DOLL
BL/純愛/R指定
眼帯メイドと仮初めの燕尾服 第五幕
その後、向かった先は二人が住むアパート。その、ギイが借りている方の部屋だった。
「ベッドがあった方が良く眠れるでしょうから。今夜は俺の部屋でゆっくりしてください」
そう言うギイの言葉に甘え、真珠は部屋に一つしかないシャワー室を借りた。普段なら、ギイからシャワーを使用するよう言われても遠慮する真珠だったが、水責めにあった事でずぶ濡れとなっている身体と、べったりと付着している消炎や返り血を早く洗い流したかったためだ。それは自身のためでなく、ギイの傍にいるためには必要なことだったから。
狭いが人一人は余裕で入ることができるシャワー室へ、身に纏っている衣服を全て身体から引き剥がしてから入室する。両眼で見えているはずなのに、いつもの癖で自身の左目に手を宛がったが、そう言えば眼帯はその目から取り去ったのだと思い出すと、すぐにヘッドノズルを固定してレバーを押した。
初めは冷たく、しかし徐々に温かくなる湯を全身に浴びると、スルスルとその身から汚れが落ちていった。同時に、冷えていた身体が温まりだすと、真珠の中で引っ掛かっていた疑問が一つ一つ上がり、そして冷静に思考を巡らせていった。
身体は温まりつつあるが、頭は徐々に冷えていく。
備え付けの石鹸に手を掛け、身体の保清に手を掛けていくと、ドア一枚向こう側からギイの声が聞こえてくる。
「真珠さん。着替えなんですけど、俺の服を貸しますので、ラックに置いておきますね。といっても、真珠さん、ウエストサイズが違うから、下は……」
「ギイが、俺を買ったっていう、客?」
真珠は身体を洗いながら、ギイの言葉を遮って質問する。ギイがどんな顔をしているのかはわからなかったが、聞いているのだろう。気配はすぐそこに感じていた。
「俺、ギイがここに入ってすぐに、客引きしか、しなくなった。どうしてだろう、って思ってたけど、それがギイなら、納得できる」
「あの男は上の口が緩いようですね。次に会った時には喉奥にディルドーを突っ込んでおきましょう」
はぁ、と嘆息するギイ。仮にもオーナーであるアイルに対してここまでの悪態をつくのは、真珠に隠しておきたかった真実なのだろう。オーナーへの仕打ちは冗談であることを祈りつつ、真珠は最も伝えたかったことを口にする。
「俺は……真実を知ることができて、良かった、と思う」
仕事は仕事であると割り切ってこなしていたが、知らない人間に虐げられ、身体を重ね合わせることに抵抗が無かったわけではない。そんな中、その業務から離れ、しかもそれを守りたいと思った人間からキープという形で守られてきたことを知り、真珠は本当に良かったと思っていた。
真珠はシャワーのレバーを戻すと、ポタポタと滴る雫を拭うことなく、ドアの方へと手を掛けた。
「ギイ」
「何です? シャンプーとかはそのまま備え付けて……真珠さんっ?」
「どうして、驚くの?」
「いや……」
突如として真珠がドアを開けると、ギイが背を向けて立っていた。予想よりも早くに出てきた真珠に振り向くギイは驚いたが、その反応は真珠が出てきたことよりも、真珠の姿を目にして驚いている様子だった。
全身を濡らした真珠は身体を隠すことはなく、堂々としたものだった。対してギイはといえば、普段の飄々としている様子とは打って変わって、どこに視線を落として良いのかわからないといったようで、視線を真珠から逸らした。
だが、真珠が望むのはそうではない。初めてギイの前で眼帯を外した真珠は、左右異なる色の両眼で彼を見上げ、そして伝えた。
訥々と。しかし、はっきりと。
「俺、ギイの物に、なったから。知っておいてもらいたいことが、あるんだ。だから、俺の全部を……見て欲しい」
真珠は真っ直ぐにそう言った。ギイはしばし躊躇っているかのようだったが、やがてふうっと息を吐くと、覚悟を決めて目の前の真珠と対峙した。
白い身体。そして華奢な体躯。傷一つない、とはいかなかったが、それでも綺麗だと思える身体を持つ真珠。
全てをさらけ出している真珠には隠すものなどないように見えた。しかし、そうなればおかしいと気づくことが一つだけあった。
証。「レスト」全てが持つと言われる、それを証明する烙印がないのだ。
真珠はそんな彼に気づいているのか、気づいていないのか。自身の金色の左目に手を伸ばした。
「今までの主人以外には、ずっと隠してた。オーナーも、水鏡様も、知らないものが、俺にはある。たぶん、ギイも知らないもの」
そして、左目の眼球に指を添えると、そっと……はめていたコンタクトレンズを外したのだ。
そこから現れたのは、金色の中で翼をはためかせつつも閉じ込められている鳳凰の証だった。
真珠は言った。
「これが、レストの証。俺の、全て……」
他の「レスト」は知らないが、真珠の「レスト」である烙印は、左目にあった。眼帯はダミー。それを剥ぎ取られたとしても、まさかその奥の眼球にその証があるとは思われない。
誇り、というわけではなかったが、真珠は主と定めた者以外には決して見せようとはしなかった。いや、見せまいと決めていたのだ。
「俺の主は、ギイ……貴方だ」
「勝てないな」
「ギイ?」
「真珠さんは、どこまで気づいてるの?」
苦笑したかと思えば、ギイは真珠に尋ねた。質問の意味がはっきりとはわからなかったが、自身が感じて気づいたことなら確かにあった。
「どこまで、なのかは、わからない。けれど……ギイが、俺とは違う人間なのに、ああ似てるんだなって、思ったのは……つい、さっき」
「そっか」
ギイはラックに用意していたバスタオルを掴むと、真珠の身体に被せて身体を拭くように言う。そして、真珠がそれを受け取り、まずは湿った髪を拭おうと頭まで持っていったところで、ギイが何かを決心したように真珠に告げる。
「じゃあ、俺も見せてもいいかな」
何を? とは聞かなかった。ギイが決心し、そして見せても良いと言ったのだ。
ギイは自身のスーツの上着を脱ぎ、そして中に着ているカッターの裾をベルトから引き出すと、そのままそれを上にあげて自身の右の横腹を見せた。
するとそこには、幾度となく繰り返したのだろう刺し傷と火傷の混じった痕と、その上に覆いかぶさるようにして彩る刺青があった。真珠の持つ鳥ではなく、自身の組織の象徴だろう龍だった。
ギイは言う。
「まぁ、綺麗とは言えないけどね。消し潰すためにそうしたんだし。そのためなら、削ろうが焼こうが切り落とそうが彫ろうが埋めようが……なんだっていいと思ったのも事実だから」
「顔も?」
「この顔は本物……ああ、いや。何回かは変えたこともあるし、真珠さんと初めて会った時も変えてたけど。元はコレ」
「そう」
傷痕は右の横腹だけだったが、刺青自体は服で隠れた部分にまで続いているため、広く彫ってあるのだろう。なるほど。執事のコスチュームで、しかもS役だったのは、衣服を脱ぐ必要がほとんどないからだったのかと納得する。
顔も含め、重ねに重ねて隠していたのだろう。傷痕のことは彼が所属している組織も知っているのだろうか? いや、知らないだろう。この男は、自分と似ていて、同じでない。
それはギイの口から明かされる。
「俺は真珠さんとは階級が異なるけれど、境遇は似ていたと思う。クラウンでもレストでもない、けれど誰かに飼われて生きてきた者だから」
決定的に異なるのは階級の壁。つまり、ギイは「センター」でありながら、同じ「センター」の人間に飼われていたということだ。階級が異なれば割り切ることもできるだろうが、ギイの場合は真珠とは全く異なる。しかし、謝罪したアイルに真珠の気持ちを代弁できたことこそが、その証拠だ。
ギイは今までどんな気持ちだっただろう。真珠はそれを、知ることができなかった。
でも……。
「でも、俺は飼われないと生きていくことができないレストと違って、人として生きる権利があったから、ここまで変わることができた。組織の頂点に上り詰めることができた」
この若さでそこまで上り詰め、逆に人を従えるまでになったその執念が、ギイの生きる強さだろう。だからといって、それができない真珠が弱いわけではない。真珠に立ちはだかるのはどうしようもない階級の壁だから。
しかしどうして、ギイは真珠に関わったのか。わざわざ、敵対する組織から捨てられ、用済みとなったレストを、地下街の男娼館まで追ってきたわけが、わからない。
ギイは言う。
「でもね真珠さん。真珠さんだけは別。貴方を見ていると何でもしてやりたくなるし、何でもしたくなる。だから……真珠さんの処女を貰った時は、天にも昇る思いだった」
そんなに神聖視するほどのものでもない。ただ、耳に穴を開けただけのことだ。しかし、ギイはピアスを受け取った真珠の耳に触れた時、手が少しだけ震えていたのだ。
「当たり前。だって、真珠さんの処女なんだから。欲しくて欲しくてたまらなかったものを、手に入れたんだから……まさか気持ちまで手に入れられるとは思ってなかったけど」
真珠のことを、本当に特別に思っているからこそ、震えたのだし、緊張もした。それが、震える手の先から感じたからこそ、真珠はこの青年を、主として認めることができた。
いや、それ以上の存在として、受け止めたのだ。
ギイは真珠を、大切なものを扱うように、優しくその腕に抱え込んだ。
「すっげぇ嬉しい……」
その顔に、笑みが浮かぶ。そして頬が少しだけ朱に染まった。
ああ、これが本当のギイなのだ。まるで、宝物が手に入った少年のように無邪気に喜ぶその姿を見て、真珠は思わずその背に手を回す。
ゆっくりとその手で背を撫でると、すっぽりと抱きかかえられたその手に力がこもった。
温かい。真珠はそう感じた。
温かい。
温かい……。
「ここって、幽霊が出るって云われだけど、本当ですかね?」
「ギイがここに来る前は、誰もいない天井裏から子どもの走る足音とか、窓ガラスが割れたりとか、知らない男の顔が出てきたりとか、身体が動かなくなったりとか、あったけど……」
「じゃあ、俺たちの目には見えないそんな彼らの前で、二人の情事を見せるってことになるわけですね。まぁ、仕事のショーだと思えば気になりませんか」
格安のアパート。そしてその一室の──ギイの部屋にある折り畳み式ベッドの上で、二人の青年が寄り添う形で寝そべった。
一方は、笑って。そしてもう一方は、無表情で。しかし、その頬の上には、少しだけ朱が乗っていて。そんな彼の頬を、優しく撫でる青年の手は、彼の気持ちを落ち着かせるほど心地よいと感じるものだった。
「今から真珠さんの身体に触れるけど……俺のこと、もう怖くない? 警戒しない?」
そんなこと、今さらあるわけがないのにと真珠は思った。危ないと感じたのも、警戒をしていたのも、怖いと思ったのも、嫌だと思ったのも、それはギイがわからない存在だったから。
でも、今は違う。
真珠は首を横に振った。
「キス、してもいい?」
「うん……」
答えると、ギイが真珠の唇に、優しく自身のそれを重ね合わせた。そっと、触れるだけのキスに、ギイはとても嬉しそうに微笑んだ。
薬を飲ませた時に一度はもう触れている。それが初めてではないのに、と真珠は思ったけれど。ギイがあまりにも嬉しそうに微笑むものだから、何も言えなくなってしまう。
そして同時に、嬉しいと思った。おそらく、生まれて初めて。
どうして自分を、そこまで大切に扱うのか。なぜ、そんなに嬉しいのか。いつから自分を想っていたのか。
どうして自分だったのか。
でも、そんなことはどうだっていい。今、彼が自分を求めてくれるのなら。
真珠に初めて欲しいものができた。「レスト」である、何の権限もない自分に。欲しいものができた。
そしてそれが今、手に入る。
ギイは真珠の左目の瞼に唇を落とした。真珠の全てを受け止めるように……。
ギイは宝物に触れながら、思いを囁いた。
「最初はね。噂のキリングドールをどうやって懐柔しようか、もしくはどうやって殺そうか、って。それしか考えてなかったんだ。真珠さんは知らないかもしれないけど、ナイは裏じゃ有名なキリングドールだったよ。でも、一目見て考えが変わった。俺と境遇が似てるのに、俺とは全然違ったから……それで、なんでかわからないけど、貴方が欲しいと思った。手に入れたいって。一目惚れ、だったのかな……だから貴方の組織を壊滅させようとは思わなかった。貴方のボスへの忠誠心はよく伝わっていたし、そんなことをしても貴方は手に入らないともね……けれど、貴方を玩具のように扱う連中たちには我慢がならなかった。ボスのレストである貴方を、自身のレストであると勘違いをしているあの低俗な連中には、どうしても。だから……というわけではなかったけれど……俺は貴方を手に入れることにした。貴方のボスは、貴方をレストとして上手く使役していた。そしてそれと同時に……貴方を気に入っていた。彼がどこまで予想をしていたのかはわからない。しかし彼は……俺に殺されることを許した。ねえ、真珠さん……」
「ん……なに?」
「愛してる……」
「そうか。組織に戻るか」
「この仕事も気に入っていたんですけどね。しかし、あのままあちらも放っておくわけにはいかないので」
「真珠も、それでいいんだな?」
「俺はギイのレストになったから」
「そして俺は真珠さんの物です。あ、鞭は餞別ってことで貰っていいですかね? 結構気に入りましたし、まだ真珠さんとメイドプレイはしたことがないので……」
「メイド服は絶対やんねぇぞ」
事務所で交わされる会話の中、控えめにドアをノックする音が聞こえた。アイルが「入っていいぞ」と声を掛けると、静かにドアを開け、その人物は入室する。
真珠よりも背が低く、そして小柄な少年。自分と同じく、この店から支給されたツナギに身を包んでいる。顔は長く不揃いの前髪で隠れてはっきりとはわからなかったが、なぜかふるふると身体を震わせている。
ギイが少年を目にして、得意の恵比寿顔になった。
「おや。可愛い子が入りましたね」
「これでも成人している……挨拶を」
アイルが声をかけると、ビクリと大きく肩を震わせたが、何を言われたのか理解したのだろう。彼はツナギのポケットから電子メモパッドを取り出すと、慣れた手つきで何かを打ち込み、それを真珠達の前に翳してみせた。
〈赤月です。よろしくお願いします〉
そして大きく頭を下げるその少年……いや、青年に。ああ、そうかと。真珠はすぐに理解した。
この子は自分と同じだ。けれど、自分とは別の場所で生きてきただろう、何も知らない、無垢な存在として捉えた。
真珠は彼の傍に寄り、すっと手を伸ばした。
びくりと構えるその小さな存在。ああ、この子はそういう場所で生きてきたのかと理解する。
ポンと、真珠は彼の頭の上に優しく手を乗せた。おそらく、生まれて初めての行為。そして、ごく自然に、何も考えずにできた行為。
その場にいた誰もが驚いていた。だが、真珠は気にせずに、彼の髪を梳くように、優しく撫でたのだ。
「真珠、です……よろしく」
挨拶をする。誰から言われるでもなく、自分から。今までの「レスト」の自分からは、考えられなかったこと。けれど、この子にはできる。いや、今の自分だからできること。
ギイと出会った、自分だからできることだった。
「大丈夫、だと、思うよ」
口からこぼれたのは何の根拠もないその一言。けれど、真珠は確信する。きっとこの子は大丈夫。いや、きっとこの子も大丈夫。
後からノックもなしに入室したのは、相変わらず澄ました表情の水鏡。真珠は彼を一瞥すると、再び赤月へと視線を落とした。
「だいじょーぶ」
その時、その場にいた全員が目を瞠った。そして、驚いたのだ。
真珠は口端を持ち上げ、笑っていた。微笑み、というものに近い、ささやかな笑みではあったが。
真珠はおそらく、生まれて初めて微笑んでいた。左目の眼帯をつけていても、眩いばかりに魅了するその微笑みは、誰しもが綺麗だと思ってしまうものだった。
だが、それを嬉しく思う反面、あまり快く思わなかった人物が近くで「はぁ」とため息をついていた。
「なんだか……妬けるなぁ」
苦笑を浮かべながら頬をポリポリと掻く姿に、真珠はきょとんと首を傾げてみせる。
「妬けるの?」
顔を近づけ、じっとギイを見つめる真珠。ただそれだけのことではあったが、ギイの顔からは常に貼りつけている笑みが一瞬で消え去った。
そしてボッと火がついたように赤くなる顔。発熱でもしたのか? 目の前の主人が初めて見せた反応に、真珠は目を見開いた。
心配してギイの頬に手を伸ばすと、逆にその手を握られ引き寄せられる。
気がつけば、すぐ近くに彼の顔があり、柔らかな感触が唇から伝わってきた。
「やっぱり、貴方には一生、敵わないよ」
ありがとうございます!