Lovers Tale
BL/ML/ラブコメ短編集
紳士な上司 浅見佐智の場合
「お疲れー」
「お疲れーっす」
定時を過ぎた部署内でそれぞれが帰り支度を始める中、外出先から直帰予定の都谷さんに電話連絡で残業許可をもらっていた俺は、帰宅する同僚たちの挨拶に答えながらパソコンを前にマウスを操作しつつキーボードを叩く。
「お疲れさん」
「梶さん、お疲れ様です」
背中越しに肩を叩かれ、振り向いて俺は頭を下げた。
梶さんは別チームのリーダーだが、分け隔てなくこうして気遣ってくれる。
「残業か?」
「はい。これだけでも終わらせて帰ろうと思って」
「ヨシに扱き使われてるなあ」
同情の声に俺は苦笑う。入社からの飛鷹さんを知り尽くし長年同じ部署にいる梶さんに言われると、他の誰に言われるより嬉しく感じてしまう。
「明日もあるんだ。あまり無理するなよ」
「有難う御座います」
もう一度挨拶を交わして俺は梶さんの背中を見送る。
爽やかな梶さんの姿は三七歳というにはいい意味でそぐわず若々しくて、とても二児のパパとは思えない。しかし踏まえると似合い過ぎて、愛妻家の子煩悩であることは周知の事実。アフターの付き合いがない日は真っ直ぐ帰宅するそうな。
(梶さんに教えてもらってたらなあ……)
梶さんに声を掛けられる度に飛鷹さんと比べて、叶わぬ切望に俺は嘆息を吐くのだった。
余分な照明を消した部署内で俺は一人、頭上から照る灯りの下でキーボードを響かせる。気付いた時には夕日もすっかり落ちて、夜の帳が下りた頃にようやく仕事が片付いた。腕時計を見ると二〇時を回っていて、そこそこ早めに片付いたと息を吐く俺は、椅子の背凭れを軋ませながら両腕を伸ばして背を反らせた。
「誰かと思えば、王子様じゃないか」
背後から唐突に掛けられた声に俺は、背伸びをしたままで振り向く。
「浅見さん。どうしたんですか?」
腕を下ろして俺は椅子を鳴らし、歩み寄る浅見さんへと改めて向き直った。
「外回りの子たちが戻ったのを確認して帰るところだったのだけれど、ここの電気が点いていたので気になって来てみたんだよ。残業かな?」
「はい、今日中に済ませておきたい仕事があったんです。今ちょうど終わりましたけど」
浅見さんの手にはコートもバッグもなく、どうやら下まで降りて車に乗るところだったんだろう。灯りだけでわざわざ引き返してくるなんて、本当にデザイン部(うち)が好きなんだな。
「義成は?」
「デートだそうです。定時きっかりに帰られました」
「あーそう」
既に慣れている俺には今更で、重々承知の浅見さんも言わずもがな。
都谷さんの前では緊張しっぱなしでこの程度の会話すらできない俺も、浅見さん相手だとまだ普通にこなせる。都谷さんが特別話し難いってわけじゃない──と思うのだが、浅見さんは浅見さんで別の意味で緊張させられるし。部署も違ってそんなに親しくしているわけじゃなし、口説かれるばかりでよくよく話したこともないから、上司は上司でも直属じゃない分、余裕ができるんだろうか。
パソコンの電源を落として机の下に置いてるビジネスバッグとコートを取り出した俺は、腕時計を見ながら何やら思案してるような浅見さんの様子に首を傾げる。
浅見さんは腕時計から俺へと視線を移し、目が合うと口角を上げた。
「それじゃあ、俺たちもデートしようか」
「はい?」
今、デートって言った?
そうだ。すっかり油断していた。会うたびさんざ口説かれてきていて何もないわけがない。
俺は警戒して思わず身構える。
「安心して。デートと言っても、夕食を一緒にするだけだから」
「ね」と浅見さんは柔和に笑む。瞬間、俺は心臓を撃ち抜かれた。
これが我が社随一の営業成績を誇る百発百中の殺人スマイルというやつだ。これが女なら──いや、男でもこれは落ちる。浅見さんの柔らかな雰囲気も相俟って、この笑顔はトドメだ。かくいう俺も、これには見事やられた。普段から人目も気にせず口説いてくるのだから、二人きりになんてなったらそれこそ取り返しがつかなくなるんじゃないかとか思うところはあるが……ストッパーの都谷さんはいないし……いや、そもそも冗談かもしれないし。
「だめ?」
窺うような甘い声の追撃! ダメ出し!
根負けした俺は見上げて浅見さんに頷いた。
「ご、ご馳走になります」
心配事はあれど、こういう機会は貴重だ。上司と飲みに行くなんてプライベートでも嫌がる人間が大半で、とくに管理職は孤高で孤独だってよく聞く。しかしこの会社に就職して感じたのは、どの部署もコミュニケーションがとれていて社内が温和だということ。勿論ミスなどがあれば厳重注意もあるけれど、無闇矢鱈と罵声を飛ばす上司はなく飴と鞭を使い分けて巧く飼い慣らしているようだった。総務にいた時は上司も入れてよく皆で飲みに行っていたくらいだ。
浅見さんの車で向かった先は意外にも焼肉屋。走行する町並みにも覚えがあったけど、その店はやはり俺の自宅近所だった。夜景の綺麗な高級レストランとかだったらどうしようかと思っていた俺は内心安堵した。
店員に案内された個室仕様の席に落ち着くと浅見さんは、メニューから適当に選んだものを店員へ告げた。俺はあまり飲める方ではなく、浅見さんも車なのでお酒は控えた。
注文の品が運ばれてくるのを待つ間、俺と浅見さんは烏龍茶を片手にお互いの労をねぎらう。
「浅見さんのご自宅って、もしかしてここから近いんですか?」
「うん。この店は初めてだけれどね」
「僕もこの近所に住んでるんですよ」
「そうなんだ。奇遇だね」
話しの切欠を掴んでしまえば後は流れに乗るだけだ。会社で会えば口説き文句しか出てこない浅見さんは流石の営業マンと言うべきか、やたらと話し易く、食事が進むほど会話も弾んだ。
「え? 浅見さんって、料理するんですか?」
「おかしい?」
「ああ! いえ、すみません!」
浅見さんが自炊派だという思わぬ事実に驚くあまり、俺の口はつい本音を吐いていた。
正直なところ、手作り弁当を持参しているという崇城さんなら容易く想像できる姿なのだが、失礼ながら──先入観が邪魔をしているというのもあるだろうけれど──浅見さんだと全く想像がつかないのだ。高級レストランとか高級バーなどで料理に舌鼓を打ちながらワインを嗜む姿のほうが安易に想像できてしまう。
慌てて謝罪する俺に浅見さんは怒っている風でもなく、両眉を下げて吹き出した。
「これでも一人暮らし歴は長いからね。それに営業なんて仕事柄、外食も多いから。せめて普段は自炊するよう心掛けているんだよ。意外だろう?」
「はい──あ、いえ!」
「あはは。じゃあ、この焼肉屋も意外だった?」
「いえっ、そんな……はい」
「ふふ。王子様は素直だね」
(褒められてるのか? これは)
プライベートでも揶揄われるってのは既に墓穴を掘りまくってる現状、俺に原因があるのは明らかだろう。女性社員の間であらぬ妄想が囁かれ始めた時、在原から「お前は年上に弱い」なんていう指摘を受けたが……当時は意味わからん言葉だったそれも、今になってやっと把握する。
(だからストレートだってのに……)
すっかり場は和み俺もちゃっかり気が緩んで、ふと、これまでずっと知りたがっていたことを浅見さんに訊ねていた。
「浅見さんの金髪って、地毛なんですよね?」
「そうだよ。祖母からの遺伝」
「営業とか、遣り辛かったりしないんですか?」
誰が見ても綺麗な金色の髪。俺も初対面では見蕩れたくらいで……いや、それに似合わずの性質を諸に見せつけられたけれど。今は特別な場合にしか表に出ないらしいが、ずっとこの派手な色のままで学生時代も送ってきたって話だし、本当にペテン師の名の如く巧い口で遣り過ごしてきたんだろうか。
珍しくもないだろう俺の質疑に、優雅に肉を咀嚼する浅見さんは思い返すような素振りを見せる。
「ないなあ。身構えられはするけれど、最初だけ。こっちでは珍しいけれど、首都の方では目立たないくらいだから」
「首都に比べたら、そうですよね」
大学の卒業旅行で一度行ったことがあるけれど、とにかくすごかった。俺にはここも充分都会だけれど、道路の広さや車の多さ、立ち並ぶビル群などなど。その割には開放的なところで、人の多さも気にならなかった。やはり土地の大きさが違うからだろう。綿密な都市計画のもとに作られたところでもあるし。
「俺は、王子様の髪が羨ましいよ」
「え? 僕の、ですか?」
「綺麗だよ」
「ふぇ!?」
思わず変な声を発してしまった。
面と向かって「綺麗だよ」なんて言われたのは初めてだ。そりゃ狼狽えもする。分かっていたことだけど、まさか焼肉屋で口説かれるとは思わなかった。酒も飲んでいないのに羞恥で顔が熱くなるのがわかって伏せる。
「あ、ありがとう、ございます……」
弱弱しく絞り出した声の先で、見えないけれど浅見さんが愉快そうに微笑んでいるのがわかる。まんまとしてやられた気分だ。
「あのう……浅見さん?」
「ん? なんだい?」
「その『王子様』っていうの、どうにかなりませんか?」
「ダメなの?」
「ダメというか……王子様って柄じゃないですし」
「可愛いじゃないか」
(かっかわいい!?)
平然と言ってのける浅見さんに俺は唖然だった。
初めて顔を合わせた日から何故か「王子様」呼ばわり。自分的には良くも悪くもない男顔だと思っているのだが……飛鷹さんといい浅見さんといい、やはり変わり者ってだけだろうか。
「君はね。子供の頃に読んだ童話に出てくる王子様そのものなんだよ」
「童話、ですか?」
「悪い魔女に囚われたお姫様を救い出す、白馬に乗った王子様。よくある話なんだけれどね。その王子様に、君はよく似ているんだ。だから俺にとって、君は王子様なんだよ」
まるで夢見る少女のようなことを恥ずかしげもなく言えるこの人は、やはり変わり者だと思う反面、素敵だとも思える。部下に追いかけ回されて──正確には浅見さんが逃げ回るせいなんだけれど──子供みたいな面もあるけれどなんだかんだで好かれているようだし、そんな変わりどころが寧ろ魅力なのかもしれない。
それからも浅見さんとの会話は途切れることなく盛り上がるばかりで、直属ではないにしろ上司である人と仕事関係なく過ごした時間は、俺にとって有意義なものだった。
「今度は、俺の自慢の手料理をご馳走するよ」
自宅まで送ってくれると言う浅見さんの申し出に甘え、帰路につく車の中で俺は浅見さん宅への招待を受けた。断る理由なんてあるわけなくしかし、社交辞令だろうと俺は快い返事をしたのだった。