DOLL
BL/純愛/R指定
眼帯メイドと仮初めの燕尾服 第一幕
名もなき彼の主が死んだ。
凄惨な光景というよりは、彼にとっては見慣れたいつもの光景だった。ただ、彼の主が臓物を撒き散らした状態で横たわっていただけのこと。
体温を確かめることなく、それが生命としての活動を停止していることは誰の目から見ても明白だった。
外は嵐のような豪雨の中。目の前は赤と鉄の匂いで充満していた。
しかし、彼の目の前は暗闇の様に何も映らなくなった。
主の死。
これは、あってはならないことだった。
誰かが言う。
お前はなんのためにここにいたのだと。
誰かが言う。
もうこの組織は終わりだと。
誰かが言う。
それはもう用済みだと。
彼は外野の声を聞き取りつつも、その場から一歩も動けずにいた。
一歩も。
一歩も……。
アンダーグラウンド。
そこは太陽の光を一切に遮断した地下の街。
誰が創ったのか、いつからできたのか、何のためにあるのかなど、知る必要は特にない事ではあるが、ただここは、そう。「彼ら」が生きていくのに必要な場所であって、不可欠な街であるということだ。
自分。
それを保ち、動かすためには、そこはなくてはならない所。
完全なる無法地帯。
そしてそこで。その存在を誰かに所有してもらわなければ、息をすることすらも赦されない「ヒト」たちにとっては、必要な場所だった。
ピピ……と、時刻を知らせる電子音が鳴る。
「時間だ」
賑やかというのか、騒がしいというのか。地上はすでに夜も更けた時刻だというのに、そこはどうにも眩しすぎた。
しかしそれが彼にとっての始まりである。
今日という一日の。
考える必要などない。彼はそう自分に言い聞かせる。自分はただ、与えられた仕事をこなすだけなのだと。
さぁ、仕事を始めよう。
「ドール? こんな店、あったか?」
「さぁ……地下街は久々だからな。最近できたんじゃないのか?」
D・O・L・L
看板にはそう記されていた。ジャンルはSM。
男達は「へぇ」と、興味を持ちながらも、足は交互に動いていく。しかし、ある一点に着眼すると、ピタリと歩は止んでしまった。
一人のメイドが、その店の前に立っていた。
白と紺のいかにもといったエプロンドレスを身に纏い、足には革製のロングブーツ。真珠を上から塗したかのように艶やかなショートの黒髪には、キャップではなく、ヘッドドレスをつけている。それが店のコスチュームであるということを踏まえれば、メイドという恰好に違和はなかったのだが、その者は自身の左目に白の眼帯をつけていた。
しかし、男達が足を止めた理由はそこではなく。眼帯をしていてもはっきりとわかる、その者の端正な顔立ちだった。
「ヒュ〜。綺麗な子だなぁ」
華奢な身体であることは派手な服装の上からでもよくわかったが、その者はまるで人形のように美しかった。にこにこと愛想笑いを浮かべるでもなく、怯えた様に眉を下げるでもなく、ただただ無表情に、どこを見つめるでもなく、店の前に立っていた。
「おい。ちょっとぐらい、時間あるよな」
そう言って。若い男が二人、メイドの前に立った。ニヤニヤと口端を持ち上げながら、視線は頭一つ分低いメイドを舐め回すように見ている。メイドは遠目で見るよりも華奢な身体つきをしていた。
男の一人は感心した。メイドの端正な顔立ちに。抜けるような肌の白さの上にはすっと通った鼻筋と艶やかな形良い唇が乗っていた。そして左は眼帯をしているが、もう一方の目はくっきりとしたアーモンド形をしている。それでいて、瞳の色はまるで宝石の様に澄んだグリーンをしていた。
SM娼館の前に佇むメイド。つまり、この者も商品であるということだ。これで鼻の下が伸びないわけがない。
男達が声をかける。
「ねぇ。この中の商品は君みたいに綺麗な子ばっかなの?」
「お人形みたいだな。だからドールって?」
顔を近づけると、それまで遠くを見つめていたメイドが静かに顔を上げ、男達を見た。
ただそれだけの動作であったのだが、男たちの心は擽られる。目が合っただけで、身体が自然にぶるりと震えた。そして同時に、舌舐めずりをしてしまう。
しかし、メイドは何も発さない。ただ静かに、男達を見遣るだけ。
「勿論、ご主人様ってプレイだよな?」
「いくら? お前が望むだけ出してやってもいいぜ?」
メイドの耳元で息を吹きかけつつ囁いてみたが、肝心のメイドは微動だにしないどころか、片眉すらも動かさなかった。
いくら人形の様だとはいえ、売り物に対して少々苛立ちが込み上げてくる。
「おい。なんとか言えよっ」
自身の腕より明らかに細いその者の腕を、荒々しい口調と共に掴み上げる。ガクンと、メイドはバランスを取ることなく、その身体は崩れ落ちるように動いた。
「うおっ!?」
いくらその身が細く軽そうに見えても、人間の体重がその腕一本にかかるとなれば、男の方もよろめいてしまう。
だが、その一瞬。
ふわりと軽くなったかと思えば、手の感触にメイドの腕がなかった。いや、腕がないどころか。
メイドの姿が視界から消えていた。
「どけえぇっ!」
突然の怒号が店内から響いた。同時に、それまでメイドに突っかかっていた男達の前に、血相を変えた一人の見知らぬ男が駆けだしてくる。
しかし、「なんだ?」と思う前に、事は全て終わっていた。
「ぐあっ!?」
駆け出して来た男が何故か地べたに這いつくばっていた。ズダン! という、なんとも鈍い音ともに。
いったい何が起きたのかと男達が目配せをしていると、視界にヒラリと白いリボンが揺らめいた。
「オーナー」
凛と、珠の様に美しい音色が静かに鳴った。
それが誰かの声だと理解したのは、目の前にその者がいたからだろう。
一瞬の間、姿を消したあのメイドだった。
しかし、どういうことだろう? メイドの声は、自分達の想像していた声域と明らかに異なるものだった。
疑問しか湧かないこの状況に、再び互いの顔を見合わせると、店内からまた一人、男が現れた。
「真珠」
男達は目を見張った。中から現れたのは、金髪に碧眼の若い男だった。だが、目を見張ったのは、その男が今まで出会ったどの男達よりも、美麗であったということだろう。派手なグレーのスーツを身に纏うその男は、なぜか少しだけ息を切らしていた。
一体これは何事だと、それは考えるよりも先に展開が解決してくれた。目の前のメイドが、形良い唇をゆっくりと動かしたからだ。
「お客様ではない、と。判断しました。オーナー」
客ではない、と。地べたで這いつくばっている──いや、気絶をしている男について、メイドは抑揚のない発音で金髪の男にそう言ったのだ。すると、上がった息を整えながらも、金髪の男はコクリと頷いた。
「でかした、真珠。そいつは客じゃない。ただのヤリ逃げ野郎だ」
真珠。男はメイドをそう呼んだ。そしてメイドは、金髪の男をオーナーと呼んだのだ。
二人の関係性が判明し、どういった事態なのかはわかったが、オーナー曰く「ヤリ逃げ野郎」が倒れている理由について、男達は納得できないでいる。
困惑の中にいる彼らに、店のオーナーは片眉を動かしつつメイドに尋ねた。
「で? そいつらは?」
メイドはといえば、男達に一瞥もしないまま、オーナーにこう答えた。
「店に、興味があるよう、です」
確かに店に興味はある。だが、それに惹かれた要因は、店の外観ではなく、たった今説明を求められたメイドにだった。それをオーナーは見透かしているのだろう。ニヤリとシニカルに微笑む様は、ゾクリと背筋を凍らせた。
「店に? お前じゃなくて?」
そうです、と。男達が心の中で答えると、今度は天から奈落へと突き落とされるほどの衝撃な事実が、メイドの口から発せられたのだ。
「俺、に?」
まるでわかっていない、しかし戸惑うことのない疑問符のついた発言だった。だが、男達が驚いたのはそこではなく、メイドの──いや、彼という事実についてだった。
「お、俺?」
「ってことは、こいつ……男かよっ?」
高くはあるが、明らかに性別の異なる声域。そして俺という一人称。
もう一度、メイドの身体を頭からつま先まで凝視する。だが、彼が身に纏っている飾りだけのメイド服が身体的特徴を隠して性別を明確にさせてくれなかった。それゆえに、彼が彼女であると疑わなかったのだ。
だが、ああ、確かに。頷ける部分は一か所だけあった。それは、メイドの平らな胸部部分。
詐欺にでもあった気分だった。
「チッ! 野郎なら用はねぇよ」
「はんっ。野郎に女装させてるなんざ……変態かっての」
行こうぜ、と。何も言わずにその場を立ち去れば良いものを、男達の鬱憤はその場にて、唾とともに吐きだされていった。
その中で、何かが切り替わったと感じ取ったのは、小さくため息をついた金髪の男、ただ一人だけだった。
「ぐあっ!?」
「がっ!?」
ドスリと、再び鈍い音が振動する。何が起きたと気づいた時には、その場に今度は自身が崩れ落ちていた。そして鳩尾から全身へと、声も発せないほどの鈍痛が走る。
かろうじて、視線だけは見上げることができた。すると、捉えたのは記憶に新しいロングブーツの底の部分。本来地にあるべきそれが、なぜか宙に浮いていた。
男達の上から、機械的な声が降ってきた。
「変態、という発言は、この店のお客様に限り、許容させて、頂きます」
何が起きたのか、理解した。信じがたい光景であったが、男達は自分達同様に倒れ、気絶している男に何が起きたのかも即座に理解した。いや、理解せざるを得なかった。
自分達は蹴られたのだ。それも自分達が喧嘩で使うような蹴りとは全く異なる圧倒的な力で。
機械的な声が降ってきた。
「しかしながら……あなた方は、お客様ではない、と。判断しました」
ロングブーツの持ち主は、エプロンドレスを身に纏っていた。
機械的な声が降ってきた。
「消え失せて、頂けないでしょうか?」