げさせるほど強く穿った。
「最初は、その鉄仮面並みの無表情を剥ぎ取って遣ろうと思った。冷めた眼差しで私を見据えるそれが、気の許した友人にだけ素顔を露にする。それが気に入らなかった」
 何を言ってるんだ……。
「だからせめて、憎悪でもよかった」
 苦笑と共に降りてくる言葉の意味を知る。それは今まで俺が見てきたこの男の、本性だと思い込んでいた欺瞞を突き崩す思い。
 違う、これは──この答えは。
「いい歳をして私は……気でも違ったかな」
 そうか、あれは問い掛けじゃなかったんだ。この男に答えを求めた時点で、俺自身の答えが出ていたのだから。
 俺は自分から最後のダイスを投げてた。出た目がどれでも、投げたことに意味がある。それがこの男にとって重要なことだったのだ。俺にとっても……。
 横に向けていた身体ごと、ゆっくりと天井を仰ぐ。伸ばした手を求めるその襟元へと回して、支えるようにそっと俺の背中に差し込まれた腕に結果を委ねる。
 何故今になって言う気になったんだと間近に訊けば、
「貴様と同じだ」
 なんて、困ったように微笑った。
 そんな不器用な男と交わした口付けは甘く、酷く優しかった。

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