天白文庫
作品概要 人物紹介 小噺一覧


DOLL

BL/純愛/R指定




小噺 彼らのその後




 アンダーグラウンド。
 地下に造られた街は煌びやかな建物ばかりで満たされている。だが、その多くは政府に認可されていない娼館だった。
 その内の一つである、SMプレイを主体とした男娼館「DOLL」は、今夜も営業のためにスタッフたちが忙しなく準備を進めていた。
 スタッフ控室では、S役、M役が自身のセットのために指定のコスチュームに身を包み、髪型に手を加え、軽いスキンケアを施していく。
 バタバタと慌ただしいそんな中、髪を鮮やかなブルーに染めた彼だけは、雑誌片手にのんびりとソファで寛いでいた。青年のコスチュームはノースリーブにジーンズと至ってカジュアルなものだが、髪の色同様に全身をブルーで統一しているという点が人目をかなり引いた。しかし、清涼感すら感じさせる端正な顔立ちと、その細い体躯にはよく合っていて、コスチュームプレイが常のこの店で彼のこのスタイルに異論を唱える者は誰一人としていなかった。
 そしてその背後にもう一人。ブルーの青年の髪をブラシで丁寧に梳かしていく、全身を黒のツナギで包んだ小柄な青年がいた。ツナギ同様の黒い前髪は彼の目元を覆い隠しており、顔立ちがはっきりとはわからない。だが、華奢な体躯に合った小さな輪郭は青年というよりは少年、少年と言うよりは少女と形容したほうがしっくりとくる、そんな彼。全体的に見ても、格好いいというよりは可愛い、そんな雰囲気を纏っていた。
 パラパラと雑誌を捲る青年を前に、ツナギの彼は何も言わず、黙々と作業をこなしている。そして一通りブラッシングを終えると、今度はワックスを適量手に取り馴染ませた後、それをサッとかけていく。
 セットが完了し、傍に置いていた鏡を手にすると、雑誌の邪魔をしないようにわざと遠くからそれを彼の前に翳してみせた。
 それに気づいた青年は、それまで手にしていた雑誌を放り投げると、鏡を前にうんうんと頷きながら満面の笑みを作った。
「完・璧! サンキュー、ドール」
 背後を振り返りながら感謝の言葉を口にする。すると、ドールと呼ばれたツナギの青年は、コクリと一つ頷いた。
 その口元は、嬉しそうに微笑んでいた。
 そして自身の手を拭くこともおろそかに、ツナギの腰ポケットから手の平サイズの電子メモパッドを取り出すと、画面の上で素早く指を走らせる。そして完成した文章を確認することなく、サッと青年の前に翳してみせた。
〈今夜は緊縛プレイと伺っていますから、プレイルームに各種縄を揃えさせていただきました。サンプルをこちらにて用意していますので、ご確認くださいませ。ライ様〉
「お〜」
 何も言わず、画面の上で発せられる言葉に、ブルーの青年──ライは大きく頷いた。
 ドールがその口から言葉を発しないことは、今に始まった事ではない。彼との会話が常に、彼が所持するメモパッドで行われるのは必須であり、またそれはここで働く皆が知っていた。
 そのため、このようなやり取りが今さら珍しいはずもなく、わざわざこの場で気にかける者はいなかった。
 ライは髪型が崩れないよう頭を浮かし、身体だけをソファに寝転がせると、後片付けを始めるドールに話しかけた。
「で、昼の続きだけどさ。やっぱ許せないだろ〜? いくら俺がSM好きで淫乱だからってさー、何してもいいってわけじゃねーんだぜ? 俺はあくまでプレイとして楽しむMなの! わかるか!?」
 コクリ、と。ドールは頷いた。
 昼時からライの中では続いていたドールとの会話──というよりは愚痴だった。
 一時は終息したかに思われたそれだったが、ライの中ではまだ吐き出したらないらしく、沈黙を保ったままのドールを前に、彼は声量を上げて反論し出した。
「確かにエッチは! 愛がなくともできる!」
 コクリ。
「SMプレイだって然りだ!」
 コクリ。
「ぶっちゃけ気持ちよければそれでいいって俺は思ってる!」
  コクリ。
「だがしかし! 合意ってもんは必要だと、俺は思う!」
 コクリ。
「無理やりってのはやっぱよくねぇと、思うわけよ!」
 コクリ。
「たとえ相手が惚れた野郎でも! 好みじゃねぇプレイを強要するってのは最低だろ! なぁドール! お前はどう思う!?」
 ドールはメモパッドに指を滑らせると、並べた文字列をサッとライの前に翳して見せた。
「なになに……俺はキョウさんが触れてくれるならどんなことでも嬉しいので無理矢理でも全然構わないです。そもそもキョウさんは無理強いをせず、常に優しく俺に触れてくれるので嫌なことなんてありません。それに今朝だってキョウさんは……って誰が惚気を聞かせろって言ったー!」
 ポッ、と頬を赤らめるドールは、僅かにはにかんでいるようだった。
 裏切り者ー! と、大げさに喚くライはソファ横にあるクッションに顔を埋めた。
 そしてそんなライを優しげな眼差しで見守りながら、ドールはしばし考える素振りを見せた後、やはりメモパッドで彼に答えた。
〈そうですね。いくら好きな人でも、自分が嫌だと思う行為を無理やりされれば戸惑います〉
「ほらな!」
 ここで嫌だと答えないところが彼らしいと思いながら、のっそりと起き上がるライは盛大なため息を吐いた。
 しかしここで、ドールは再びメモパッドをライに見せた。そこには、ライが予想していなかった言葉が綴られていた。
〈でも、アイルオーナーはライ様を大切に想ってらっしゃいます。心から愛しているライ様に本当に嫌がることなんて、オーナーは絶対になさいません〉
 アイル。「DOLL」オーナーである彼とライが愛人関係にあることは、この店の中で知らない者はほとんどいない。
 それはライが特定の客を作らないことを不思議に思った同僚が尋ねたときに、彼があっさりと公言したことがきっかけだった。瞬く間に広まったそれを確認しようと、アイルに懸想していた者らが本人に詰め寄ったところ、返ってきたのは本当に小さな舌打ちだった。 とはいうものの、店内で2人が睦み合う様子を見せた事は一度もなく、それどころかばったりと会うだけで口喧嘩をする2人。
 また、アイルの前で堂々と客と乱交を始めるライと、またライの前で他の客に容赦なく鞭振るうアイルを見て、彼らの仲を羨む者や妬む者はほとんどいなかった。
 しかし、こうしてパートナーに関する相談をする様は、紛れもなく恋人を想うそれであり、ドールはそんな彼を微笑ましく思っていた。
「そうか〜?」
 一方、自分では到底思い付かないような恥ずかしい台詞を並べられたライは、照れ臭さを隠すように語尾を長くして再度尋ねる。 それに対してドールはコクコクと二回頷くと、きっぱりと断言した。
〈誓います〉
 生真面目な性格のドールが嘘をつくことはない。また、気休めのような軽い言葉も、この純朴で誠実な青年は持ち合わせていないのだ。
 ライは少々呆気にとられつつも、ドールに向かって嬉しそうに破顔した。
「まぁ、お前が言うなら……そうかもな!」
〈はい〉
「てか、もういいぜ? それ使わなくてもさ」
 ライはドールの手にするメモパッドを指差した。
 ドールが辺りを見渡すと、控室内は自分たち以外に誰もいなかった。 再びライに戻ると、ライは自分の横へ来いとソファを叩いて合図をする。
 ハッとした様子を見せたドールだったが、きょろきょろと左右に視線を泳がした後、ライに向かって小さく頭を下げた。そして遠慮がちに彼の隣に腰を下ろす。
 ちょこん。
 擬態語で表すならまさにそれだと、ライは思った。
 もともと小さな身体だが、座ることによってさらに小さく見えた気がした。それは、彼の謙虚さが形となって表れているためだろう。
 小さく苦笑しながら、ライは本題に入った。
「で、ホントのとこはどーなのよ? 赤月」
 疑いの眼を向けながら、ずずいと前に出る。
 すると、ドール──いや、赤月は。
 それまで手にしていたメモパッドをポケットに仕舞いながら、ライに向かって口を開いた。
「う……ん。嫌だって、思うことは……ない、よ」
 訥々と答えるその声はとても小さく、まるで子供のようだ。だが、柔和で温かみのあるその声音は、彼にとてもよく合っている。ライは赤月のこの嫌みのない声を気に入っていた。
 だが、赤月は人前で口が利けなかった。いや、正確には人前で口を開くことができない。それは彼が、これまで人以外のものとして虐げられてきた証である「レスト」の烙印を隠すためだと知ったのは、もう半年も前のことだ。
 「レスト」、「クラウン」、そして「センター」という、今ではほとんど忘れ去られた、しかし未だにあり続けるこの支配階級について知ったのは、ライが初めてここへ来たときだ。 「クラウン」はこの世界を統治する一族、そしてそれに纏わる貴族のことを指し、「センター」は人権民権を持つ全ての者らを指した。地上で生きてきたライは、この「センター」に当たる。
 しかし「レスト」は、それ以外の者のことを指した。人間でありながら、人としての権利を奪われ、また人として扱わない、人以外の存在。そして、「クラウン」や「センター」に飼われることで初めて生を許される者。
 その「レスト」の一人が、ライの隣にいる赤月だった。
 彼は自身について語らない。だが、これまで地上で暮らしていたライには想像もできないような凄惨な人生を送ってきたのだということは、彼の普段の振る舞いや言動からわかってしまう。
 ライは初めて赤月に会った時のことが忘れられなかった。メモパッドを取り出して会話する彼に、なぜ口が利けないのかと軽いつもりで尋ねたら、深く頭を下げられた後にツナギを脱がれ、傷だらけの背中を差し出されたのだ。そこにあった数多の傷のほとんどが鞭で打たれただろう痛々しい痕で、この時ばかりは能天気なライも思わず口を塞いでしまった。
 もちろん、背中を見せたいがために赤月は脱いだわけではない。それが何を意味するのか、「レスト」の意味と現状について聞かされた後では、察しがつかないわけがなかった。
 今はもう赤月がそのような行動に出ることはないが、謝り癖は仕方がないのか、一日に一回は彼の旋毛を目にしている。
 また、赤月がその口から言葉を発さない理由は、彼の舌にある「レスト」の烙印を隠すためだと聞いているが、実際は昔の主人が彼に口を閉ざすことを強制していたことが、今も彼を束縛しているのではないかと、この支配階級を快く思わないアイルが語っていた。そしてそれが物言わぬ人形のようだと、彼についてしまった通り名がこの店と同じ、「ドール」だということも。
 だが。
「キョウに対して、嫌なことは全くねぇって?」
 赤月の前髪を少しだけ摘まんでやる。すると、今にもこぼれ落ちそうなほど、大きな赤い瞳がはっきりと現れた。
 美しい色。ライが初めてブルー以外で美しいと思った色だ。
 平凡だが、まだ幼さを残す優しい顔立ちによく合っている。
 その瞳を静かに輝かせる赤月。そんな彼に、ライはずけずけと詰め寄った。
「あの野郎のすることなら、なんでも構わねーって?」
「う……うん。だって、キョウさん、だから。でも……その……」
 首を縦に振る一方では、何故か言い淀む赤月を見て、ライはピンと直感した。
「はは〜ん。なるほど、わかった。恥ずいんだ」
 図星だったのか、赤月の日に焼けていない白い肌にありありと現れた朱は、彼の首元まで染め上げた。それはまるでパロメーターのように彼の羞恥の程がわかる。
「可愛い〜な〜、赤月は♪」
 俯き、さらに身体を縮こませる赤月の横でにこにこと笑う。もちろん、可愛いと思っているのは嘘じゃない。むしろ、もっと構ってやりたくなる。しかしそれが度を過ぎると、誠実な彼は真に受けてしまうので、そのあたりの調整が難しいのだが。
 ともあれ、彼に飽きることは一生ないと、自信を持って頷ける。
 もっとからかってやりたいが、今は話を進めた。
「でも、セックス自体は慣れてきたんだろ? それともまだ痛ぇの?」
「ううん! そんなことない、よ……キョウさんは、優しいから」
 セックスという単語に逡巡した様子を見せたものの、首を横に振って否定する。そして、想う相手の顔でも思い出したのか、紡がれた言葉には慈しみが乗っていた。
 キョウ。
 それは赤月の、現在の主人の名。
 彼の運命を変えた者の名。
 そして彼の、最も愛する男の名である。
 「レスト」である赤月と、「クラウン」である主人のキョウが恋仲となったのは今から半年前。
 もっと前から同じ気持ちだったのにも関わらず、二人の関係が主従から縮まらなかったのには、それぞれに理由があった。
 中でも、赤月にとって大きかったのは、自分と彼の身分の違いだった。
 しかしある夜、ある出来事の後、赤月は決心した。
 抱く気持ちを主人に伝えるという、「レスト」にとってはあるまじき行動。
 それは自殺行為と言っても過言ではなかった。
 だが。
 彼は今、笑っている。
 主人の名を聞くだけで、紡ぐだけで、幸せそうに微笑むのだ。
 そんな彼の横顔を眇めながら、ライは長い息を吐きだした。
「優しいのはお前にだけだっての。ホント、俺や他の奴らには優しさの欠片もないね!」
「そんなこと……」
「逆にお前がアイツを優しいなんて言うことの方が信じられないね! 俺の知る限りでは靴の裏を舐めろ発言が似合う男ナンバーワンなんだからな!」
 腰に手を当てながらの盛大な鼻息。
 そうきっぱりと断言した彼の前では、とても哀しそうに眉を下げる赤眼の顔があった。 まるで捨てられた子犬のようだと、ライは目を逸らしながら思った。
 ばつが悪い。頬を軽く掻きながら、前言に少しだけフォローの言葉を添える。
「ま、でも。マジでお前には優しいんだろうけどさ」
「うん……すごく」
 花が咲いたようだった。頬をほんのりと桜色に染め上げ、心底嬉しそうに微笑む赤月の横顔は可愛かった。だが、その笑みは自分に向けられたものではなく、彼が愛するただ一人だけのものなのだとはっきりとわかる。
「またそうやって惚気るんだからよ〜。お前は」
 苦笑しながら、頬を小突いてやった。「う……」と小さく声を洩らす赤月は、困り顔でライに向かう。
「の、惚気たわけじゃ……」
「ないってかぁ?」
 わからない。それが赤月の答えだった。
 惚気の意味くらいは知っている。しかし、勤務中にそれを露呈するつもりは一切なかった。自分はただ、真実を伝えたかっただけなのだから。 赤月は珍しく、反論する。
「で、でもね、キョウさんは優しいんだよ。本当に。昨夜だって、冷えると身体に悪いからって俺を後ろから抱きしめてくれたし。あとね、手もこうやって俺のに重ねて一緒に寝てくれたんだよ。朝だって、俺が起きなきゃいけない時間に、き……キス……して起こしてくれた、し……それにね、出勤前だって……」
「だーっ! やめてっ! それ以上言わないでっ! 吐くっ! なんか吐くからっ!」
 途端、ライが悲鳴を上げて耳を塞ぎ、踞る。
 何かおかしなことを言ったのだろうかと不思議に思いつつも、「吐く」という単語に反応して、サッと両手を受け皿の形で彼の前に差し出した。手元に袋がなかったのだ。
「いや、うん。どんだけ優しいの。お前」
 赤月は首を傾げた。しかしライは再び声を荒げる。
「つーか、惚気だからそれ! 惚気以外の何物でもねーから!」
「そ、そうかな……?」
 自覚がないのだろうが、十人が十人その話を聞けば、首を縦に振るに違いない。ライは確信を持ってそう言えた。
 そして知っていた。赤月が、心の底から、今の主人を愛していることを。
 また彼の主人が、本当に赤月を大切にしているのだということを。
 全く。先ほどまで愚痴を溢していたというのに、これでは本当に別の何かを吐きそうだ。 羨ましいとは思わないが、嫌みの一つは言いたくもなる。
「は〜っ。新婚さんはラブラブですねー。お熱いですねー。よかったですねー。棒読みだぞ、このバカップルー」
「し、し、し……しん、こんって……! け、結婚……してないよ。それに、男同士……だし」
 今さら性別がなんだというのか。
 ここにいてそれを言いわけに使うとは、よほど動揺しているのか。踏み込んでみたくもなる。
「じゃあアイツはお前の何なのさ?」
 ライとしては、もちろんあの言葉が返ってくると思っていたのだ。というより、その言葉以外を求めてなどいなかった。
 だが赤月は。
「何って……キョウさんは……」
 ここでライが予想もしていなかった答えを返してきた。
「ご主人様」
 きょとんとした顔で、さも当然とばかりに言いきった赤い瞳の彼。思わず、右肩が下がった。
「ライ君?」
 尋ねる声に嘘はない。赤月が決して恍けているわけではないことがわかってしまい、思わず眉間を押さえてしまう。
「それ、アイツが泣くぞ?」
「どうして?」
「どうしてって……あ〜。もしかして、なんも言われてない、とか? 例えばほら。お前はオレの……こ……あ〜くそっ! 言いづらいっ! つーかハズいわっ!」
「はず?」
「だからあれだよっ! お前はオレの……こ」
「オレのものだって、言ってくれたよ?」
「いや、そうじゃなくて、だな……」
「俺、何か間違ってる……の?」
 不安に満ちた声で尋ねられれば、罪悪感のようなものが腹の中で燻った。なぜ自分がこのような気持ちにならなければならないのかと。 それを取っ払うように、ライは首を横に振りながら、ある一つの結論を口にする。
「お前は間違ってねーよ。むしろアレだ……キョウが悪い」
「えっ!?」
「つーかさぁ」
 本気で驚く赤月を置いて、ライは話題を少しだけ逸らした。先ほどの流れから至った、素朴な疑問だった。
「お前ら、休日何してんの? まさか、一日中いちゃこらしてるわけじゃねぇよな?」
「えっ……きゅ、休日?」
 赤月はといえば、先ほどの会話から飛ばされてしまったいきなりの質問に拍子抜けする。
 聞かせて、とさらに付け加えられ、彼は少しだけ間を空けてから、思い出すようにぽつりぽつりと答え始めた。
「休日はお掃除、してる。あと……キョウさんと一緒にご飯食べたり、お風呂に入ったり。それから、キョウさんのお世話をさせてもらったりしてる」
「世話ぁ? 大の大人の世話ってどんなんだよ? つーか、アイツ。お前にそんなことさせてんのかよ?」
「ち、違うよっ。俺がしたいんだ。俺が……だって休日は……休日はその……」
 突如、恥ずかしそうに言い淀む赤月。ライは意地悪い笑みを浮かべてみせる。
「言えないようなことしてんのかぁ?」
 肘で責付くと、赤月は背を丸めてみせた。黙秘を決め込むことは今さらすぎて意味がない。赤月は覚悟を決めるしかなかった。
「わ、笑わない、で、欲しいんだけど……」
「うんうん」
「お……」
「お?」
「お……っ」
「なに? おっぱい? 休日は搾乳プレイってか?」
「さくっ……ち、違うよ」
「あり? 違うの? じゃあ何さ?」
「あ、あのね……」
「うん」
「お……お……べん……きょう……見て、もらってるん……だ」
「は?」
 予想外。あんぐりと開いた口が、しばらく塞がらなかった。
「おべんきょう? って、勉強か?」
 こくこく。
「何。休みの日は勉強してんの?」
 こくこく。
「SMの勉強じゃなくて?」
 ぶんぶん!
「数学とか語学とか歴史とか科学とか物理とか生物とか頭の痛くなるあの不快で腹立つもう嫌だぶっちゃけやりたくねーお勉強?」
「その、お勉強です」
 アンダーグラウンドに来てから、全く縁のなくなった勉学という習慣。もう二度と耳にしたくない、することはないと思っていたアレ。それを、ライの目の前の友人がしているという。
 信じられない。だが、次に続いた理由を聞いて納得した。
「お勉強、したことないから……知らないこと、いっぱいあるから……だから、キョウさんが俺に教えてくれるんだ」
 碌に学を受けていない「レスト」の知識量は知れている。「レスト」の赤月を、同じ人として接するライには、キョウのそれは理解できた。
 何よりも大切に想う相手だからこそ、キョウは親身になって教えていることだろう。
 SM以外にも教えられることがあったのかと、少々驚きながら、感想を聞く。
「楽しい?」
「うん。楽しい!」
 喜ぶその笑顔は、まるで玩具を与えられた子どものようだ。自分にとっては「たかが」だった勉強を、そこまで嬉しそうに頷く彼を見ると、もう「たかが」とつけられなくなる。
 赤月の笑顔は癒しだった。恋人とはまた違う、親友だけに向かう感情。
 彼の笑顔をもっと見たい。
 これで自分が博識であったなら、赤月はもっと喜んでくれるのだろうか。いや、それはキョウの仕事だ。自分は自分にしかできないことがあり、また自分にしか見せない彼の一面を知っているのだ。
 だが、これに対しては異議を唱えたかった。
「でもさ、世話はねーんじゃねぇの? あいつもいい歳だぜ? つかさ、キョウの世話ってどんなことすんの?」
 すると、間も空けずに返答がくる。しかしその内容は。
「間食のためのお食事を作ったり、肩を揉んだり、お風呂の時はお背中を流させてもらったり、あと……耳掻きとか」
「耳掻きぃ? んなもん、一人でできんじゃねぇか」
「でも、してくれって……」
「まさかとは思うけどよ。キョウに膝枕をしてあげて、きゃっきゃうふふやめろよこいつぅ〜の…あの耳掻きか?」
「膝枕……だけど」
「うがああああああ!! やだっ、鳥肌立ったー!!」
「ら、ライ君っ!?」
「想像したらやべぇ……俺死ぬ……」
「えっ!?」
 ライには考えられない恋人との過ごし方。
 そして彼らの日常だった。
「け、けどよ……ずっとそうしてるわけじゃねぇんだろ? お前、キョウと出かけるときとかはどこ行くんだよ?」
「お出かけ?」
「そ。例えば、メシ食いに行ったりとか、服買いに行ったりとか。あと映画とか、ゲーセンとか、カラオケとか、プロレスとか、バイクとか。あんだろ?」
 ほとんど自分の好きなところを上げただけだが、自分と赤月は歳が近い。そして何より同性なのだ。好みや趣味に大きな差などないはずだ。 だが、自分と彼にとっての大きな差は、歳でも性別でもなかったのだ。
「俺は食事をここで頂くし、服も支給されている物で充分に過ごせるから大丈夫。特に出かける必要もないと思うけど……えいが……と、げー、せん? というものには行ったことがないけど……行かなくちゃいけない所なの?」
「そっか……お前、知らないんだな……遊ぶってこと」
 出生。「レスト」と「センター」には、想像以上に大きな隔たりがあった。
 しかし赤月がキョウの「レスト」になったことで、彼は当然、「センター」並みの生活を送れているものだと思っていたのだ。実際、送っているのだろう。赤月は日を重ねるごとに、明るくなっている。だが、彼はまだまだ「レスト」のままなのだ。
 ライは嘆息する。
「そりゃご主人様止まりだわ」
 大事なものだからこそ、まだまだ外へは出したくないのだろう、今はいない彼の主人に向かってボソリと呟いた。
 すると。
「煩い。何を騒いでいるんだ」
「げっ、噂をすれば……」
 控室に一人の男が入室した。
 すぐ隣にいる友人の気配が変わるのをその身で感じとりながら、ライはこちらへ近づいてくる男を流し見る。
 相変わらず綺麗な男だ。自分の恋人よりもそう感じてしまう黒ずくめの長身は、シャワーを浴びてきたのか髪が湿っていた。服装もコスチュームでなくラフなものだ。
 もう開店だというのに、悠長なことだと思ったが、おそらく予約が入っているのだろう。そうでなければ、自分にも他人にも厳しいこの店のナンバー1は、今さらこの部屋に用などないのだ。
 首に巻いたタオルで、金のメッシュを入れた黒髪を拭う様は、妙な色気を含んでおり、自分以外のものが見たらたちまち堕ちてしまうことだろうと、ライは嘆息する。
 しかし、男にライの考えなどわかるはずもなく、彼が先程漏らした台詞に対してシニカルに微笑んだ。
「噂? 陰口の間違いじゃないのか」
「そんなわけねーだろ」
「どうだか……それよりお前、また客を待たせるのか?」
「いーんだよ。今夜は緊縛つってたから。俺、あの客の緊縛は好き」
「そうか。先ほどお前の客とすれ違ったが、手にしてた物は縄じゃなくて五番だったぞ」
 さらりと告げられたその台詞に、ライは驚愕する。横にいた赤月が、同様に目を丸くしていたことにも気づかず、彼は男に詰め寄った。
「五!? ちょっと待て! 今、五つった? 水鏡!!」
 水鏡。
 オーナーであるアイルと共に「DOLL」を立ち上げ、未だS役でこの店に勤める美麗の男は、必死な様子のライを愉快そうに見下ろした。
 ちなみに、五番とはこの店の媚薬のタイプであり、即効性の高い最も強力なものである。常連でもあまり使わないものなので、普段から薬を調達する赤月も心配そうにライを見た。
「まぁ、好きなだけそこにいろ。思う存分楽しめるぞ」
「ざけんな! 五っつったら、明日立てねーじゃん! 俺、立てられないほどヤりこまれんの!? なぁ!?」
「いいじゃないか。楽しむことがモットーなんだろ」
「楽しめねーほどヤられたら意味ねーんだよ! あの客マジで最悪! 前にスカをポカしたの未だに恨んでんのかぁ? じゃあな、ドール!」
 顔色すらすっかりブルーに染まってしまったライは、挨拶もそこそこにスタッフルームを出ていった。馬鹿野郎と罵る叫びだけが、こだまとなって残っていった。
 シンと静まり返る室内。そこに残るは赤月と水鏡の二人のみ。
 水鏡は煩いのが出ていったと息を吐きながらソファに腰を下ろし、その長い足を組んだ。ふと顔を上げると、ライの出ていった扉の方をまだなお不安げに見つめている赤月がいた。 なんだと思いつつ、つい先程自身が発した台詞を思い出した。水鏡は小さく首を振って苦笑する。
「嘘に決まっているだろう。勤務を怠るから促しただけだ」
「あ……ふふっ」
 事実を知り、赤月は安堵する。そしてなぜだかわからないが、思わず笑みが零れてしまった。 今ごろライは客の手にする縄を見て、その場で尻餅をついているかもしれない。
 よかったと思うと同時に、なんだか可笑しさが込み上げる。
 口元を押さえながら、クツクツと笑っていると、額に小さな衝撃が走った。
「お前もだ」
 ソファにいたはずの水鏡が、いつの間にか自分の前に立ち、額を指で弾いたのだ。弾いたといっても、衝撃は本当に小さなもので、全く痛くはない。だが、勤務中だというのにそれを怠っていたのは事実である。赤月は急に恥ずかしくなり、俯いた。
 しかし水鏡は特に気にした様子もなく、辺りを見渡しながら尋ねる。
「仕事は? もう終わったのか?」
 赤月は首を横に振りながら、メモパッドを用いて返答した。
〈まだ、後片付けが残っています。終わり次第、オーナーの下へ参ります〉
 そして。
〈お仕事、頑張ってください〉
 一層俯いて、赤月は質問以外の言葉を綴り、水鏡に見せた。
 水鏡よりも身長が低いため彼からは旋毛しか見えないが、黒髪から覗く耳がほんのりと朱に染まっている。
 すると不思議なことに、それまで張り詰めていた水鏡の雰囲気が柔らかいものへと変化した。
「ああ。だがその前にドール。補給をさせてくれないか?」
〈お飲み物でしたら今すぐお持ちします。何になさいますか?〉
「お前」
「え……?」
 いったいどういうことかと顔を上げれば、目の前には黒き眼が。
 言葉を紡ごうと口を開けば、それはしっとりと柔らかいもので塞がれる。
「んっ!? んんっ、んっう……」
 いつの間にかだった。
 赤月の細い腰は、水鏡の逞しい腕によって、そちらへと引き寄せられており、頭も同様にもう片方の手で固定されている。
 また男のものとは思えないほど若く潤う唇は、形良い唇でしっかりと覆われており、口腔内では湿った水音を立たされる。
 時おり、鼻から抜けるような甘い吐息が水鏡の脳内を溶かしながらも、彼はしっかりと目の前の青年で「補給」をする。
 もちろん、立てなくなるまで摂取するつもりはない。あくまで「補給」なのだ。
 背中に回されたか弱い手を愛しく感じながら、水鏡はリップ音を立てつつ赤月からそっと離れた。
「ん……やっぱこれが一番キくな」
「あ……ん……きょ、キョウ、さん……」
 恍惚とした表情の赤月。その頬を優しく撫でながら、水鏡──いや、キョウは。
 今度は額にキスを落として、愛するただ一人の恋人に微笑んで見せた。
 赤月の主人であり、恋人であるキョウ。普段は水鏡として「DOLL」で働きながら、地上ではもう一つの顔である「クラウン」として生きる男。そして唯一愛する赤月の前でだけは、ただの男になってしまうごく普通の人間である。
 名残惜しい気もしたが、キョウは楽しみを残すためにも、赤月を自身の腕から解放する。
「オレはもう行く……今夜は寮に帰るな」
「はい……いってらっしゃいませ」
 コクリと一つ頷きながら、赤月は嬉しそうに微笑んだ。
 これが今の、彼らの日常である。

5


前話




作品概要 人物紹介 小噺一覧
↑ページ上部