Lovers Tale
BL/ML/ラブコメ短編集
続.DICE
「あの、大丈夫ですか? 室長」
「ああ……」
正直、最悪な気分だ。
いつもと違う空気と、いつもと違う男と、いつもと違う俺。予期せぬ昨夜、社長室で起こった出来事は夢ではなかった。その証拠に今朝、目覚めたのはあの男のベッドの上で、隣には勿論そいつがいた。発狂したくもなる。だが嫌悪はない、諦めでもない。プライドを語るなんて今更だ。そんなものはとうに捨てているし、でなきゃ跪いて所構わず奉仕なんぞ誰がするか。
問題はそこではない。問題は人間そのものであって、且つ一夜を共にした男なのだ。お互い会社を支える大黒柱のようなものだ。何より相手は社長という身分で、今尚現役で走り回っているスプリンターの存在。にも関わらずその当人が、宣言通り思う存分遣りたい放題してくれたものだから、付き合わされた俺は体調不良の上に更なる疲労を重ねることとなった。お陰様、熱は上がるし腰も怠いという有様だ。
「室長、少し休まれては如何ですか? 私たちで出来るうちは大丈夫ですから」
「いや、本当に平気だ。気を遣わせてすまない」
憂慮する部下に軽く手を掲げて主張する。が、圧し掛かる疲労感はどうにも隠しようがなく、説得力の欠片もなかった。
不意に手元の電話が鳴り始める──コールの発信源は社長室だった。タイミングが良いのか悪いのか、とりあえず仕事なら身体を動かしていた方がいい。
「はい……すぐ行きます」
部屋に来い、なんて端的に告げられ、受話器を置いた俺は比喩でもなく重い腰を引き摺るようにして社長室へと向かった。
目敏い男に知られやしないかと、溜息まじりの深呼吸をする。
いつものように三回ノックをして掛ける声と共に室内に入る。視線を上げた部屋の奥、呼び出した張本人の姿はそこにはない。気配を辿って傍目に、ソファに足を組んで煙草を燻らす男がいた。
「なんでしょうか?」
「座れ」
煙草を持つ手で指し示されたのはその隣。相変わらずの有無を言わせない双眸に以前ほどの威圧感はなかった。しかしこれで口答えしようものなら強行は免れないだろう。プラス仕事だと主張されてしまったら、それこそ俺の人権など皆無だ。
心のうちで密かな息を吐き、言われるがまま男の隣に腰掛ける。大の男が並んで座るには窮屈に感じられるが、それでも意識的に距離をとって端へとよった。
己の存在を主張するかのよう漂う香水に、否が応でも昨夜のことが頭を過ぎってしまう。一度嵌ってしまうと人間の思考というものは本当に恐ろしいものだ。社長室での駆け引きからベッドでの情事──それこそ相手の容赦ない、甘く恥辱を誘う科白の一字一句に至るまで、津波の如く思い出された。その上で傍らには元凶の男が涼しい顔をして煙草を燻らせているというのに、当然感化されて湧き上がる緊張感に、心臓がはっきりと脈打ち始めた。一晩でこんなに変わってしまうものなのかと、制御出来ない自分の感情に揺さぶられて戸惑う。余裕綽々で素知らぬ振りの男が腹立たしく、何でもいいから喋ってくれと内輪で乞うしかない。
上乗せされる熱に視界が眩みそうで、瞼を伏せて口元に手を添えた。
「一体何で──」
我慢し切れずに問えば、遮る行為は昨夜と同じで俺は目を見開いた。
「やはり熱いな」
額に当てられた掌は冷たい。そう感じるのは恐らく俺の体温が上昇しているせいだろうが……そうじゃなくても気持ちいいと感じているのだから、この男に対して相当重症なんだって嫌でもわからせられる。
以前までの対処の仕方すら忘れている俺に男は微かに笑うと、その手を離して一度煙草を吸い上げた。
「だから今朝、休めと言っただろう」
呆れた口調がますます腹立たしい。
誰のせいでこんな状態に陥っているのかわかってるのかわかっていないのか、どっちだろうとこの男の辞書に謝罪なんて言葉はないに等しい。それでも最低限、労わるということくらい覚えてほしいものだ。
「それはできないと、貴方も重々承知しているでしょう」
「フォロー出来る者くらいはいるのではないか?」
あんたのフォローは誰がする!?
「たとえそうでも、常に貴方と共に行動することは私の義務です」
そうだ、俺たちの繋がりはそれぞれの血筋によって定められている。それを一時でも放棄するなんて愚かな真似、爺様や親父にばれないからといって易々出来るわけがない。染み付いているんだ、仕方ないだろう。社長のフォローは俺の仕事で誰かに任せられるほど単純でもないんだ。秘書の代わりがいくらいたとしても、俺の代わりは俺自身だけで、沸いて出てくるものではないんだ。
俺は額に手を当てて大っぴらに溜息を吐いた。
「そうか」
吐かれた言葉に釣られて見遣るその手が、灰皿に煙草を押し潰す。
「どわっ!?」
間髪入れずもう一方の手が額に当てたままの俺の腕を取り、流れるように体重を掛けられ押し倒された身体に圧し掛かってきた。
「いきなり何するんですか!?」
だからってどうしてこう押し倒すんだ、この野郎は!
体格差なんて殆どないのに掴まれた腕はぴくりともしない。身を捩って抜け出そうと試みるが、いつの間にか足の間に割り込んでた身体にそれも防がれた。
万全なら四の字固めをかましているところだぞ、俺は。
「つまりお前は、先代、先々代からの言いつけに従って、仕方なく私といるということか」
「はあ!?」
「違うのか?」
突然押し倒しておいて真顔で何を言い出すのか。
だがその表情が心なしか寂しそうに思えるのはどうなんだ? これじゃあ俺が答えられるものなんて決まっているようなものだった。求められなくても、答えは一つしかないが……。
「違います」
「わかるように説明してほしいな」
顎の下を開いてる方の手で掴まれて、見下ろす男の顔が近付く。
意地の悪い微笑はサディスティックで卑らしい。呼応してちらつく昨夜の情事が更に如実に回想されて、動揺する俺の鼓動を速めた。
俺はせめて視線だけは背けて、追い上げてくる羞恥に耐えながら口を開いた。
「ただ──ただ、それだけなら……あんな風に大人しく抱かれたりなんかしません」
直接口に出してやらなきゃ気が済まないなんて、まるで子供の我儘じゃないか。
粘着質な視線が焦らす。いい歳した男が何遣ってんだと思うところだが──こちとら不感症ではないんだ、こんなに間近にいて何も感じない方がおかしいだろう。
「駄目だな」
「は?」
「その顔は、煽っているだけにしか思えない」
否定する前に口を口で塞がれる。いきなり深く銜え込まれて舌を取られ、息吐く間も与えてくれない激情に朦朧とする。
やばい──!
シャツの上から身体を弄る手に酔いを醒まし、自由の利く片手で上に乗る男の胸を辛うじて押し返した。同時に放れた口がやっと呼吸を許し、怒り心頭に発してた俺は乱れたそれのまま一気に捲くし立てる。
「って──何を自分に都合のいいこと言ってんだ! 退け!」
「誘ったのはお前だ、責任を取るのが筋だろう」
「誘ってない! 昨日あれだけ遣っておいて何言ってんだ!」
「たったの四回だろう」
「四回もだ! 絶倫か、あんたは!」
「そこらの一〇代や二〇代の若造に劣らない自信はあるが」
「いらん! それに俺は熱もあるし腰だって痛いんだよ! しかも真昼間の社内だぞここは!」
並べる正論を悉くこの男は、自分勝手な倫理で跳ね除ける。
公衆の面前ではなくても公であることに変わりはない。迂闊に誰もが入ってこられる部屋ではないが、そうだとしてもTPOを弁えずこんな状況下で事を始めようものなら流石に俺は御免だ。
これでもかと粘った結果は、獲物を前に興奮し切った男の顔を怪訝にさせた。
「問題があるのか?」
「大有りだ!」
そんな俺の必死の抵抗を理解したのかどうか。真上に臨む男は短い嘆息を残して、ゆっくりと俺の上から退いた。
助かったのはいいが、余りにもあっさりし過ぎて拍子抜けの俺は身体を起こすと、また煙草に火を点けるその姿を見据えた。
「次の休日までには体調を治せ」
「はい?」
下顎に手を添えられて顔を寄せられる。
「続きは取っておいた方が愉しめるからな」
その表情にまた熱が上昇する──本当に心臓に悪い厭味な男だ。そんな男にやはり逆らえない俺は、取り返しもつかないくらいこの現状に溺れている。惚れた弱味かよ、まったく。
「それと──」
これ以上一緒にいたら自分の方こそ何をするか恐ろしい。そう思って立ち上がろうとする俺の腕を、大人しくしていたはずの男が掴んで引き寄せた。
「まだ何か?」
俺は呆れ半分、煽られるばかりの欲情にもうんざりだった。
「少しでもいい、ここで休んでいろ」
「勤務中です」
「構わん」
「俺は構う」
「拒否するなら逃げられないよう繋いで、明日は一歩も外には出さん」
「なっ!?」
予想もしない科白に言葉を失う。冗談だと思いたいのは山々だが、その横顔から察するにどうやら本気らしかった。これで部屋を出て行けたら俺は勇者だ。
「わかったよ」
何事も諦めが肝心だ。どうしようもないうえ、どう転んでもこの男の勝ちなら大人しく従って──自分も気持ちのいいように流されてしまった方が楽だ。
何度目かもわからない溜息を吐いて俺は、傍らの男の膝に頭を乗せた。実際諦めてみると、あれだけ拒絶していたのが馬鹿らしく思えてくるのだから不思議だ。
こうなったらうんざりするまで甘えてやろうと、膝の上で俺は優越感に浸っていた。
「おやすみ」
俺の行動に満足気な男は紫煙を燻らせつつ、もう一方の手を定位置へと置く。優しく囁かれた言葉が降りて、既に夢心地の俺はそっと瞼を閉じた。
ありがとうございます!