久多良木文庫
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ML/近親相姦/サークル企画




相反する二人




 ゆるゆると瞼を押し上げるカッツェの目には、いつも抱き締めているテディベアの顔が映り込んだ。
(鷹見兄さんが、いた……)
 目覚めたカッツェが最初に見たのはテディベアではなく、鷹見の寝顔であった。
 喫驚し、夢を見ているのかとカッツェは一瞬思ったが自身の身体に回された、鷹見の腕の感触と自分の腕の中にあるぬくもりは同じく、余りにも鮮明で直ぐにこれは現実だと認識した。
 何故そんな状況になっているのか狼狽するカッツェが、覚えているのは身体がひどく熱かったことだけで、その熱も幾分か和らいでいた。
 初めて、こんなにも間近に見る鷹見の顔は凛々しく、眠っていても整ったままだった。自分とは似ても似つかない──微塵も似ていないのは体格以外の全てが母親譲りのカッツェと、父親譲りの鷹見とは異なった非対称の存在だからだ。
 暫し見蕩れて、その瞼に触れようとしたカッツェがすんでのところで手を止めたのは鷹見の、言葉に対する答えを己の中に見出していない鉄壁の事実に阻まれたからであった。
 触れてみたい好奇心か、触れたい欲求か、どちらとも区別できない衝動にカッツェは焦燥する。
──鷹見兄さん。
 口に出そうとしたところで鷹見の眉がぴくりと動き、カッツェは思わず目を瞑った。
 閉じた瞼の先でカッツェは鷹見の気配を追い、頬の下辺りに触れる手のぬくもりを感じる。神経全てが鷹見へと集中して自身の心臓が大きく脈打つのをカッツェは耳の奥で聞いた。心地のいい鷹見の身体が腕からすり抜けていき名残惜しく思う中で、代わりに抱かされる柔らかい肌触りは小さくも、カッツェの心を凌駕し続ける思い出であった。
(なんだろう……心臓が、ドクドクしてる)
 身体中に響く鼓動は脳髄をも震わせ、懊悩するカッツェを揺さぶり追い立てる。疼きを感じられてもその意味を理解するまでに追いつかないカッツェは歯痒く、残ってもいないぬくもりに縋るようにして静寂と、昼も夜とも解らない真っ暗な中、小さなテディベアを両手で強く引き寄せた。
 カッツェが自室を出る頃には下階からの灯りが暗がりの上階へと伸びていて、兄弟らの賑やかな声が響いていた。
 階段を下りてリビングへと差しかかった時、不意にカッツェは足を止める。
「鷹兄もなんだかんだ謂って、やっぱ優しいよなあ」
 鷹見の名前を聞いただけでカッツェは全身が竦んでしまい、ただその理由もわからず死角となるリビングでの会話に耳を傾けた。
 リビングでは続々と帰宅した学生諸君が集い、各々寛ぎつつも直に出来るだろう夕食の準備を手伝っていた。
 賑わう中で称賛の声を上げたのは鷹見と同じ、赤い髪に右目の泣き黒子が特徴ので彼らの話題は、どうやら鷹見とカッツェのことらしい。
「添い寝してたって?」
「添い寝というより、カッツェ君が放してくれなかったみたい。ぬいぐるみと間違えられて、がっちりホールドされたって。お陰で身体が痛いって謂ってたよ」
 一般家庭にはそぐわない広々としたキッチン──飲食店の調理場とも言える──で椎奈と手分けして夕食を作るあおいはカウンター越し、紅の片割れで同じ顔ながら、赤みがかった薄茶色の髪をしたの問い掛けに答える。
 緑と黄の色違いの迷彩柄Tシャツを着る紅と天は双子であり、池仲家公認のバカップルでもある。高校生という若気の盛り故か二人きりだろうが誰が見てようがお構いなく、密度の濃い甘い関係を見せつけるので時に中てられる者もいたり、いなかったり。
「あの鷹兄が負けたの!?」
 双子さながら紅と天は信じられないと声を揃えた。
 体脂肪率一桁の骨と筋肉で形成されたような身体で池仲トップ3である鬼神のような兄がまさか、体格差がそれほどないとは言ってもよくよく比べればスレンダーな男に力負けするとは予期せぬ事態である。
「麿兄のことも押し倒したくらいだから、不意打ちとはいっても力は強いと思うよ」
「だって麿兄はほら、攻められると弱いから」
 あおいに次いで椎奈の言葉に、いつぞや喜びの雄叫びを上げて昇天した麿の姿が思い出される。
「鷹兄のノンケ卒業も近いかもね」
「ていうか自称じゃん!」
 誰にともなく呟いた天の一言にこれといった根拠のない断言した突っ込みを入れたのは、その可愛くも綺麗過ぎる顔には不相応なTシャツにジーンズの恰好をした、のんだ。
 のんは中学生ながら耳年増──池仲家の状況下ならば仕様のないこと──で兄弟情事には好奇心旺盛。その思考でもって繰り出される多彩な悪戯は幼稚且つ大胆であり、犠牲になる者が後を絶たない。黙っていれば色白の膚に栗色の癖のある猫毛と睫毛の長い大きな眸はまさに美少年なのだが、長兄の麿を尊敬するだけあって中身とのギャップは恐ろしい。
「そうでもないと思う」
「うん。僕のコレクションにも興味ないしね」
 完成した料理の盛った皿を次々とカウンターに置く椎奈が否定を含んだフォローを口にすると、あおいはそれを事実として肯定した。
 兄弟らの成長記録と奸濫な情事は時に池仲家限定で上映され、時に個人で楽しまれて重宝している。その数あるコレクションの、例えるならばゲイビデオの類に当然ながらノンケの鷹見は一切興味がないし、そういった話も兄弟絡みでなければ……関連でも頭を抱えるくらいであった。
 頷く人間ばかりの中でしかし、紅の疑惑は消えないようだ。
「でもさあ、カツ兄ってゲイだろ。しかも父さん似だって理由で麿兄襲われて、鷹兄は逃げ回ってたじゃん。カツ兄が来てからホスト業も励んでるしさ。なのに、いきなり添い寝?」
「鷹兄は人一倍兄弟思いだからね。それに──ギャップのある方が何かと愉しめると思うよ」
 取り皿やそれぞれの箸などをテーブルに用意しながら爽やかな笑顔にキラリと眼鏡を光らせるあおいの科白に、のんがすかさず声を上げる。
「出た! あお兄の新作の予感!」
「難攻不落の鷹兄が落ちる瞬間か──うん、見たい!」
 紅と天も続いて期待を膨らませ麿の一件も相俟って、さぞや濃厚なものになるだろうと話題は夜にこそ相応しい妄想の嵐となった。
 踵をかえしてカッツェは自室へと戻る。
(鷹見兄さん、やっぱり男の人に興味がないんだ……)
 数多の男を渡り歩いてきたカッツェにとって、ゲイかそうじゃないかの区別など容易につく。同性が対象外の男は珍しくもないし、何より、カッツェにとってはどちらも同じであった。今まで相手をしてきた中でゲイよりもノンケの方が圧倒的に多かったからである。異性愛者であろうと垂れ流しのフェロモンに中てられるのか、カッツェが男であろうとあっさりと乗ってくる。そんな中、鷹見だけはそれまでの男たちとは違った。あからさまに避けられていることでカッツェも当初は本当に嫌われているのではないかと思っていたくらいだ。それも当の本人である鷹見より否定はされたものの、それが本心かどうかなど他人には知り得ない。それが今また、兄弟の口より語られたわけだが。
「よかった……」
 ぽつりと自身の口から出た言葉にカッツェは驚いた。
「僕、どうして……?」
 安堵した自身がわからずカッツェは戸惑う。
 そもそも何故、拘ったのか。ゲイだろうとノンケだろうと、好きだろうと嫌いだろうと、カッツェにとっては取るに足らないことのはずだ。他人がどう思うと関係ない。その結果どうなろうと自分に害がなければどうでもいいことだ。住み慣れた世界から飛び出して学ぶことを教わったものの、知らないことを知ることはただ自分が今いるこの世界を知らな過ぎるだけだからだと思っている。
 思い出されるのは鷹見の言葉だった。
──俺は遊びでセックスなんて御免だ。ましてや身代わりなんてナンセンスだっての!
 父親の面影を追っていたのは事実だ。ただカッツェは身代わりにしようと思ってしたわけではなく、結果的にそうなってしまっただけのこと。そもそも身代わりなんてものはカッツェにとってはよくあることだった。誰かの、何かの身代わりで飼われ、気紛れに去るか時に捨てられる。それが当たり前だった。なのに今更になってその言葉が深く突き刺さるのは、他の誰でもない、カッツェに向けられた言葉だからだ。
「みがわりなんかじゃない……僕は、あの人とは違う……」
 ブツブツと途切れながら遡る記憶はモノクロで、爛れても歪んでも一片の狂いなく思い出されて徐々に修復されていく。
 罵声、悲鳴、嘲弄、嬌声。
 傷だらけの裸体で無様に跪いて笑う自分がいる。
 蹴られても殴られても欲しいと啼いて悦び喘ぐ姿がある。
 絶え間なくフラッシュバックする記憶に責められ追い立てられて次第に、深く身体を折り曲げるカッツェの呼吸は荒くなっていく。
 生まれてからずっと、どこで誰と何をしてどう過ごしてきたか、思い出すことは幾度とあった。夜ごと夢にも見る。体内で血が巡るのと同じ、これまでの日常全ての痕跡が身体中にある、染みつき根づいている。
 汚濁と肉欲に塗れていても変わらず笑い続ける自身の姿がフラッシュする中カッツェは、苦痛の意味もそれらを感じる原因もわからず困惑し、歯噛みする口許から声も無く喘いだ。
「あなたはママと同じだから、ママと同じ遣り方でしか生きていけないの」
 弾かれたように顔を上げたカッツェの目の前には、ウェーブの髪を垂らした女が一人佇み、カッツェと同じ笑みを湛えて見下ろしていた。
Claudia……」
 突如として女の両手がカッツェの首を絞める。
「あんたのせいよ! あんたさえ──!」
 憎悪に染まった女の目に映るのは、まだ幼いカッツェの姿だった。
m……mama……」
 髪を振り乱して小さな自身の首を絞める母の姿がカッツェの脳裏に焼きついている。カッツェの身体に、心に深く刻まれている忘れもしない記憶が、カッツェを捕らえて放さない。

「あんたなんか──生まれてこなければよかったのよ!!」

 カッツェはドアを背に凭れて項垂れていた。
 部屋のドア越しに聞こえる、楽しげな話し声に付いてくる笑い声は自分とはまるで違う響きを持っていると、カッツェは何度思ったことだろう。自分にはない響き、自分にはないもの、自分とは違うものばかりがこの家には溢れている。
 カッツェは自嘲の笑みを浮かべた。
 他人には劇的な過去でも、カッツェにとってはただの日常でしかない。自分が見てきた範囲、生きてきた世界しか知らないカッツェにはだからこそ、池仲家で送る日々はひどく夢心地であった。壮絶な過去を背負ってきた分だけ暖かい家族に恵まれた今が現実だとは思い難い。それを寂しく思うことなどカッツェにはなかった。ただずっと現実味のない浮遊感が纏わりついて、足許にある深い闇を見据えるだけであった。

「僕は──ここにいちゃいけないんだ」

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