久多良木文庫
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ML/近親相姦/サークル企画




内なる声




 ホストの仕事上がりであった鷹見は黒い背広にスラックスの装いで深夜一時を回らないうちに帰宅し、寝静まる家内に音を響かせないよう慎重に玄関のドアを閉めた。ムースとジェルでセットされた髪を掻き乱しながら鷹見は部屋に上がらずリビングへ向かうと、既に脱いでいた毛皮のコートを椅子の背に投げ置く。
 明かりを点けたキッチンには食料用として並ぶ二台の業務用冷蔵庫とは別に、飲料用として同じく業務用冷蔵庫が一台置かれていて、鷹見はネクタイを緩めながら飲料用の冷蔵庫から取り出したミネラルウォーターを適当なタンブラーに注いだ。煽るように一気に水を飲み干した鷹見の口から出たのは、疲労のせいではない深い溜息であった。
 ホストとしての鷹見は閉店後も店に残る指名客の相手をするため、帰宅が二時を過ぎることも珍しくない。しかし今日に限っては店長に調子が悪いのを見抜かれ「身体を休めろ」と早めに上がらされたのだ。いつもはきっちりこなす仕事も二〜三日前から気分が乗らずにいたのを鷹見自身も認めていて、「稼ぎ頭の一人が使い物にならなくなったら困るんだよ」と、意地悪く笑う店長の言葉に甘えて帰らざるを得なかった。
 ルポライターとホストの二足の草鞋は確かにきついものの鷹見は、そのぶん体調管理によくよく気を配っている。何より調子が出ないのは病気などでなく他のことが原因だと鷹見本人は知っているのだから。
──それに鷹見兄さんだって、僕のいない方が安心できるでしょう。
 確かにさんざ逃げ回っていたが、それはあくまでも危機回避のためであって嫌っているわけではないことはちゃんと示してある。まさかそれが理由で故郷へ帰ろうなどと思うはずがないだろう。まるでこれ以上踏み込むなと言わんばかりに突き放されたのだ。あれらの言葉と態度がカッツェの本心だとは到底思えなかった。ならば原因は何か……そればかりが気になって鷹見はここ数日仕事に身が入らないでいた。
 タンブラーをシンクの中に置いて鷹見は一旦部屋に上がってからシャワーを浴びて夜食を摂ろうと、キッチンの明かりを消して解いたネクタイと毛皮のコートを手にする。そこでふと、庭へ出る掃き出し窓を覆うカーテンが僅かに開いていることに気が付いた。部屋に明かりが付いたままでは目に留まることもないだろう幽かな光が外から射し込んでいる。
(閉め忘れたのか? 珍しいな)
 火の元は勿論、家中の戸締りも毎日しっかりと確認するあおいと椎奈が真っ先に目に入るだろう、リビングのカーテンを閉め忘れたことは今までになく鷹見は不思議に思って窓へ歩み寄る。
(カッツェ……)
 窓の外には縁側に座って空を見上げているカッツェの姿があった。数日前に高熱を出して寝込んでいた人間が寒空の下いつもと変わらない、ボートネックの長袖の黒いシャツ一枚とジーンズ姿でいることに鷹見は呆れて息を吐いた。
 カッツェとの諍いからこの日まで、鷹見がカッツェと顔を合わせるのは朝食だけであった。一言も話しかけることなく、まともに視線さえ合わせない。それはカッツェも同様であったのだが拒絶によってくっきりと引かれた線はそう容易く越えられず、不条理な怒りをぶつけておいて今更どう接していいものか鷹見は迷っていたのだ。
 鷹見は薄闇に浮かぶカッツェの表情に見入っていた。幼さ残るいつもの笑顔でもない、ガラス玉のような無機質な目もしていない。楽しいのか嬉しいのかも分からないが空を見つめ続けるカッツェの眸はひどく物悲しく見えて、ひどく寂しそうに思えて鷹見は強く惹かれた。
 愛想のいいカッツェの笑顔が作りものだと鷹見が気付いたのは、カッツェが池仲家に来て間もなくであった。口許は笑っていても寸分違わず、目には一寸の感情も籠っていない。プレイヤーとして客に愛想を振り撒く自分とよく似て誰にでも作り笑顔で答えるカッツェが、誰に対しても嘯いて見えて鷹見は徐々に勝手な苛立ちを募らせていった。
 空に見せる大人びた愁いの表情でカッツェが何を思い、何を考えているのか。靄がかかって見えずにいたカッツェの心の奥底を鷹見は無性に知りたくなって、掃き出し窓に手をかけていた。
 カッツェと横並びに鷹見は縁側に腰を下ろし両手を組む。ぽっかりと開くひと一人分の空間は今の、二人の距離感を如実に表すようだ。
 カッツェは鷹見の存在に気付いても見向きもせず、ただ空を見続けていた。ずっと独りだというように、空ばかり見ていた。
「好きなのか? 星」
 鷹見が見上げた遥か頭上には満天の星が輝いていた。秋から冬場の空は空気が乾燥して水蒸気などの障害物もないため、揺らぎもなく星がはっきりと見える。夜はネオンの海に溺れてしまって、ゆっくりと空を見上げることのなかった鷹見には新鮮であった。
「好き……なのかなあ」
 小さく呟きながらカッツェは俯いて視線を下ろす。
「わかりません。好きで見ているのか、どうか……」
 自嘲気味に答えるカッツェが鷹見には、分からないでいる自分を嘆いているように思えた。
 何気なく見ている、なんとなく見ている。そこには少なからず好きな気持ちが含まれているだろうにカッツェは気付かないだけで、だから分からないままだ。
「あの、テディベアは?」
 鷹見は眠るカッツェの腕に抱き締められていたぬいぐるみを思い出す。ボロボロになっても後生大事に持ち続けるそれは具合から見て古く、恐らく子供の頃からの物だろうと鷹見は推測していた。
 カッツェは眉を密かに歪めて更に目を細めた。
「あれは──あれはmamaが僕にくれた、たった一つのプレゼントです。窓のない小さな部屋に閉じ込めて、寂しくないように……何も知らない僕を誤魔化すために与えた、たった一つの親のエゴです」
 そう語るカッツェの眸は揺らいだ。エゴだと嘲る母の忘れ形見をカッツェは毎夜抱き締めていた。縋って、欲して、でも抱き締め返してくれる腕はなくて話しかけても答えてはくれない。求めるだけひたすら空しさを味わっても夜ごと繰り返す。
 カッツェは過ぎ去った日々を回顧していた。一寸前の出来事のように至極鮮烈であるそれは、細胞の一つ一つに浸み込んでいて忘れもしないもの。遡るほどノイズは薄れていき、やがて自身の幼き日の姿が映し出されるとカッツェは、次いでゆっくりと時を進めた。
「ストリッパーなんて仕事をしていた母は同時に、娼婦でもありました。母に限らず、同じお店で働いていた女の人達はみんな、商品以外の何モノでもありませんでした」
──カッツェ、人生はとても短いものなの。明日どうなるか分からない。だからママはいつも笑って、みんなに夢を与えているのよ。そうすればみんな幸せになって、幸せを与えた分だけ自分に返ってくるの。
「それがmamaの──あの人の口癖で、いつも僕に言い聞かせていました。でも、どんな綺麗な言葉で飾っても、していることは結局、身体を売り物にしているという事実なんです」
──あなたはママと同じだから、ママと同じ遣り方でしか生きていけないの。
 だから笑っていなさい──と、母親の言葉は残酷な形でカッツェに根付いている。
 愁いを含めた笑顔で滔滔と言葉を紡ぐカッツェを鷹見は、ただ黙って聴き見据えていた。
「僕が“性”というものを知ったのは五歳の頃です。あの人の面倒をみていた店のオーナーが、一緒になって僕にオーラルセックスを仕込んだんです。あの人と同じようにするために……。その頃にはもう、あの人は正気じゃなかった。ある時、ドラッグの飲み過ぎでおかしくなったあの人は、僕を殺そうと首を絞めたんです」
──あんたなんか、生まれてこなければよかったのよ!!
「本心だったと思います。愛して、憎くて、求めて、許せなくて。どうしようもなかったんだと思います。僕しかいなかったから……」
 カッツェを通して誰かを見ていた母の眸。愛情も憎しみも、その誰かに向けられていた。
「一〇歳になった頃。オーナーと初めてセックスをしました。それを見ていたあの人も、僕のペニスを自分に挿れて、腰を振って悦んでいました」
 あまりの衝撃に鷹見の目は開かれた。
 しかし当の本人であるカッツェは事も無げに話を続ける。
「異性とセックスをしたのは、あの人が最初で最後です。あとはもう男に言われるがまま奉仕して、お尻を突き出して、されるがままのオモチャでした。
嫌がらなかったんですよ、僕は。何が嫌かもわからなかったですし、嫌という言葉すら知りませんでした。求められることの全てに「はい」と答えるように教えられましたから……」
 年端も行かない子供が実の母親から性を躾けられ、強要され、犯される。性的虐待とたった一言で表してしまうにはあまりにも悲惨で、俯く鷹見は顔を歪めて組んでいる両手に力を込めた。
「あれは多分、僕が一二歳の頃だったと思います。教え込まれた一通りのことが身についていました。あの人の望むように──娼婦そのものでした。
ゲイでなくとも、同性に興味のある人はいるものです。寄って集って子供に群がる男たちは、僕には獣でしかなかったけれど……。そんなとき、あの人は死にました。いえ──殺されたんですよ、相手の男に。セックスの最中で、男の方がハイになり過ぎたみたいで。ドラッグも入っていて、あの人の首を思わず絞め過ぎてしまったんでしょう。珍しくはありませんでした。そういう、スリルを楽しむプレイを好む人もいますから。男はすぐに捕まって、処分されました。でも僕は、涙も出ませんでした。それが当然だと思ったから」
 カッツェはゆっくりと空を見上げる。
「あの人のお腹には、僕の子供がいたんです」
 鷹見は弾かれたようにカッツェを見る。
「あれは、もう一人の僕です。生まれてこなければよかった──もう一人の僕なんです」
──ねえ、ほら。わかる? もうすぐママになるのよ。
 カッツェの手をとって、まだ目立たないお腹に触れさせる母の姿を思い出しながら、カッツェはまた足許に視線を落とす。
「あの人がいなくなって、オーナーと二人で暮らすようになりました。行為はエスカレートして、互いにサディスティックになることもあれば、スカトロジーも経験しました。気付けばあの人と同じように、薬漬けにもなっていました。そんな時、見つけたんです」
 カッツェの手には錆びれたブローチがあり、蓋を開くと池仲家の父の写真があった。
「あの人が肌身離さず身に着けていたものです。『Ich werde dich immer lieben』──永遠に貴方を愛する、と、写真の裏に書いてあります。この写真を見つけたとき僕は、あの人はずっとpapaに会いたかったのだと……だから僕を、papaの代わりにしていた」
──なんで俺が親父の代わりに、お前とやらなきゃなんねえんだ。
 鷹見の脳裏を以前に自身の吐いた科白が掠めた。
 全ての愛情を池仲の父に注ぎ込んでいたカッツェの母親は、その結晶である息子には一欠けらの愛情を模したぬいぐるみを与え、愛する人の身代りとしてカッツェを、性によってその心も身体も支配したのだ。
 たった一人の家族であった母親を「あの人」と呼ぶカッツェの痛みが伝わるようで、鷹見は眉間の皺を深める。
 肉親でありながらセックスを強要されて物のような扱いを受け、子供ながらにカッツェの中で母親はただの女として認識されたのだった。それでもカッツェが悍しい思い出しかない、母としての憑代であるテディベアをいつまでも捨てずにいるのは幼心の、自身によるものなのかもしれない。
「papaに会いたくなって、真夜中に家を出た僕は、見上げた空に星が輝いているのを見ました。キラキラしていて、すごく綺麗で……空はこんなに広くて、こんなにも綺麗なんだと嬉しかった。吸い込まれそうなほど真っ暗なのに、負けないくらいにいっぱい、星が光っていました」
 再び空を見上げたカッツェの目は遠く、あの日の星空を眺めていた。
 初めて見る満天に輝く星は、狭い箱に閉じ込められていた幼いカッツェにとって自由の象徴であった。こんなにも綺麗なものがまだ見ぬ世界にはあるのだと、小さな視界に溢れる沢山の星にこれからの自分を願い、独りぼっちの自分を照らしてくれることに感謝した。
「でも、まだ子供の僕には日本へ行くなんて無理でした。どこへ行けばいいのか、どうすればいいのかわからなくて……結局、探しにきたオーナーに捕まって連れ戻されました」
 顔を下ろして何処を見るでもなく、カッツェの双眸は記憶の大海を漂う。
「殴られて、蹴られて、熱くて、痛くて……いつも笑っていなければいけなかったのに僕は、初めて恐怖というものを知りました。涙は出なくて泣くこともなかったけれど、ただ怖くて、ただ痛くて、喚いて──でもあいつは止まらなかった。笑いながら僕を叩いて、笑いながら僕を犯して……モンスターでした。
そのうち、だんだんと慣れてしまって……痛いのも、怖くも思わなくなって、また笑っていました」
 カッツェの白膚に刻まれた夥しい傷痕は、この時につけられたものだ。
「そんな時、僕はpapaを見ました。いえ──papaに会いたい気持ちがあったから、薬の影響もあって幻覚を見たんだと思います。僕はあいつから逃げようとしました。でも捕まって閉じ込められて、それまで以上に叩かれて殴られて、犯されて、また叩かれて……このまま死ぬんだと思いました。あの人と同じところに行くのだと……でももう一度だけ星が見たいなって……そう思ったら──」
 カッツェの目はほんの一瞬間、殺意に滾り、その手を握りしめた。
「気付いたら男は倒れていて、僕はガラスの灰皿を両手に握り締めていました。
僕はすぐに逃げ出しました。走って、走って、必死に走り続けて……でも、スラムを抜けたところで気を失って……気づいたら病院のベッドの上にいました。そのとき初めて僕は、自分の髪が頭の上から半分ほど真っ白になっていることに気が付きました。本当は赤茶毛なんですよ。落ち着いてくれば元の髪色で生えてくるからと、お医者様には言われました」
 少年期でも極度のストレスやノイローゼなどが原因で神経のバランスが崩れてしまい白髪が生えてくることはある。しかしカッツェの場合はそれらの症状が全身に及んでいるほど如実に表れており体毛などや陰部は勿論、頭髪は少しの濁りもなく不自然なほど真っ白で、本来が赤茶毛だとは誰も思わないだろう。なにより未だ疑う余地のないくらい鮮やかな白だということは、カッツェにとって何一つ終わっていないことを知らしめている。
「薬物中毒の治療と、身体の傷が治るまで数ヶ月かかりました。本当にボロボロで、骨にはヒビも入っていましたから。完治するまでの間、リハビリの一環で筋力をつけるためにトレーニングもしました。ちゃんと栄養を取っていなくて、身体の成長も乏しかったらしくて……」
 すらすらと微笑も絶やさず話し続けるカッツェの横で耳を傾けている、鷹見の胸の奥では様々な感情が渦を巻いていた。
 吐き気を催すほどの憎悪と、拒絶という絶対の距離さえなかったならカッツェの腕を取り、その身体を引き寄せ抱き締めてやりたいと思うほどにもどかしさをいだいて鷹見は、険しい表情のまま両手に痛いくらい込める力も無意識であった。
「身体の包帯なんかも取れて、症状も落ち着いて充分に動けるようになった頃。先生が──牧師様のことです。先生が僕を引き取りにきました。教会で説教をしながら孤児院をしていたんです。そこには、僕のように独りぼっちになってしまった子供が沢山いました。みんなが僕を歓迎してくれました。先生は子供たちに読み書きも教えていたので、上の子たちが何も知らない僕に読み書きを教えてくれたりして、優しくしてくれました。でも……夜になるとみんな震えて、怯えるんです。先生がやってきて、名前を呼んで、呼ばれた子は泣きながら先生に手を引かれて部屋を出ていきました。僕にはすぐにわかりました。先生はペデラスティだったんですよ。町の人たちは先生を善い人だと口を揃えて慕っていたけれど、でも実際は、引き取った子供を食い物にする性欲と金の亡者でした。孤児院から子供を引き取るのはお金持ちばかりで、表向きは善人でした。でも裏では、先生とお金のやり取りをしていたんです」
「それって……」
 驚愕の表情で思わず訊き返した鷹見に、笑みを浮かべるカッツェの横顔は苦みを含む。
「人身売買ですよ。僕も売り買いされました。先生の孤児院は、お金持ち御用達の牧場だったんですよ。先生はお客に売る前に僕たち商品を躾けるんです。その過程で自分も楽しんでいました。僕は慣れていたので、やはり笑って、相手をしました。お陰で優等生だと褒められて、孤児院へ来て間もなく買い取られました。僕が売られた先はイギリスの大きな邸宅で、飼い主は金に物を言わせるエゴイストでした。僕はそこで、ヒトではなくペットの扱いを受けました。お手やおすわり、食事は皿に盛られても床の上で、僕はそれを這い蹲って食べていました。自分や飼い主の排泄処理も口でやらされました。奉仕しろと命令されればやめろと言われるまで舐め続けて、尻を出せと言われれば満足させるまで腰を振った。時折開かれるパーティでは、集まった男たちに身体をぐちゃぐちゃにされました。それでも僕は、笑うことしか知りませんでした。それが当然だから、嫌という感覚は少しもありませんでした。求められれば求められるだけ身体が動く。事実、僕は悦んでいましたから……。そこには数年──一八歳になるまでいたと思います。誕生日というものが無かったので年数を数えただけですが、それくらいだったと思います。一六歳の頃に言われたんです。『もしも自由になりたいのなら、自分の命の分だけ金を稼げ』と……。やりました、勿論。やるしかありませんでした。父に会いたいという気持ちは変わりなかったですし、なにより、星が見たかったんです。どこにいても夜は、こんな風に空を見られなかったから……だからあの人と同じように、何人──何〇人も男を誘いました。僕にはもう──生まれた時からずっと、考えるなんてことは必要ありませんでしたから。何をされても気持ちいいと感じるようになっていたし、一心不乱でした。買い取られた金額に達した時、飼い主は約束通り僕を自由にしてくれました。飽きもあったのだと思います、僕が成長し過ぎたから。
でも、自由になってあらためて思い知りました。僕は、世の中のことを本当に何一つ知らないのだと……」
 閉じられた世界で身体と性ばかりが成長し半面、思考と精神は未熟で一人では身動きが取れず、そこにつけ込むヒトからヒトへ拾われて蹂躙される生活。飼われることが当然だと認識するカッツェは一方で自由を求め、結局は外側の世界を目の当たりにして戸惑う自身を嘆く。
「それからもずっと、同じことの繰り返しでした。媚を売って、何をされても笑って応えるだけのペット。あの人の言ったとおり僕は、あの人と同じ生き方しかできない。景重さんに出会っていなければ、僕はずっと何も知らないまま、あの人の世界で、あの人と同じ生き方をしていたでしょうね」
 母親に植えつけられた“生き方”はカッツェを蝕み、それなくして存在し得ない生き物にしていた。
「日本に着いて、この家にきて、父には会えなかったけれど家族に会えて……一緒に過ごしていく中で僕は、やっと自由になれたのだと思いました。毎日が楽しくて、みんな優しくて。男としての父に興味があったのは本当です。そうでなければ、麿兄さんに乗ったりもしません。そういう生き物ですから、僕は……」
 カッツェは何度目かの自嘲を溢す。箍の外れた本能はカッツェ自身では制御できない。それがカッツェの生き様であり、存在価値であった。
「この家にきて僕は、沢山のことを知りました。そうして気づいて、新しく知っていけばいくほど、自分はおかしいのだと思い知りました。あの人のしてきたこと、僕のしてきたこと、生き方も全部、間違いだらけでおかしいのだとわかりました。それでも、僕の身体中に染みついているものが消えるわけではないんです。そうしてずっと生きて、僕を作ったものだから……だから、もったいないんですよ。僕には、ここは綺麗過ぎて……もったいない」
 カッツェの眸は切なく揺らいだ。本当はずっと欲しくて堪らなかったもの。縋りついてでも手放したくない溢れんばかりの愛情なのに、広がる矛盾の溝を埋める術をカッツェは持っていなくて耐え切れずに踵を返す。逃げるつもりはない、戻りたくもない。だが自由であるほどカッツェは孤独感に苛まれ続けるのだ。
 カッツェは徐に立ち上がった。
「ありがとうございました。それと、迷惑をかけてしまって、すみません」
 釣られるように顔を上げて鷹見は自身を見下ろすカッツェと視線を交わす。
「おやすみなさい」
 再び顔を伏せる鷹見の前をカッツェの影が通り過ぎていく。返す言葉もかける言葉もなく鷹見は、パタンと呆気なく閉じられた窓の向こうに消えるカッツェの姿を、振り向くことも出来ないその背中に感じていただけであった。
 鷹見の見上げたカッツェの口許は変わらず弧を描いていた。しかしその眸だけは悲しみも辛さも、寂しさも全部呑み込んだカッツェの心を映し出しているようで、涙はなくても泣いているように鷹見には思えた。
「頼むから、そんな顔すんな……」
 鷹見は歯噛みし、片手で頭を抱えた。知りたいと思った真実はあまりに重く鷹見に圧しかかる。下手な綺麗事など一切通用せず、生半可な気持ちで慰められるものではない想像を絶するカッツェの生き様が、鷹見を捻じ伏せ阻んでいた。

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