僕を照らす星
ML/近親相姦/サークル企画
特別なヒト
暗がりの自室でカッツェはシーツに包まった片膝を抱えていた。
外は降り頻る雨と雲に覆われていて、物悲しく泣き濡れる空には一粒の星も見えず、まるでカッツェの心を見透かすようだった。
鷹見と話しをしてから──いや、その前からカッツェの心は鷹見のことばかりであった。何をしていても、誰と話していても、星を見ている時でさえ鷹見の姿がある。それが何を意味するのかはじめは分からなかったが、急速に震える心がその答えを示してくれた。
(僕は、鷹見さんに知ってほしかった。どんなに汚くても、間違いだらけの僕でも──軽蔑されてもいいから鷹見さんには、全部知ってほしかった。もう遅いけど、これが最後でもいいから、わかってくれなくてもいいから僕を見てほしかった。だって鷹見さんは、誰も教えてくれなかったことを僕に教えてくれたから……)
カッツェと鷹見の違いは蓄積されたカッツェの本心を引き摺り出し、自覚させ、決別を選ばせた。だが皮肉にもそれによってカッツェは、自分にとっての特別な存在を知ったのだ。
「僕は、鷹見さんが好きなんだ」
好き──その言葉だけでカッツェの胸は高鳴る。
池仲家にきて短い間、沢山の兄弟らに囲まれて過ごした日々はそれまで得られなかったもの全てが詰まっていた。誰もが優しく情も豊かで、カッツェがどんな人間であろうと変わらず接してくれて、声をかけられるたび、名前を呼ばれるたびにカッツェは自分が一人の人間として存在していることを感じた。
二年前、嵯峨景重と出会うまでカッツェは、まともに名前を呼ばれることさえなかった。男が変わるたびに名前も変わりベッドの上では相手が望む人間を演じて、いくつもの自分を作り上げていた。元々カッツェという名前も飼い馴らされ続けるだけの意味しか持たないものだ。そうして失ってしまった本当の自分を、知ることのなかった「カッツェ」という人ひとりの自分を、池仲家にきたことで徐々に形作り始めていた。だがその半面、過去の柵はカッツェを締めつけて逃さなかった。変わろうとすればするほど食い込んで、過去の自分の姿を見せつけられて喘ぐ。目を閉じて耳を塞いでも過去の自分は許さずカッツェの頭を掴んで、居場所なんかないと耳元で囁き嘲笑う。
──逃さない。許さない。壊れるまで、狂うまで。
取り巻く過去の軌跡を何度砕いて粉々にしても足許に散らばる破片はカッツェを捉え続け、絶えず繰り返し現実を見せつける。一人の自分を殺しても一人の自分がまた笑う──その繰り返しだ。
未練などない。未練というものを感じる器官も未練がどんなものかもカッツェは知らない。後悔もないのだから当然だ。ただこれまでの自分から孵化しようとする自分がいて、その変化に気がつかなくともリアルの重圧に耐えられずに知らないまま恐れを抱いて殻の中に留まろうとする。忘れないのではない、忘れられないのでもない。過去の自分が許さないのだ。
そんな中でカッツェは兄である鷹見へ特別な感情を抱いた。ぽっかりと空いたカッツェの心の中心に生まれた、兄である鷹見への気持ち。
──誤解させたみたいで、悪かった。でも、お前のこと嫌ってるってのはねえから、さ……。
──身代わりだとか身体目的とかじゃねえ、本気になってみろってことだ。
──お前は……っ! そうやって楽な方に逃げんのか!? 俺の言ったことも分からねえままおざなりにして、考えたくねえからって! 全部無かったことにして済ませんのか!
好きだと自覚してから鮮明に映し出されるその姿にカッツェの胸は熱くなるのと同時に切なく締めつけられる。
できることなら、ずっと傍にいたい。いつまでもその声を聴いていたい。もっと近付きたい、触れたい。
これほどの熱情を持ったのはカッツェにとって生まれて初めてのことだ。抑制の仕方も知らず戸惑い、昂る気持ちに煽られて熱くなる身体を持て余すばかり。
興奮を覚えたことはいくらでもある。でもそれは男が自分の思いの通りに自分のセックステクニックに溺れて、理性を失いただの獣に成り下がる様を眺めている時だ。それ以上──それ以外の興奮というものは知らない。「好き」というだけで欲情してしまう今の自分が正常なのかもカッツェには分からない。ただ一つ明確なことは鷹見に対して生じているそれらの欲情は決して叶わないということ。自分はもう汚れてしまって溝泥の中で身体は腐蝕し続けている。見開いた現実も真っ暗な世界が広がって行く先さえ見えない。いつだってそうだ。何かを目指すでもない、何も見えない、自分には何もない。それが当然で、恐れも、寂しさも、虚しさも何もなかった。何も感じなかった。そのはずだった。家族と呼べる人たちがいて初めて──そう、たったひとりの特別な人も。皆で温かい食卓を囲んで、分からないことは教え合って、心配し合って、いつも笑顔に溢れていて、優しさだとか喜びだとか。
そして募る孤独と今は寂しさがある。
カッツェは両膝に顔を埋めた。
子供の頃に感じたどうしようのないもの。あの時のカッツェはただ星を求めていただけだった。今は見ようと思えばいつでも見られる空の下にいる。朝も、昼も、夜も。
何も無かったころに戻るだけだ。何も感じなかった、何も知らなかった頃に戻るだけだ。初めから何も持っていなかった自分が、ほんのひと時でも穏やかでいられたことの方が有り得なかった奇跡なんだ。
これでいい──そう思うのに、離れようとしても光溢れる世界を振り向いて足は動かないままだ。
「鷹見さん……」
「なんだ?」
答える声にカッツェは弾かれたように顔を上げた。
「鷹見、兄さん……どうして?」
「ノックはしたし、声もかけたぞ」
何の気なしに答える鷹見に反してカッツェはただ驚くばかりだ。前日に顔を合わせたばかりだというのに、夢を見ているのではないかと自身の目を疑うカッツェは、またこうして鷹見と話せる時がくるとは思いもしなかったのだ。
自分がどんな人間か分かっているはずなのに……。
茫然と見上げてくるカッツェに、歩み寄る鷹見はその腕を取る。
「冷え切ってんな」
顰め面の鷹見に取られた腕から伝わる温もりにカッツェは更に戸惑う。
「あ、いえ……僕はもともと、冷え気味で」
「そのくせ素っ裸で寝てんのか」
「すみませんっ……」
呆れる鷹見の言葉にカッツェは慌ててベッドサイドに置いてある寝衣を着込む。
昔から寝る時は裸でいるカッツェだったが一度熱を出して以来、風邪を引いてはいけないからとあおいが鷹見から使わない寝衣を借りていてくれたのだ。それでも着用しなかったのはカッツェにとってそれが当たり前だからだろう。
カッツェが寝衣を着込んでいる間、鷹見は顔を背けていた。兄弟だからと言ってヒトの──まして男の身体をまじまじと見る趣味もなければマナーでもあるが、カッツェの身体に残る生々しい傷を見ると沸点を超えてしまう自分の感情を抑制するためでもあった。
「別に謝らなくていい。そっち詰めろ」
寝衣を着たカッツェの背に声をかけつつ端へ追いやる鷹見はベッドへと潜り込む。
カッツェは目を瞬いた。
「あの、」
「寝るんだろう。ほら、早くしろ。俺が湯冷めする」
「え? あ、はい」
鷹見の意図が不明のままカッツェは急かされて鷹見と向き合う形で横になる。拒絶という選択肢がないのは従順でいることを教え込まれたカッツェの性質によるものだが何より、鷹見の様子がいつもと違って見えるためでもあった。何がどう、と、説明できるほど明白ではないもののカッツェには充分だった。しかし鷹見と目が合った途端カッツェの心臓は跳ね上がり、目の前の視線から逃げるようにして顔を伏せてしまう。
(どうしよう……)
洗い浚い一方的にあんな話をしたあとだというのに、鷹見の方から接触してきたことにカッツェは動揺を隠し切れない。
誰が見ても分かるほどに、珍しく戸惑うばかりのカッツェの身体を鷹見が腕枕をする腕ともう一方で引き寄せると、びくりと震えるカッツェの身体はますます強張った。
静まり返る部屋の中でお互いの鼓動が聞こえそうなほどの距離にカッツェの緊張は増していた。触れられている箇所は熱く、思わず抱き締め返してしまいそうになるくらいに身体の底からは欲の熱が溢れてきていて、強く目を瞑るカッツェは必死に理性を保っていた。
好きなのに触れられない、触れてはいけない。カッツェの心も身体も、鼓動ひとつも鷹見を求めて鳴いているのに、それを許さない自分がいる。
初めての感覚だった。今まで男と見れば見境なく欲情し、誘って、一時の快楽でも求めてきたというのに、何よりも欲しいと求めている相手を前にしてカッツェは恐れていた。人を好きになることはこんなにも切なく、近づけば近づくほど怖いと思う。苦しくて、もどかしくて、吐息ひとつさえ震えた。
「本当に行くのか?」
唐突に頭上から降る声音にカッツェは、きつく閉じていた瞼を押し上げる。僅かに顔を上げた間近に鷹見の顔を捉えると居た堪れなくて、答えることも出来ずにカッツェはまた顔を伏せた。
「なあ……」
無言のままのカッツェに語りかけるようにして鷹見は言葉を紡ぐ。
「ここは大家族で、一日中なんかしら煩くて落ち着かねえけど……だからこそ、寂しいなんて思わねえだろ? お前だって『毎日が楽しい』って、そういう気持ち感じたんだろ? だったら、それだけで充分いる意味があるじゃねえか」
優しく諭すような鷹見の声がカッツェの心に一滴の波紋を描く。
ずっと孤独だったはずだ。母親がいた時も、飼われていた時も、獣のような男らに群がられても満たされるのは身体ばかりでカッツェの心は空虚なままだった。誰も自分を求めてはいない。身体さえあればたとえ自分でなくても誰も構いはしない。跪いて、啼いて悦ぶだけのただのペット。カッツェ自身もそれで充分だった。それしか知らなかった、考えたこともない。考える術さえ持っていなかった。思考なんてものは男を悦ばせるためだけにあるようなものだったからだ。孤独も、虚しさも、寂しさも。楽しいと思う気持ちさえ、知ったのは池仲家に来てからだ。考えることも、感じることも、心があることも。自分が人間であることさえ──。
「俺の体温、わかるか?」
「はい……」
「温かいだろ?」
「はい……」
「お前がここにいるってことだ」
はっとするカッツェの顔が歪み、視界が滲む。人の体温がこんなにも温かいものだとカッツェは今まで知り得なかった。身体を重ねることはいくらあっても温もりをくれた人など一人もなく、誰もがただ欲の捌け口にカッツェの身体を弄ぶだけで愛情を感じられることは僅かもなかった。
母親でさえくれなかった温もりがある。こんな、汚れた自分を抱き締めてくれる腕がある。
小さく震えるカッツェの身体を鷹見は一層強く抱き締める。
「楽しい時は大声で馬鹿みたいに笑え。辛い時には辛いって言え。泣きたい時には、我慢しないで思いっ切り泣いていい」
誰も教えてくれなかったこと、誰も言ってはくれなかった言葉。
ぽろぽろとカッツェの目から涙が零れる。
涙なんて知らなかった。涙を流せるヒトはいても、自分にもあるとは思わなかった。いつも、ただ笑っているだけで……それが全てだとカッツェは思っていた。
鷹見の言葉一つ一つがカッツェの心に、涙と同じようにぽつりぽつりと染み渡る。
「俺だって、いつでもこうやって添い寝してやる。分からねえことがあったら何でも教えてやる。見たいものがあるなら何処だって連れてってやる。夜になったら一緒に、一緒に星を見るから……だから、ここにいろ」
とめどなく溢れてくる涙を止められず、初めて流すそれをどうしようもなく、カッツェはただ泣き続けた。
涙というものは悲しい時に流すものだということだけは知っていたが何故、悲しくもないのに出るのかまではカッツェには分からない。それでもいい、理由などなくてもいい。分からなくても、その涙が知っている。
そんな、子供のように小さく身体を丸めて嗚咽を漏らすカッツェの頭を鷹見は、大丈夫だと宥めるようにカッツェが泣き疲れて眠るまでずっと撫で続けて、無垢なその涙を受け止めていた。