久多良木文庫
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Lovers Tale

BL/ML/ラブコメ短編集




紳士な上司 都谷左京の場合




 ヴァルールのデザイン部は大きく分けてエディトリアルデザインとグラフィックデザインがある。エディトリアルデザインというのは、新聞、雑誌、書籍などの出版物のデザインを指す言葉で、文章量の多い編集記事の内容を読み易く且つ解り易くするための紙面を構成するのが仕事だ。グラフィックデザインというのはまさにエディトリアルとは逆のことで、所謂、外観のデザインを指す。企業のカタログ、パンフレット、ポスターなどの販促ツールは勿論のこと、新聞や雑誌の広告などの制作が主となっている。企画からデザイン、コンセプトの構築から表現までトータルで行い、ホームページなどのウェブ制作も手掛けている。
 デザインの基礎すら知らないまだまだ勉強中の身の上の俺の仕事は主に雑務。それでもチームリーダーである飛鷹さんに常時張り付いている状態なので、チーム内の人も気を遣ってくれているようで、申し訳なく思うものの色々と教えてもらえて非常に助かっている。雑務一つにおいても勉強であり、今の俺にはそれが最優先事項だった。
 ただ一つ問題があるとすれば、それは──。
「あれ? どこだっけなあ……」
 大小とある段ボールの中を草の根を分けるようにして両手で探る。
 勉強の傍らで当たり前のように世話係である飛鷹さんは俺を小間使いする。仕事関係は勿論のこと全く掠りもしない事柄まで、小さいことから大きいことまでなんでも。まあ嫌味ではなく寧ろ総務にいた時と余り変わりがないので遣り易くはあった。つまり飛鷹さんからの言いつけで俺はこうして、腹を空かせたお昼前に資料庫なんてのは名ばかりの、整理整頓とは無縁のまるで惨憺たる状態にある倉庫に来ているのだ。
 資料庫には過去に扱ったデザインや没になってしまったもの、仕事に必要な資料などが所狭し適当に山積みにされていた。その中を背広を脱いでシャツの袖を捲り、見つかるかも解らない物を懸命に探しているわけなのだが……あまりの惨状に手のつけようもないのが本音だった。
「あーもう……こんな狭い所に無理矢理詰め込むから探せないんだ。下手したら今日一日、片付けだけで終わるかもなあ」
 一人っ子だったせいか、社会人になっても相変わらずの独り言が愚痴を交えて口を吐く。疲労と途方に暮れる俺は棚に凭れながら、僅かに空いたそのスペースにしゃがみ込んだ。
「腹減った……」
 なにも最初からこの惨状だったわけじゃない。当初はちゃんと整理整頓がなされていたらしく、その名残も目に付く。しかし取り扱うものが増えると整理の手は追い付かず、しまいには暇もなく現状に至る。俺はちょくちょくこの資料庫に来ては数あるデザインや資料を眺めたりしていた。そのたび、地道に整理整頓もしてきたわけなのだけれど……何故か訪れるたびに元通りになっている気がする。
 腕時計に目を遣ると既に三〇分近くは探していた。しかも誰も探しに来ないところを見ると、この有り様は予想通りというわけだろう。
「仕方ない。もう少し粘るか」
 重厚な嘆息を吐いてから立ち上がる俺は、捲っていた袖を改めて上げて気合いを入れ直した。
 数分足らずでやっぱり掃除も同時進行で遣らなきゃ収拾がつかないと、いつの間にか俺は本気で片付けを始めていて、気付けば一時間以上を資料庫の中で過ごしていた。一度遣り始めると止まれないのが、俺の長所であり短所でもある。
「あとは……この上だな」
 俺は床に散らばっていた物や無造作に棚に置かれていた物をなるべく、取り出し易いよう何が入っているか解るようにして、段ボールなどに纏めたりしながら一先ずの空間を確保した。お陰で埋もれていた脚立を使えるようになり、自身のタッパだけでは届かない棚の上を探ることも可能になった。探し物が下にも目線の棚にもないとなると、残るは更に上しかなかったからだ。
 小さい脚立に乗って俺は棚の上を探り探り。埃まみれのために咳き込みながら慎重に邪魔な物を除けていく──と言っても、こっちもこっちで段ボールが並んでいて、その中身はデザイン部のこれまでの軌跡であろうとまるでゴミ箱状態だ。
「こうなるって分かってたら予防策にマスクでも持ってきたっていうのに……しかし本当に誰も来ないなあ。こういうのを放置プレイって言うんじゃなかろうか──っと。いや、ありうる」
 以前に扱った仕事のデザインを確認したいって飛鷹さんは言っていたけど、何かしら頼まれた用事を終えて報告した時には頼んだ当人の頭の中からその情報はすっぽりと消えていて、寧ろ俺が説明する立場になるのだ。教えてもらっている立場で言うのもなんだが、飛鷹さんが真面目に仕事をしている姿なんて数える程度しか見たことないし、性格上、営業向きなんじゃないかと思う。話し上手で愛想もよくて、顧客にも相当気に入られているようだし。それでもデザイン部で必要とされ重宝されているのは、あの天啓とも言えるセンスによるものだろう。 
「んー……あ!」
 あった!──と、叫ぼうとした矢庭。数回のノックと共に資料庫のドアが開いた。
「都谷さん?」
「ここにいたのか。姿が見えないからどこに行ったかと──」
 都谷さんは入ってくるなりそう言いつつ──俺の気のせいじゃなければ、安堵したというような表情をしていた──見渡す辺りに驚きの声を上げた。
「これは、鷲原がやったのか?」
「え、はい。探し物が見つからなくて、足許が邪魔だったんです。そしたらそのう……途中でやめられなくなってしまって」
 自分で言っておきながらまるで仕事をサボっている言い訳のようで、あはは──なんて乾いた笑いと共に顔が引き攣った。
「それより、都谷さんはどうして? 僕に何かご用ですか?」
「ああ。頼みたいことがあったのだが……忙しそうだな」
 再度周囲を見る都谷さんは苦笑と共に言葉を濁す。確かにこの状況は百歩譲っても手が空いているとは言えないが、慌てて俺は否定した。
「いえ、大丈夫です! 少し待って下さい!」
 ようやっと見つけた探し物に手を伸ばしたまま苦しい体勢だった俺の、自ら発した今の科白には説得力の欠片もない。それでなくとも、あろうことか都谷さんを見下ろしている状況なのだ。こっちの事情はどうあれ上司に対して失礼に値すると、俺はデザイン画の入った段ボールを手に改めて向き直ろうとして、腕を下ろし足許を動かした。
「うを!?」
「鷲原!」
 がくん、と、俺の視界は急直下し、次には天井を仰いだ。
 狭い足場が災いして見事に足を踏み外した俺の、咄嗟に体勢を立て直そうとした無駄な足掻きによって足許の脚立が倒れ、虚しく床へと落ちる俺の身体は周囲の段ボールをも巻き込み壮絶な音を立てた。
「あ……っだあ」
 衝撃に頭がくらくらする。目が回って酔っている感覚だ。落ちていくその一瞬だけ俺の思考は突然の停電のように遮断され、自分の身に何が起こったのか把握するまで多少のラグが生じた。
 ただ脚立から落ちただけなら良かったが、手に持って下ろした筈のデザイン画の箱は中身をぶちまけて俺の足許に転がっていた。その上、中途半端に下ろし損ねた俺の腕は棚の上の物を盛大に撒き散らして、何ヵ所かに綺麗に纏めておいた諸々のデザイン画や資料も落ちたと同時に下敷きにしてしまい、長時間費やした苦労は一瞬で水の泡となったわけだ。
 状況を把握して俺は片手で視界を覆って項垂れた。
(今日はもう散々だ……ここまでくると、御神籤で大凶を引く自信がつくっての)
「大丈夫か? 鷲原」
(しかも選りにもよって都谷さんの前でこんな失態晒して、情けなさ過ぎて顔を上げられないどころか、目の前に穴があったら入りたい……)
「おい。どこかぶつけたのか?」
 一人で勝手に落ち込みまくる俺の顔は、知らず伸ばされたその手に突然顎を掴まれて、半ば無理矢理に横を向かせられた。
「あ……え、あれ?」
(なんか、体勢がおかしいような……?)
 都谷さんの顔がいつもと同じ上にあるにはある──が、それがどうやら俺の後ろから覗いているのだ。それに俺の顔を掴んでいる都谷さんの手も後方からで、腰にはもう一つ腕の感触がある。というか今更だが、脚立から落ちたわりには余り痛くなかった気がするし、それどころか背中とか妙に温かくて心地がいい。
「おい、鷲原? 本当に大丈夫か?」
 心配そうな面持ちの都谷さんが更に顔を近付けてくる。本当に端正な顔立ちをしているなあと、見蕩れる間もなかった。
「はっえ!? いやっあの、すすすみません! なんか足を踏み外してしまって──」
 カオスな現状を認識した俺はパニックに陥りつつも身体を引く──が、顔を固定されている上にしっかりと腰も都谷さんに抱き込まれたままだった。
 果たして都谷さんから伝わるものなのか、掴まれている自分の顔がやけに熱く感じて俺は、苦し紛れに目を伏せた。
 都谷さんの冷静さが余計に俺の羞恥を煽る。他意がないのは分かっていても、全てを見透かすようなこの鋭い眼差しに真っ向から見つめられると、何もなくても後ろめたさを感じてしまうし身体は強張って動けなくなるんだ。冗談でもなんでいいから、せめて笑い飛ばしてほしいと俺は心の中で縋った。
「いや。どこも怪我をしていないのならいい、気にするな」
 都谷さんは俺の下顎と腰を掴んでいた手を放すと、見上げる先で優しく微笑んだ。
 こんな近距離での都谷さんの百万ドルの笑顔(死語)は男の俺から見ても、言わせていただきますと核攻撃並みの破壊力を誇るわけです。
「都谷さんは大丈夫ですか!? 怪我とかしていませんか!?」
 俺は慌てて立ち上がり都谷さんを振り返る。背にした棚に片手を掛ける都谷さんはすっと立ち、腰に手を当て伸ばすようにしながら身体を反らした。
「私なら大丈夫だ。それどころか、驚かせてしまったようだな」
「いえっそんな──俺が勝手に落ちただけですから! 助けて頂いて、有難う御座います!」
 深々と頭を下げる俺は自分の顔が諸々の事情相俟って更に紅潮していくのが解って、頭上でくすくすと笑う都谷さんが声を掛けてくれるまで上げるに上げられなかった。
「それで、一体何を探していたんだ?」
「あ、と、飛鷹さんに頼まれた資料を探していたんです──けど、どこかいってしまいました」
 見渡すまでもなく現状は惨憺たる有り様。元の状態より悪化しているのは一目瞭然だった。
「すっかり元通りになってしまったな」
「ですね……ははは」
 もう、笑うしかないよな。
「よし。やるか」
「へ?」
 予想外の都谷さんの科白に俺は間抜けな声を発していた。
 隣を見遣ると都谷さんはいつのまにか脱いだ背広を詰まれていたダンボールへと置いて、両腕の袖を肘まで捲り上げていた。
「あの……都谷さん?」
「君のことだ。止めたところで無駄だろうからな」
「でも」
「癖のある彼を宛がった私にも責任はある。それに、これでも君の上司だ」
(ど、うぇ……っ! かっこよすぎるってえ!)
 実は分かっていてやっているんじゃなかろうかとも思ってしまう。一連の仕草というか、見計らったようなその微笑も全て故意だとしたら、隠されているだろう都谷さんの本性に好奇心を抱いてしまう。いや、他意はない。断じて!
 結局、恐れ多くも都谷さんの手を借りて俺は、目的の物を無事に手に入れることができた。もう何度目か、深々と頭を下げる俺に都谷さんは変わらず紳士で、後々予想通りの大呆けをかましてくれるだろう飛鷹さんにげんなりしようとも、お陰で救われる気がした。
「待った。少しじっとしていろ」
「え?」
 背広を脇に抱えつつデザイン画の入った段ボールを両手に担いで顔を上げる俺に都谷さんは、スラックスから取り出したハンカチを持つ手を俺の顔へと伸ばす。
「真っ黒だ。後で洗うといい」
「は……はい。有難う御座います」
 俺の頬や鼻の頭に付いているのだろう汚れを拭う都谷さんは笑顔で、耐え切れず俺は目を伏せていた。
(やっぱり素でやってるかも……)
「どうかしたか?」
 明らかに挙動不審な俺の様子に訝しんだのだろう都谷さんに問われ、気恥ずかしさに追われていた俺は言葉に詰まる。
「いえ、あの……」
「ん?」
(うっ……)
 あくまでも優しく促すような都谷さんの眼差しにますます俺は委縮する。まさか都谷さんが男前過ぎるから、なんて言えないし、俺自身なに考えているんだって思う。実際かっこいいから間違いじゃないけど、男の俺が本人を前にしてそんなこと思っているなんて知られたら気持ち悪いって思われるに決まっている。だからといってこのまま何も言わないのも変だし──俺にどうしろと!?
「え──」
 悶々とする俺は不意に首筋に温かな感触を捉えて顔を上げた。
「すまない。具合が悪いのかと思って」
 俺と目が合った都谷さんは伸ばしていた腕をゆっくりと引っ込める。
 耳の後ろ辺りを触れるのは俺が子供の頃、母さんが熱を測る時によくやってくれたことだ。それを都谷さんにやられるとは思ってもみなかったけれど……離れていくその手が名残惜しそうに見えるのは俺が、都谷さんの優しさに浮かされているせいだろう。
「少し熱があるようだが、大丈夫か?」
「あ──と。お、僕平熱高めなんで、大丈夫です!」
 心配そうな面持ちの都谷さんに俺は慌てて答えた。咄嗟にしても苦しい言い訳だったが、身体を火照らせる理由が都谷さんだなんて言えないし、俺だって有り得ないと思っている。男が男にそんな……発情するなんて有り得ない。そりゃ発情はする、俺だって男だ。AVだってエロ雑誌だって観るんだから。でもそれは女相手であって男モノを観る趣味もなければ俺はゲイじゃない。だからこれは、何かの間違いだ。
「そのようだ」
 そう微笑う都谷さんに俺はまた羞恥を煽られ、今にも口から飛び出しそうなほどの動悸に見舞われた。

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