僕を照らす星
ML/近親相姦/サークル企画
不当な感情、正当な拒絶
ベッド脇のサイドテーブルのライトは頼りなくも、暗闇に沈む部屋で薄く光を放っている。
カッツェはベッドの端に座って両手で抱えるテディベアを眺めていた。
真っ黒でありながら円らなテディベアの瞳を見据えるカッツェの湛える微笑は愁いを帯びて、これまでの幼さは微塵も感じさせない成熟した顔つきをしている。それは池仲家へ来て誰にも見せることのなかった、かつての男たちへ見せていたもう一つの顔。その心根にあるのは孤独と──もしかしたら諦めかもしれない。
テディベアの瞳の奥に見るのはローズピンクに色付いた口元に、鮮やかな笑みを作る母親の細く白い腕。その両手から差し出されたテディベアを受け取る小さな白い手はかつての小さな自分で、大きな眸を不思議そうに瞬かせながらテディベアと母親を交互に見る。
──カッツェのお友達よ。
──おともだち……?
──そうよ。名前を付けてあげましょうね。
当時は『お友達』の意味もわからず小さなカッツェはただ、微笑む母親に倣って笑顔を作り言われるがまま頷いた。
カッツェは両手に持つテディベアを徐に胸へ抱き寄せて僅かに力を込める。
子供時分には大きく思えていた姿も今では容易く片腕にさえ納まってしまうほど小さく、その光景は迷い子である幼少のカッツェをひたすらに、孤独であったと思い知るカッツェが慰めているようだ。
現実と隔絶されたような冷えた静寂では昔日ばかりが甦る。
瞼を伏せて過去に据えるカッツェがふと、白い睫毛を震わせながらゆっくりと瞼を押し上げた直後、部屋のドアを叩く音が室内に響いた。
「はい」
我に返ったように一変して穏やかな表情でドアを見遣るカッツェは、思わぬ訪問者の姿に顔を強張らせた。
「鷹見兄さん……」
徐に視線を逸らして顔を背けるカッツェに鷹見は眉を顰める。
ここ数日、カッツェは鷹見を避けていた。互いの視界に互いの姿さえ入らないよう注意を払い、ひっそりと、しかし違和感なく遣り過ごしていた。ほんの一瞬でも鷹見の目に映り込んでしまうことがカッツェには居た堪れなくて、そんな気持ちに駆られる理由も分からなくて倦ねてばかりいた。
不穏に包まれる中、沈黙を破る声は一層低く怒気を含む。
「出ていくって?」
「はい」
うっすらと口角を上げるカッツェに鷹見は、眉間の皺を深めて苛立ちを露わにする。
「いつ?」
「今月中には」
「行く当てあんのか?」
「お世話になっていた方が、いつでも頼ってくれて構わないと仰っていましたから」
淡々とただ、何の気なしにカッツェは答えるだけだ。
何の問題もない、これが当然の結果だと言わんばかりにすらすらと応答するカッツェの口ぶりは機械的で、貼り付いているお決まりの微笑はマネキンのような作り顔で歪みもしない。
あくまでも冷静に穏便に話をしようと思っていた鷹見であったが世話になっていた男のもとへ戻ると言い切り、自分を一瞥すらしないカッツェにますます腹が立って仕様がなかった。
「また、同じこと繰り返すのか……」
張り詰めた空気にぴしりと亀裂が生じる。
鷹見は拳を握り締めた。
「金持ちオヤジ相手にケツ突き出して、命令されればなんでもするのか?」
「僕はずっと、そうして独りで生きてきました」
怒りもせずにカッツェはただ笑うだけ。
一度噴き出した感情は歯止めがきかず、それどころか怒り心頭に達した鷹見は激昂する。
「お前は……! そうやって楽な方に逃げんのか!? 俺の言ったことも分からねえままおざなりにして、考えたくねえからって! 全部無かったことにして済ませんのか!」
「違います」
「だったらなん──」
「では鷹見兄さんは、どうして僕を止めるんですか?」
カッツェの問いかけに怒りに任せた鷹見の口は止まった。
テディベアをベッドに置いて立ち上がるカッツェは鷹見と向き合う。
「僕がかわいそうに見えた? 同情ですか?」
「違う!」
「では、家族だからですか?」
俯き加減のカッツェの両目は長い前髪に潜んでいて鷹見からは窺い知れない。
カッツェは一体どんな気持ちで、どんな表情で語りかけているのか。明白なのは弧を描く口許だけだ。
鷹見はどうして、言葉に詰まった。畳みかけるようにしたカッツェの詰問は特別難しいものではなく、それどころか鷹見にしてみれば至極簡単なもの。間もなく答えられるはずが自分の中で何か、もっと別の何かがあるような気がして鷹見は戸惑った。
「ああ……そうだ」
それ以外に何がある──そう言い聞かせて口にしても不可解な後ろめたさが鷹見に顔を背けさせた。
思わず示された鷹見の行為はカッツェの目に、『家族だから』という理由を肯定するどころか寧ろ、それさえ否定しているように映った。
カッツェはふっと笑みを溢す。
「家族でも、別々に暮らすことはありますよ」
「それは──!」
「それに鷹見兄さんだって、僕のいない方が安心できるでしょう」
漸く上げられたカッツェの表情に鷹見は目を瞠って怖気立つ。
露わになったカッツェの双眸はガラス玉のように無機質で、伏せられたままなのにその視線は鋭利に鷹見の胸を容赦なく貫いた。鷹見はこれまで見たことのない知りもしないカッツェの本性を見せつけられて、世情に疎く常識も知らず当たり障りなく笑顔でいたカッツェの姿と余りにもかけ離れた、目の前の男が別人に思えた。
愉悦に口許を歪ませるカッツェはフローリングに足を滑らせる。距離を詰められるほど強い圧迫感に襲われて鷹見は喉を震わせ息を詰まらせる。何処を見るでもないカッツェの視線が鷹見の視線と間近に迫った一瞬掠めるように重なり合い、カッツェはただ静かに、立ち竦む鷹見の傍らを通り過ぎて部屋を出ていった。
──それに鷹見兄さんだって、僕のいない方が安心できるでしょう。
薄明かりの灯る部屋に一人残された鷹見は脆い自制心と失態に嘆く。らしくもなく感情的になり、つい、では済まされない残酷な科白を口走ってカッツェを責め立ててしまった。
自分勝手に嗾けておいて追い詰めた挙句、自分勝手に鬱積した思いをぶつけて逆に追い詰められて返す言葉もない。不甲斐ない己に自責の念に駆られる鷹見は後悔する。
「何やってんだ、俺は……」
苦悶の表情を浮かべる鷹見はまた拳を握り締めた。