久多良木文庫
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Bedlam

BL/ML/ダークシリアス短編集




エロスの凌辱




 最初は偶然見掛けただけの興味から。
 二、三度繰り返してからは好奇心が湧いて……
 気付いた時にはもう、お前の存在全てに惹かれていた。

 俺は一人でいるのが楽だった。煩わしい日常生活の息抜きに、一人は気楽でのんびり出来た。だからって集団行動が嫌いってわけじゃあない。人に触れるのも触れられるのも好きで、それが好きな奴だったら尚更、干渉されたところで困るなんて一つもなかった。お陰で友人付き合いにも女遊びにも事欠かず、大雑把に行動範囲は浅く広かった。
 学校での俺は好かれてた。教師ってえのは大概嫌われるか苦手扱いされるもんだが、保健室の主である俺は全く、寧ろ逆だった。ガキ共は毎回用も無しに集まってきて、誰かがリーダーで集合掛けてんじゃないかって位の溜まり場になってた。俺はそれをどうとも思わず好きに使え程度にあしらってたから、今時のガキ共は遠慮なしだった。その中でも女が特に、ガキのくせに色気づいて集ってきた。俺はガキの女になんて欲情するロリータ・シンドロームでもなけりゃあエフェボフィリアでもない。付き合う付き合わないどうとかってえより、飽く迄も遊ぶなら成人女の方が楽でいい。
 そこそこ人気を博していようが俺は、寄って集るガキ共を適当に窘めても容赦なく城から追い出した。別に篭城するつもりはないが、居座られても俺が自由に動けない。その度に文句を垂れるガキ共を相手にしてると、ちったあ献上品の一つでも持って来いって、余りの図々しさに厭きれてもくる。溜まり場程度なら構わんが、遊び場にされるのは勘弁だった。
 へらへら愛想振り撒いてた俺がそんな面倒までやって辿り着いた場所に、お目当ては既に空気と同一化していた。
 俺はよく図書館に出入りしてた。別に読書目的でもなく──それなりに嗜む程度ではあるが、わざわざそれ用の場を利用するまでもなく自宅で充分だ──単に息抜きの為だった。此処は校舎とは独立してる上にまともに利用する奴なんか皆無だったから、一人になるには恰好の穴場なわけだ。それ程度の理由で俺は図書館を利用してた。
 ある日。いつものように保健室に群がるガキ共を追い出して、俺は一人の自由時間を堪能すべく図書館へ向かった。無駄に広い敷地に建てられたそれは二階建てでまた無駄にでかく、屋根はドーム状で丸みを帯びていた。両開きのドアを片側だけ引いて映り込む光景は、なんていうか相変わらず、俺には似つかわしくない場違いな雰囲気満載だった。大袈裟じゃない。まともに使われてないお陰で綺麗過ぎて、神聖とでも言える空間だった。それでも俺にとっちゃあ職場での第二の住処で、誰にも邪魔されない快適な隠れ家でもあった。
 俺はいつからか指定席になった壁際の椅子に腰掛けた。用心振ってるわけでもなし、正門は勿論、図書館の建つ場所は校舎からは死角になっていて容易く見える位置になかったが、それでもこの定位置が好ましかった。真夏の鬱陶しい日差しが届かない分だけ、館内中に利いてる冷房がより増してる気さえした。
 好んで端に座るわりに、俺はいつも窓の外ばっかり眺めてた。組んだ両手を頭上に、大きく反り返ってがちがちの背骨を伸ばしながら、そのまま壁に凭れるようにして椅子の背に寄り掛かった。毎日よくもまあ厭きもせず、同じ位置から同じ窓の外を、同じ気分で拝んでいられるもんだと不思議だった。傍から見りゃあ変人、ある種の精神障害を患ってるようなもんだ。位置がどうの、角度がどうの、座り心地がどうのって、実際そこまで拘ってるわけじゃなし、ただ慣れてるからしっくりくるってだけだった。
 そして、最初の変化があった。
 休み時間でも静か過ぎる図書館内に響いたのはドアの軋む音、俺の知る限りでは珍しく客が訪れた。俺はそいつの足音を仕方なし耳に入れながら、視界に現れた姿を右から左へと流した。
 このくそ暑いってえのに突如の訪問者は長袖のシャツを首元まで窮屈に着込んで、その上ご丁寧にネクタイまで締めてた。きっちりシャツを入れてる紺色のズボンまでは確かにうちの制服で、見るからに優等生らしいそいつは明らかに生徒だった。そいつは左手に一冊の本を持ってて、俺に気付かないまま目の前を通り過ぎていった。それだけだった。
 次の日は違った。前の日と同じ、こっちに気付きもしないで横切るそいつを、俺は右から左へと視線で追った。視界に入ってきたんじゃなく、自分から視界に入れた事に驚きだ。また次の日なんて俺は何やってんだか、斜線上先に座って眼鏡を掛けて本を読み明かしてるそいつの姿を只管眺めてた。次の日も、次の日も同じで、変わらないのはそいつだけだった。
 二年二組、門馬学央
 最初は偶然見掛けただけの興味から、二度三度繰り返してからは好奇心で、一週回った頃には惹かれてた。
 門馬は俺には気付かなかった、一度も。周りを気にしないってえよりは眼中にない、常に自分の世界を作って生息してるって感じだった。外見は優等生だったが雰囲気は一匹狼……いや、捨てられた犬か野良猫だった。もっと言えば捨てられるよう仕向けたって、曰く有り気な影を背負ってる風にも見えた。一人なんじゃなくて、独りになりたがった結果が其処にあった。そんな気がした。
 一度だけ校内で擦れ違ったことがある。図書館で何度か見掛けるようになったその後の事だ。
 いつも門馬が図書館にやってくる時間に合わせて俺は、挙動不審者並みにぶらぶら校舎中を歩いてた。一度くらい、たった一瞬でもその面を拝んでみたくて、歩き回ってればどっかの教室から出てくるだろうって無謀な考えだった。そうすりゃあクラスも解って名前も知れて一石二鳥だと思った。それが好奇心の始まりでもあった。
 相変わらず下手糞な化粧で色気づいてる小娘共に集られて、予想通りの足止めを喰らってた其処に、丁度お目当てさんが通り掛かった。こっちも相変わらずの仏頂面で、自分以外のその他大勢なんてまるで眼中に入ってなかった。でも俺の方はすっかり釘付けで、通り過ぎる背中まで振り向いて視線で追っ掛けた。
 綺麗な奴だった。いや、面はなんてことない並だったが、それまで遠目から見てただけじゃあ表面しか理解し切れてなかった門馬の醸し出してるもんが、逆にその存在を美化させてるんだって解った。でも、それでもやっぱり捨てられた犬みたいに、死んだ魚みたいな暗い目をしてた。
 門馬に関して解った事は辛うじて名前とクラスだけだった。誰と仲が良いってのもどんな奴かって事も、関わってる奴は一人としていなかった。担任すら彼奴の存在を消しかけてる位で、名前を聞き出したのは図書館の管理をしてる司書からだった。それも常駐してるわけではなくたまに見掛ける程度だったらしいが、初っ端会った時に本の貸し出しについて聞かれて、真面な利用者もいなかったせいで覚えてたらしい。
 此処の図書館の本は基本持ち出しは禁止されてる。利用する時は図書館内に限られてるが、どうしても貸し出しを求める際には記帳するよう義務付けられてた。門馬は何度かそれで記帳してたらしく、しかしそれも最初の内だけだったようだ。
 それからの俺は待ち伏せのように図書館に通った。それまで自分の都合に利用してた穴場が門馬と出逢ったことで優先順位が変わった。
 俺は門馬をずっと眺めてた。遠過ぎず近付き過ぎず、彼奴が保つ均衡を崩さない安全な距離をわざと取ってた。でもそれは彼奴の為じゃなく、俺の理性だった。底から沸き起こるそれがどんな感情であるか俺は知って──あの日擦れ違った門馬の目を見たその時から、とっくに答えは出てたんだ──知りながら有り得ないって抑えつけてた。
 女遊びはよくやった。好きまでならない女を相手に、喜ばせる方法なんて一通り知ってる。適当に喋って、適当に抱いて、寒々しくない程度の気障な科白まで吐いて、薄っぺらな関係は腐るほど溢れてた。それがどうしたってんだ。今俺がストーカー紛いに付き纏ってるのは高が高校生のガキで、それも男だ。有り得ないって思うのは当然だろ。じゃなきゃ俺はただの変態なおっさんだ。
 俺ははっきりしてる自分の貪欲を意識的に曖昧にして、そうしておきながら無意識に足は動いてた。サンダルの足元は響くほどの音を出さずにフローリングの床を摺り歩く。その気もないのに勝手な忍び足に好都合と喜ぶべきか否か、焦燥に早まる鼓動を一本の髪の毛並みの糸で繋ぎ止める理性で補いつつ、気付いたなら逃げて欲しいとさえ八つ当たった。
 俺は一瞬たりとも視線を外さなかった。真っ直ぐ門馬だけを見据えて、気付かないでくれ、気付いてくれと、相反する警告を送ってたに違いない。自分はまだ一線を越えてない事を印象付けて、これからする事の言い訳を与えていた。
 葛藤しつつも定位置を少し離れたところで、チャイムが鳴っても構わず本を読み耽る門馬は不意に窓の外を一瞥すると、眼鏡をケースに入れて閉じた本の上に突っ伏した。
 全てが俺に都合の良いように流れ始めてる、そう思った。憂鬱そうな溜息を吐く門馬の真向かいに来た時、俺は自分で作った気持ちの矛盾に対する賭けを、椅子を引いて座ったその瞬間に挑戦を受けた。
「なんで──」
「なんで夏ってこう暑いかねぇ……」
 伏せる彼奴の上体が反応した。それだけでも決壊寸前の理性はぐらりと揺らいだ。窓の方へと体を向けて座る俺は意識だけ向かい合わせて、うつ伏せの体を起こす門馬を横目に窺っていた。門馬は起き上がると共に舐め上げるようにして俺を観察してるみたいだった。
 やはり気付いてなかったらしい。それどころかこの様子を見る限り、俺という人間の存在すら知らないようだった。門馬の俺を見る目が、漂わせる空気がそう言ってた。俺自身別に人気があるからって自惚れてたわけじゃなし、驚くより寧ろ“らしい”と納得して、気付かれない程度に口の端を上げた。それは門馬が下手な先入観を持ってなかった事に、人伝じゃなく俺本人が摺り込める有利な状態に洩れた本能が嬉々した証拠だった。つまりこうでもしなきゃあこいつはずっと俺の存在を知らないまま──俺が僅かな関心も持たなけりゃあこうやって顔を合わせることもなかった──何事もなくいつまでも独りの世界で生きてたってわけだ。
 俺はどうしようか考えてた。門馬の探るような視線を受けながら、既に無断で、それも土足で踏み入った相手のテリトリーの中、侵入者でしかない自分を次にどうアピールするべきか模索してた。行動してしまった今、後戻りなんて出来やしない。気付いても逃げ出さず俺に関心を示す門馬に対して、自分はどうして沸き起こるばかりの欲求を無かったことに出来るのか。尚惹かれるしかなかったのは言うまでもないが……。
 俺は肘を着く手に乗せた顔を向けて、訝しげな眼差しを寄越す門馬を捉えた。目が合ってまた微かな反応を見せるその姿は、どうやら平常心を装っているんだろうと把握出来た。無論、こいつと俺との間にある見えない壁もだ。
「何読んでんだ?」
「え?」
「それ」
 俺は門馬の腕の下敷きになってる本を指差した。大きさから言って文庫本、紙製のカバーのお陰でタイトルは見えず、一先ず話し掛けるには良い材料だった。
 門馬は警戒してた。そりゃあ当然だ。俺がこいつの名前やら知ってても門馬は俺の事を何一つ知らない上、こうやって対面するのはお互い初めてだった。俺の推測通りの人間なら、此奴は今丸裸で無人島に投げ出されてるようなもんだ。元々ある警戒心ばかりを解り易く露出するのは当たり前だった。
 門馬は本を手に取ると、徐にそのカバーを外し始めた。何をやるかと思って見てりゃあ、本のタイトルが解るよう唐突に掲げられた。一言も発されず事を起こされたのには少々驚いたが──相手が何者か解らない内には口も利きたくないっていう主張だろうな──それもこいつらしいと思うだけだった。
 人間椅子──江戸川乱歩の有名な作品の一つだ。ある邪な思いに駆られた椅子作りの職人が、依頼されて作った椅子の一つに細工をして其処に入り込んだ。それは自らが椅子になって、思いを寄せる女の肌を知る為の狂行だった。
 昔一度読んだっきりでうろ覚えだが、確かそんな話だったような気がする。だが明らかに今時のガキ向きじゃないのは確かだ。それどころか卑猥で、御時世のガキ共には間違った理解しか出来ないだろうし、寧ろ理解にすらならないだろう代物だった。
「そいつは今時の若人が見ていいもんなのか?」
 思わず出た科白だった。別に門馬の事を馬鹿にしてるわけじゃない。ただ思った事がそのまま口を吐いたってだけだった。嫌な印象を与えたに過ぎない言葉は、見る限り門馬を動じさせはしなかった。
「読んじゃいけない、決まりも無いですから……」
 ぽそりと呟いて、門馬は外してたカバーを直した。当たり障りのない言葉だった。
「そりゃあそうだ」
 だから俺も当たり障りなく返して、窓の方へ向き直った。
 真夏の陽光が眩しい。ぎりぎり当たらない位置でも焼けそうなくらいだった。その中で俺と門馬は言葉を交わすことなく、ただ一台の机を挟んで座ってただけだった。
 俺はまだ迷ってたかもしれない。いや、確かに迷ってた。今更引けもしない、引いたら男としての自尊心はどうなんだって、でもこれ以上どう踏み入るかって、堂々巡りの自問自答を繰り返してた。一つはっきりしてたのは、今の門馬にとって俺はただの有害物質に過ぎないって事だ。表に出さないよう繕っても、強張ったその表情は一目瞭然だった。そこまで理解しててもこの場から動く気なんて更々なかった。
 果たして俺はこいつに何がしたいんだろう、それとも何かさせたいのか。煽る真似をして門馬の人間味を見たいんだろうか。堪忍袋の緒が切れて、喚き散らす姿をこの網膜に納めたいのか。それとも笑いかけてくれる事を望んでるのか。
 どれも当て嵌まるもの、欲張りに知りたがってる事だらけだった。だが何よりも、その細い喉元から発する声を聴きたかった。
──読んじゃいけない、決まりも無いですから。
 もっと聴きたいと思った。小さく呟かれたその一言でも、発せられた声そのものに魅了された。男独特の低さに霞めた艶のある音、警戒しながらも震える喉から発する感情を殺した声は、抑えつける俺の情欲を更に滾らせた。
「好きなのか? 読書」
 俺は窓の方に顔を向けたまま、流れる間の空気だけで門馬の反応を感じ取った。全神経を耳に集中させてた。
「読んでるだけです、ただ」
 鼓膜に拾い上げたその声に体中から総毛立った。フェティシズムとでも言うのか、これは。
 門馬にとって俺は毒なんだろうが、俺にしてみりゃあこいつの声が毒だった。それも他の奴には決して解らない、俺だけに伝わる周波数。俺を欲情させ、嗜好症にまで掻き立てる劇薬だった。取り殺されるのは寧ろこっちだろうよ。
 空気が湾曲する、それだけで門馬の状態が手に取れた。きっと彼奴は不快に顔を歪ませて、俺を卑怯呼ばわりしてるだろうと思う。他人に一切関わりたくないだろう門馬に対して俺は、どうしたって答えさせる為に訊く事しかしてない。それも俺の勝手な、自己中心的な嗜好によってだ。自分でももどかしくなる。
「邪魔かな、俺は」
 口先だけなら引けもする、実際その気はなかった。ただ門馬の反応が知りたかった。でも俺は半面、拒絶を望んでもいた。このままでいたら俺は自分の潜在に巣食うあられもない感情に呑まれ、それを行使するだろう。それが解るから逃げるチャンスを与えたんだ。
 静寂の空気が軋む。俺は横目に門馬を見据えた。本の上に置かれた握り締める手を震わせながら、門馬は俺の視線を避けるようにして俯いてた。逃げる事を考えてるのか、何を言うべきか迷ってるのか。何のアクションも起こさずただ、表情も窺えないくらいに深く下を向いていた。
 ぶつり──と、俺の中で何かが切れた。
 椅子から立ち上がった俺は外した眼鏡のテンプルを左の胸ポケットに挿して、阻む机を回って座る門馬の右側へと立った。
 門馬の緊張が伝わってくる。手だけじゃなく、全身が震えてると確認できた。縮まった距離のせいで圧迫される互いの間の空気が、今にも破裂しそうなくらいに膨張していた。
 俺は声を掛けるより先に──殆ど無意識だった。それはまるで蛇の如く、ぬるりと猥雑に忍び寄った──俯く門馬の頬に手を伸ばした。そしてはっきりと、生じた亀裂の唸りを聞いた。
 門馬はその頬に触れた俺の手を振り払おうとした。振り上げられた腕を俺は容赦なく手首から掴んで、門馬の顔を露にさせた。これから起こる事を察知したのか、見下ろす表情は突然に迫る威圧感に臆してた。
「放し……!」
 門馬は自由の利くもう一方の手を用いて、手首を掴む俺の手を引き剥がそうともがいた。その度に俺は昂り、ぞくぞくと背筋を駆け上がった。覆された理性は自我を見失い、次の瞬間、俺は空いてる方の手で門馬の顎を掴んで無理矢理にその面を真上に向かせた。
 それは密やかに抱いてきた激情、矛盾する衝動だった。
 門馬は掴まれた手首から俺の手を振り払った。その一瞬に見た門馬の表情は俺を睨んで、今にも泣き出しそうだった。不意を突かれて気付いた時には目の前には椅子が転がっていて、出入り口のドアが軋みを立てて閉まったのを耳にした。
 俺は足元に落ちてた眼鏡を拾い上げようと上体を屈めた。広がったテンプルを掴むその視界に、紙製のカバーに保護された本と眼鏡ケースが映り込んだ。俺は自分の眼鏡を胸ポケットに戻し、忘れるしかなかった門馬の私物を手に取って倒れた椅子を起こす。そのまま傾れるようにして腰掛けると、まだ残る彼奴の温もりを感じながら振り払われた掌を翳した。見上げる掌はスクリーンになって刹那に捉えた門馬の顔を映し出してた。それは剥き出しの嫌悪と敵意、確かな怯えと、懇願にも似た激しい拒絶だった。俺は苦笑いして閉じた瞼を下ろした掌で覆った。
 俺は安心してた。門馬がはっきりと拒絶を示してくれた事に感謝して、正直助かった。あのまま彼奴が何もせず為すがままだったら、俺は欲望に忠実な行為を施してただろう。自分勝手にしたいがまま、門馬を犯してたに違いなかった。だから良かった。門馬が拒絶した事も、逃げた事も、この手を振り払ってくれた事も俺には有難かった。
 俺は後ろに倒した首と凭れた上体を起こして、机に置いた本を何気なく捲った。
 今の俺にならこの男の心理が、嗜好が理解出来るだろうか……。いや、出来たとしても俺は既に一線を越えてる。見ているだけじゃ我慢出来ず、初めて起きた激しい渇望を抑え切れずに、直に触れたくて無理矢理踏み込んだ。その結果は俺の望んだ通りになったが、皮肉な事に余計に昂揚もさせた。
 俺はケースから眼鏡を取り出して双眸に近付けた。レンズ越しの世界は歪んで見えて、離しててもぐらりと脳天に響いた。それだけで彼奴との世界観の認識の違いが解った。
 門馬はどうするだろう、俺がこれを預かってるって知ったら。敵地に乗り込んでも果たして取りに来るか、それとも忘れたくて有耶無耶にするだろうか。そんな憶測を巡らせつつ、俺は変態さながらの笑みを漏らしながらまたあの顔を思い出していた。

「お前はそうやって、俺のせいで生きてるって実感を思い知らされてりゃあいいさ」

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