久多良木文庫
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ML/近親相姦/サークル企画




決別




「ドイツに帰るて、どういうことや!?」
 ドイツに帰ります──と、前触れなく告げたカッツェに対して当惑し思わず声を荒げる月の肩に椎奈が手を置く。
「月兄、落ち着いて」
「カッツェ君、急にどうしたの?」
 間を置かず、あおいが憂慮の面持ちで投げかけた。
 カッツェから話があると言われた、月とあおいと椎奈の三人はダイニングテーブルを前に肩を並べていた。普段と変わりない態度でしかし、改まった様子のカッツェの口から出た言葉に月だけでなく、椎奈やあおいも驚きを隠せないでいる。
 いつも笑顔で何の変哲もなく、いつもの笑顔でカッツェは過ごしていたのだから誰にも予期し得なかったのは言うまでもない。もし何かしらの片鱗があったとすればそれは、この三人だからこそ予想のつくことではあったが。
 微笑を湛えるカッツェの眸には色がなく視線は伏せられたまま、どこか遠くを見るようだ。
「父に会いたくて来ましたが、世界中を飛び回っているみたいですし、いつ日本に帰ってくるかもわかりません。それに……向こうには母のお墓もあって、家族は僕だけです。生まれ育った場所でもあります。だから、やはり慣れたところの方がよいと思うんです」
 口調も声も抑揚なくカッツェが淡々と話す理由には誰も異論を挟めなかった。生まれ育った場所に置き去りとなっている亡き母を唯一の肉親である息子が、そのままにしておけないのは当然なのだ。それがほんの口実だとしても口実を本心として語る、たとえ虚言者を疑う人間はいないし、もっともな理由に納得せざるを得ないだろう。
「カツにいちゃ、どっかいっちゃうの?」
 ソファで眠ってしまった、ぱとの傍で一人遊んでいたはずのリィが椅子に座る、カッツェの服の裾を引っ張る。会話全てを理解できなくても子供は場の空気を読み取る力が大人より優れていて、カッツェを見上げるリィの表情はどこか不安げであった。
「すみません、リィ君。でも、また遊びに来ますよ」
 慰めるようにしてカッツェがやさしく頭を撫でるとリィは忽ち笑顔を見せた。
「向こうへは、いつ?」
 椎奈の問いかけに迷いなくカッツェは答える。
「はい。今月中には」
「家は? 住むとこあるんか?」
「日本に来る前まで、お世話になっていた方がいますから」
 平静に平然と尚も笑顔で終始、その視線さえ合わせないカッツェに月は釈然とせず小さな溜息を吐いた。
 一先ずのところカッツェのドイツへの帰国については月とあおいと椎奈の中だけに留めておいて、日程が決まり次第、他の兄弟らにも伝えようということで話は収まった。

 顰め面を引っ提げた月が鷹見の部屋へと向かったのは、日も傾き始めた頃である。
 池仲家のハイスペック脳である月が想起しわざわざ思案する必要のない、ここ数日間においてカッツェに関連する出来事──もとい、当事者は兄である鷹見以外になかったからだ。
「なんだよ? 月。吃驚させんなよ」
 親しき仲にもなんちゃらなぞいう言葉は池仲家の法にはないが、普段はノックも声もかける月が珍しく礼儀を欠いて更には、不快満面にどかりとベッドへ腰掛けたものだからパソコンに向かい仕事中であった鷹見は一驚した。
 月は鷹見をちらりと窺い視線を落とす。
「出てくて」
「あ?」
「かっつんがドイツに帰るて」
「は? なんで?」
「なんでもクソもあるかい。向こうには母親の墓があるから、故郷やから帰るて、そう言うてたわ」
 スクエア型ハーフリムの眼鏡を外しながら訝しげな表情で訊ねる鷹見に、ますます月は眉を顰めて強い調子で返す。思い当たる節のある月からしてみれば鷹見の素知らぬ態度が癪に障ったのだ。
 月から視線を外して鷹見は呆れたように息を吐くと手にした煙草を銜えて、使い古した飾り気のないジッポーで火を付けた。
「そうか──で? なんで俺が月に怒られんだ?」
 事情は把握したものの怒気の籠った月の物言いには納得がいかず、鷹見は怪訝な眼差しを月へ向ける。
「発端が何を寝ぼけたこと抜かしとんねん」
「俺は何も」
「『帰る』言うたんやぞ。かっつんの家はここだけやのに、ここしか帰る家はないはずやのに……」
「故郷だからだろう」
「それでも家はない、家族もない。帰っても独りやなんて、おかしいやろ」
 一人ではなくても他人とは決して共有できない繋がりが家族にはあるものだ。生きるためであっても、寂しさを紛らせるために誰ともなく縋っても、心にぽっかりと空いた隙間は他人では埋められず孤独に噎ぶ。
 自分はペットだと笑いながら蔑むカッツェが実際にはどんな扱いを受けてきたかなど容易く想像のつくことで、辛苦の表情を浮かべる月と比例して鷹見もまた、目の当たりにしたカッツェの身体中の傷痕を思い起こして顔を歪ませた。
「俺はかっつんの味方しとるとちゃうで? 鷹兄がノンケやあいうこともわかっとるしな。せやけど、こんな形で終わらせてどないすんねん。断るにしろ受け入れるにしろ、自分やったらもっとうまく立ち回れたはずやろ?」
 家族には情の深い鷹見のカッツェに対する態度がゲイであるカッツェにいつ何時、襲われやしないかと危惧して逃げ回っているにしても露骨過ぎて更には、注意したにも関わらず下手な鉄砲を撃ったと月は指摘する。
 月の戒めんとするところが不鮮明なのだろう。茶色鮮やかな眸に疑問の色を浮かべる鷹見を察して、両の膝に肘をつきつつ手を組む月は嘆息を吐く。
「かっつんなあ……俺に、とは本気かって訊いてきたんや」
 驚き唖然とする鷹見は目を見開いた。
 綾もまた池仲兄弟の一男子である。月に対する愛が非常に深く純粋だからこそ熱く滾るそれは、兄弟にさえ嫉妬してしまうほどだ。
「余りにも根掘り葉掘り訊いてくるから、俺も呆れてきつく言い返してしもた」
「あいつ、そんなこと……」
「あおいと椎奈も訊かれたて言うとったわ。ほんまに、らしくないで?」
 頭を抱えるようにして鷹見は、パソコンデスクのスライダーに片肘をつく煙草を持った手を額へと当てていた。
 本気になってみろ──そう嗾けたのは鷹見自身だ。カッツェの様子から言葉の意味もそれがどういうことか理解していないのも鷹見は重々承知の上で、あえて考えさせることでカッツェ自身が知ろうと、思い知ることができればいいと思っていた。そうでなければ意味がなく、気持ちというのは他人から学べるものではないのだと鷹見はよくよく理解していた。しかしまさか、事もあろうに月に対して引っ掻き回すような真似をするとは鷹見も予想していなかったのだから寝耳に水である。
「まあ、俺らがどうこう言うても本人が決めたことやから仕方ない。せやけどなあ、あんな──あんな顔して行かせるんは性に合わん」
 先刻のカッツェの様子を思い出し月はまた眉間に皺を寄せた。笑って送り出せる状態ではないことを察知しているのだ。仕方ないと言っても心まで納得できるはずがない。
「『あんな顔』って、どういう意味だ?」
 弾かれたように顔を上げて鷹見は、部屋を出て行こうとする月の背中に投げかけた。
 怒りやら呆れやら、振り向いた月は憤怒の形相であった。
「かっつんが誰のために必死になっとったか、よう考えろ! 鈍感!」
「おい! 月!」
 力任せに閉じられたドアは大きな音を立てて鷹見の鼓膜を震わせた。
 兄弟のことには良い意味で目敏い鷹見であるが自身のことや関連となると、めっぽう疎く果てなく鈍い。当然に月は──というより兄弟全員──それらを把握しており更には先日、カッツェが熱に魘された原因も勘づいているうえで鷹見に、自分も頭が沸騰するくらい考えろと叱咤したのだ。
 月の捨て台詞に当事者でありながら露ほども気付かない鷹見は懊悩し、その半面、当初よりカッツェへ募らせてきた苛立ちが沸々と起こり始めてもいた。
 鬱積した思いは筋違いどころか勝手な思い込みかも知れず、いらぬ波風を立てないよう鷹見はカッツェと接してきた──避けてきた──つもりではあったが現状、思惑とは確実にマイナスへと傾いている。
 天秤がぐらぐらと揺らいで軋む。対極であっても磁石のように引き合うことはなく、相反する不安定な関係はどちらか一方が滑り落ちるまで、きしりきしりと金切り声を上げ続けるか……それとも。
「俺だって、このままでいいなんて思わねえよ」
 鷹見の銜える煙草の先端から紫煙が空を泳いだ。

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